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うららちゃんが広島に行くための旅費のカンパをよろしくお願いします!! | ||||||||||||
今年もじゅごんの家は反戦集会に参加するため広島へ行ってきます!! 広島への旅費は飛行機代・宿泊費で6万2千円。 うららちゃんはカンパを集める事にしました。 みなさん、広島行きのカンパをよろしくお願いします!!
うららちゃんへのカンパはこちらまで!!→ | ||||||||||||
6月29日現在、カンパは3万212円集まりました。目標まであと半分!!みなさん、どうぞよろしくお願いします!! |
6月30日(月)
6月29日(日)
6月28日(土) 基地建設・ボーリング調査反対!!辺野古海上デモ | ||
朝早くから集まった人達で会場の準備。テントを張ったり・・・カヌーにつけて基地の大きさを現すための風船が用意される | ||
「命を守る会」では皆に食べてもらうお握り作り | 一足早くおにぎりを食べるともちゃん | 浜には人が集まり始める。豊見山さん |
大湿帯からせつこさん | ゆうこさん一家 | 吉川さんと原さん |
瀬嵩から、琢磨さん家のりのちゃん | 浦島さんと西岡さん | 沖縄タイムスの記者・ルナさん |
まよなかしんやさん | 島田はるさんと嘉陽のおじい | 辺野古のおばあたち |
いよいよカヌーデモに出発!! | ||
チームを組んで目標のポイントまで漕いでいく。今日は風が強くて、ポイントまで行けなかったチームもいたようです。 | 真喜志さんから預かった、ピースボートが来た時に使われた横断幕。 | |
皆で「NO BASE」の人文字を作る | 篠原さん。今日はカヌーには乗らなかったけど、ボートに乗って基地が作られようとしている海を見て来ました。 | |
集会開始!!まず始めに、辺野古の海にむかってシュプレヒコール!! | なんちゃん | |
司会は仲村善幸さん | ヘリ基地反対協代表・安次富さん | 「命を守る会」代表・金城祐治さん |
県民会議より山内徳心さん | 浦島さん「この海はお金で買えないよなぁ・・・」と改めて思いました。 | 平和市民連絡会の当山さん |
一坪反戦地主・北部ブロックの上山さん | 晋くん | 最後は皆でガンバロー三唱。 |
西尾さんが、潜って取ってきたばかりのウニを食べさせてくれました!! | ウニの殻。まだ棘とげが動いていた!!まったりしていて、海の塩気でとってもおいしかった。 | 「うまい!!」と、善幸さんのこの笑顔。 |
篠原さんの感想(その日の夜のうちにFAXで送られてきました。) | ||
辺野古の海上基地建設予定地でのカヌーデモの最中に、ヘリポートの大きさを実際確かめるために豊原の高台に行きました。(悦美さんの運転で宮城セツ子さんや羊子さんと一緒に) そこからの眺めは余りにも美しくて、この海を見て基地を作られても構わないという人がいるだろうか?この海こそ沖縄が自信を持って誇れる財産だよ!!この海を死なせないうちに一人でも多くの人に見てほしい、もうあきらめてしまっている(!?)名護市民にこそ見てもらいたいと強く思いました。きっとこの財産をなくすことを許せない気持ちと勇気が与えられるはず。失ってしまってからでは遅いんだよ!! 写真や言葉でこの美しさは伝えられないです。それを自分の目で確かめてほしい。“失ってはならないもの”として一人一人の心にその海が刻まれるはずだから。余計な理屈なんて吹き飛んでしまう程、ヘリポート建設予定の海は限りなく豊かで美しいです。 | ||
沖縄の新聞より | ||
石川市移設を否定/海軍病院 防衛施設庁の嶋口武彦長官は二十七日の記者会見で、石川市の平川崇賢市長がキャンプ桑江の米海軍病院の誘致を表明したことについて「基地の整理・縮小という観点から、既存の基地の中に建設する。拡張は日米特別行動委員会(SACO)の目的に反し、そういう話はできない」と述べ、石川市への移設の可能性を否定した。 宜野湾市の伊波洋一市長が同病院のキャンプ瑞慶覧普天間地区への受け入れ拒否表明については「前市長から(受け入れの)公文書を得ている」とし、同市への移設を進めていく考えを強調。受け入れ条件として行われている補助事業についても「約束を守って、いろいろな事業を手伝っていく」と述べた。 | ||
刑事裁判に関する日米協議を来月開催【東京】日米両政府は米海兵隊員の女性暴行致傷事件に関連し、両国間で交渉を始めることで合意した米兵被疑者の刑事裁判手続きに関する協議を7月2、3の両日に都内で開催する。 交渉は数回開かれるもようで、米側がかねて求めている取り調べ時の弁護士の立ち会い、取り調べ時間の制限など米兵被疑者の権利保障が焦点となる。日米地位協定に関する協議で米側が代表団を派遣するのは初めてで米側は国防、国務、司法各省の担当者、日本は外務、法務両省と警察庁の担当者が出席する。 米国内には、警察の取り調べに弁護士が立ち会わない日本の司法制度や留置場の待遇などに対する不信感があり、今回の交渉は、引き渡し協議のたびに持ち上がる同議論に決着を図りたいとの意向で米側が提案。45日以内に結論を出すことを目標にしている。 交渉で日本側は、1995年の刑事裁判手続きに関する合同委合意の「その他特定の場合」の明確化を求めるとみられる。 | ||
今夏まで約半分搬出へ/在日米軍管理のPCB【東京】今月10日に米国防総省が発表した米本国へ搬出予定の在日米軍管理のPCB(ポリ塩化ビフェニール)含有物資の量が、約1270トンに上ることが27日までに分かった。すでに1月と3月に空路で搬出された量を合わせると、今夏までに在日米軍保有のPCB含有物資の約半分の1317トンの搬出が完了する見通しだ。 米側は搬出日を明らかにしていないが、相模総合補給廠(しょう)(神奈川県)の保管倉庫前には、16日までに60個のコンテナが届いているほか、那覇軍港にも同様のコンテナが約60個積み上げられており、近日中にも搬出に向けた作業が本格化するとみられる。 米側は26日、今夏の作業で日本製の機器を含む計1270トンを米国へ搬出することを日本政府に伝達した。 これまで在日米軍基地内からの搬出は、ことし1月に横田基地から約23トン、3月に同基地から約24トンが空路で輸送されている。在日米軍管理の含有機器は全体で3118トン。 神奈川県の市民グループ相模補給廠監視団のメンバーである金子豊貴男相模原市議によると、12日から同補給廠へコンテナが次々に運び込まれ、計60個が保管倉庫前に並べられた。PCB含有機器をコンテナへ運び込む作業はまだ行われていない。 補給廠に運ばれた茶色に「tex」の文字の同様のコンテナは、那覇軍港内にも約60個積み上げられており、在沖米軍保有の含有機器を搬出するために使用するとみられる。 | ||
久米島空港に空自ヘリ緊急着陸/搭乗隊員にけが人なし航空自衛隊那覇基地によると、那覇ヘリコプター空輸隊所属のCH47J輸送ヘリが27日午後2時12分、エンジンの不具合で久米島空港に緊急着陸した。搭乗の隊員13人にけがはなく、民間機の運航にも影響はなかった。同機は、那覇基地から久米島分とん基地経由で宮古島分とん基地へ向かう予定だった。 久米島分とん基地のヘリポートを離陸後、2つあるエンジンの1つに不具合が生じ、約5キロ先の久米島空港に着陸したという。同機は整備を終えて同空港を離れ、午後5時45分に那覇基地に戻った。 写真説明:緊急着陸した航空自衛隊のCH47J輸送ヘリ=27日午後5時すぎ、久米島空港(盛長容子久米島通信員撮影) |
6月28日(土)
6月27日(金)
カンパ続々と集まる!! | ||
←遊びに来た金城さん。 「気持ちだけど」と カンパを入れてくれました。 久しぶりに新城さんがお友達と一緒に 来店。篠原さんと3人で写真を撮る→ |
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夜は満月祭りの打ち合わせ。しんやさん、千鶴子さん、山口洋子さん、ともちゃんからもカンパ。 | ||
←満月祭りの打ち合わせの後、女性陣はお買い物に突入。 | ||
沖縄タイムスに高江洲朝男さんの「ちゅらさガーデン」の記事が載りました。 | ||
<6月25日 朝刊 27面> 陸上自衛隊那覇駐屯地内の返還土地三百三十平方メートルに「ちゅらさガーデン」をつくり、耕作に励む高江洲朝男さん(55)=佐敷町=が、巨大な紅イモを収穫した。 長さ五十センチ、重さ約十キロの巨大イモをはじめ昨年植えた大きな読谷紅イモがざっくざく。二十九日の県女性総合センター「てぃるる」での催しで一般の人に味わってもらう。 「基地ではなく土地を生産の場として使う喜びを知ってほしい。平和のイモを食べて」と語る高江洲さん。「イモとともに平和の心も生産したい」と力を込めた。 | ||
沖縄の新聞より | ||
<2003年6月26日 朝刊 2面>
石川市長が誘致を表明/米海軍病院 平川崇賢石川市長は二十五日の市議会定例会の一般質問で、伊波洋一宜野湾市長が受け入れ拒否を表明した米海軍病院について「市活性化のために、積極的に取り組んでいきたい」とし、誘致の姿勢を示した。 誘致場所は東恩納区画整理事業地(東恩納)や海員学校跡地(赤崎)、移転計画が難航している養豚場の跡地などの民間地を挙げている。大城肇議員の質問に答えた。 平川市長は取材に対し「誘致できれば税収や雇用の増など、財政的な効果が得られる」との認識を示した。伊波宜野湾市長が移設を拒否したことには「(海軍病院を)米軍基地ではなく病院としてとらえている。市民が使用できるよう要請しながら話を進めてみたい」と述べた。 用地取得には「(民間地への誘致が)可能なら、地主や関係者らのコンセンサスを得ていきたい」と答弁した。 海軍病院の移設問題で防衛施設庁は、前宜野湾市長から文書で正式な受け入れ意思を得ているとし、同市普天間地区への移設方針に変更がないことを強調している | ||
元職員、虚偽認める/名護漁協虚偽報告【名護】名護漁業協同組合の虚偽報告問題で、2000年度オニヒトデ駆除事業を担当した元漁協職員は26日、「いずれオニヒトデ駆除に使うつもりだった。意図的ではなかったが、組合員には申し訳なかった」と、報告書の一部に虚偽があったことを認めた。事業外支出については合計60万円の支出を認めた。一方、未返還の出資金を含む約590万円の個人名義の通帳については、「前任から預かっただけで内容は分からない。組合長に出す時機を逸した」と述べた。 これに対し、市は「組合長に実態を調査するよう申し入れている」と述べるにとどまった。同事業は国、県、市の100%補助で市が実施主体となっているため今後、市の監督責任も問われそうだ。 元職員の説明によると、虚偽報告を行ったのは計6回の駆除事業のうち、東海岸で行った3回約142万円で「悪天候で実施できなかった」と語った。計6回の調査事業については実施したという。150万円を父親名義の口座に入れ、「融資依頼を受けたある職員に30万円を出し、組合関連の支出に30万円を充てた」と述べた。印鑑は組合が預かっていたものを使用したという。 | ||
住民地域の訓練中止を/ヘリ事故で宜野湾市議会【宜野湾】20日に米軍普天間飛行場内で起こったCH53E大型ヘリの事故とKC―130輸送機の緊急着陸を受け、宜野湾市議会(伊佐敏男議長)は26日午前、原因究明までの住民地域上空での航空機訓練の即時中止などを求めた抗議決議案を全会一致で可決した。日程を調整の上、県内の関係機関に直接抗議していく。 抗議決議では、「相次ぐ事故の発生は、米軍の綱紀の乱れと安全管理の欠如に起因するものであり、実効ある事故防止策のなさと断ぜざるを得ない」と批判。事故後も住民地域上空で訓練が繰り返されていることに触れ、「市民の不安と怒りは極限に達している」と強く抗議した。 決議では、事故原因の究明のほか、普天間飛行場の早期返還、すべての米軍航空機の一斉点検・整備の実施も要求。CH53E大型ヘリの事故をめぐっては、県警広報が「胴体着陸」と発表し、「車輪が突然機体内に入り、胴体が地面についた」とする米軍側と事故状況の見解が食い違うなど情報が錯綜(さくそう)したことから、関係自治体への迅速、正確な通報体制の確立も求めた。 この日は、併せて米兵による女性暴行事件に対する抗議決議、日米地位協定の見直しを求めた意見書も可決した。 | ||
県の塩屋湾埋め立て免許交付に抗議/村民の会大宜味村(島袋義久村長)が進める塩屋湾外海埋め立て事業で、計画の賛否を問う住民投票を求めている大宜味住民投票村民の会の名嘉供正代表ら3人は25日、県庁を訪れ、県が埋め立て免許を村に交付したことに対し「地方自治の精神を無視した妨害行為」などと抗議した。 村民の会は今月5日、住民投票条例制定請求に必要な数の8倍に当たる466人の署名を村選管に提出した。現在は審査中だが、県は19日に免許を交付した。 名嘉代表らは「住民投票に影響を与えることを知りながら許可した県の責任は重い」と指摘し、県が免許を交付した判断理由などについて説明を求めた。 対応した県の比嘉和夫河川課長は「海岸管理者の立場で関係法令にのっとって事務処理した。総合的な判断だ。抗議内容は上司に伝える」と繰り返し答えたが、「この場で個別の意見に答えることはできない」と判断理由に関する具体的な言及は避けた。住民投票への影響についても「邪魔したわけではない。村議会が審議して判断することだ」と述べた。 写真説明:塩屋湾外海埋め立て事業に対する県の免許交付に抗議する大宜味住民投票村民の会の代表ら(左側)=25日、県河川課 | ||
地位協定17条5項C「米との政治的妥協の産物」/外務省解説に明記【東京】米国との政治的妥協の産物―。公務外の米兵容疑者の身柄を起訴までは米側で拘束することを定めた日米地位協定17条5項Cが、米側による権利の拡大要求に伴い規定され、外務省は同項を「政治的妥協の産物であり、説得力ある説明は必ずしも容易ではない」と1973年の同協定解説書で記していた。 解説書は、95年の米兵少女乱暴事件直後に共産党の聴濤弘氏が国会で示したが、今回、米海兵隊員による女性暴行致傷事件を受け、あらためて同党の赤嶺政賢氏が24日の衆院沖縄・北方特別委員会で取り上げ、外務省を追及した。 同党によると「日米地位協定の考え方」(73年4月)と題した解説書は、復帰後の沖縄に対し政府が地位協定を解説する上で提示したもので「外務省条約局、アメリカ局」が作成。表紙右上には「秘 無期限」と記されている。 同書は、政治的妥協の理由について「米議会において米国が第一次裁判権を放棄する範囲が広すぎるとの議論があり、これに対抗するため、せめて身柄拘束に関しては米側権利を広くしようとした」と記述している。 また同書は、米側が拘束する理由をあえて挙げるなら、食事や習慣などの違いがあり日本側拘禁では手数が掛かるほか米側拘禁でも逃走の恐れがない、米側にも第二次裁判権があり均衡の問題から不当ではない―としている。 一方、沖特委で川口順子外相は、これらの経緯について「存じていません」と答弁した。 同省日米地位協定室は17条5項Cについて、53年に発効したNATO地位協定に盛り込まれた規定を日米地位協定にも定めたと説明。解説書については「現在、存在するものではない。内部の資料ということだが、正式な見解を取りまとめたものではないだろう」と話している。 |
6月26日(木)
6月25日(水)
うららちゃんが広島に行くための旅費のカンパをよろしくお願いします!! | ||||||||||||
今年もじゅごんの家は反戦集会に参加するため広島へ行ってきます!! 広島への旅費は飛行機代・宿泊費で6万2千円。 うららちゃんはカンパを集める事にしました。 みなさん、広島行きのカンパをよろしくお願いします!!
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晋くんの辺野古監視日誌 | ||||||||||||
6月21日(土) 朝、7:25辺野古漁港に着くと、台風の余波も無くなり、波は穏やかになっていました。 地形調査をするための測量船は7:30に出航。潜水調査船よりも一足早く出て行きます。ボーリング調査場所の特定のための潜水調査では前回の日誌(6月11日)で説明した6隻の船の他に「警戒船」という船を加え、測量船を入れると計8隻で調査を行っています。 潜水調査は7:30から酸素ボンベ等の調査用の設備を積み込んで7:55最初のチームが出航。8:20までに最後の船が出て行きました。潜水調査は3:30から、4:00までの間に引き上げていきました。測量船は5:00以降引き上げていったと思います。 守る会には連日「慰霊の日」に向けてたくさんの人が訪れています。 土曜日当番のタエさんは「晋ちゃん毎日大変でしょー」と気にしてくれ、紅いものムーチー(おもち)を差し入れてくれました。おいしかったー、グワッチーサビタン! おばぁ達の中には家庭の事情や足のけがでこれないおばぁもいます。いつもガジュマル公園に座っているおばぁもそうです。毎日、帰り際ガジュマル公園に寄って今日あった事やこれからの行事等を僕からそのおばぁに話してたのですが、今日そのおばぁが重い足を引きずりながら守る会まで来てくれました。とってもうれしい事です。良かったー。「寂しく家にいるよりもこっちに来た方がいいさー」とおばぁ。地道にやっていく事が人を繋げる事はたくさんあるんだなぁ。とにかく良かった!! 6月22日(日) 午前、今日は日曜日でいつも休みですが、台風で出来なかった時間を取り戻すためか、調査船は昨日とほとんど同じ時間に出て行きました。 測量船は7:30に出航。潜水調査船は7:30頃から用意をして、7:55には3隻、8:30までに後の4隻が出航していきました。 午後、3:30潜水調査船は引き上げていきました。測量船は5:30には引き上げていきました。 今日は来客がピークでした。朝、8:00からひっきりなしに人がやってきました。守る会大忙し。 途中、韓国から帰ってきた豊見山さんが来て、韓国の事を色々と話してくれました。 韓国で行われた女子中学生轢殺事件(2002年6月13日におきた米軍装甲車による女子中学生2人の轢殺事件)の追悼集会に参加した時の話です。集会主催者発表で「16万人」の集会、ほとんどが10代から20代の人達だったそうです。午後4時から集会が始まり歌や映像等のレクレーションがあって、平和団体からの発言が行われ、8時頃からろうそくデモ。 轢殺された女子中学生の同級生達は自分達でサークルを作り集会に参加。中学生達は先頭でチャンゴ(韓国の民謡太鼓)を鳴らしながら歩いていたそうです。 米大使館前では大学生や労働組合の人達と韓国警察との間で激突もあって、中学生達、参加者を守る形になりながらデモは続けられていたとの事でした。16万人の人達が道路を占拠状態にしながらも、走っていく車はクラクションも鳴らさず、ゆっくりとデモの人達と一緒に歩んでいたそうです。その様子に豊見山さんもびっくりしたと話してくれました。 梅香里(メヒャンニ)は海が米軍射爆場として使われている地域。命を守る会と同じ様に団結小屋を作って米軍基地に反対している、その団結小屋の代表のチョン・マンギュさんがずっと一緒にいてくれ、色々と説明をしながら歩いてくれたとも言っていました。 メヒャンニに行った時には海産物を初めていただき祝福されたそうです。いいなぁ食べたい、、いつかメヒャンニにも行ってみたい。 沖縄の人と韓国の人々が繋がる事はこれから大きな基地いらないのうねりを作っていくと思います。絶対韓国に行くぞ!! そんなこんなで色々な話を色々な人が守る会に持ってきてくれます。 明日は6・23「慰霊の日」。沖縄戦を繰り返さない、押し付けない、そういう事を願う一日にしたいです。 6月23日(月) 月曜日、久しぶりに辺野古守る会を離れ、慰霊の日を迎えました。 僕達が去年から参加している魂魄の塔での集会は今年で二十年、二十回目を数えます。沖縄戦が終わった日とされているこの日、沖縄は追悼一色になります。 午前八時、県主催の慰霊祭の会場で平良悦美さん達が「STOP有事法制」のビラを参加者に渡すというので、ジュゴンの家と篠原さん、熊本さんの5人で参加しました。慰霊祭の参加者はおじぃやおばぁが目立っていました。稲嶺知事と保守派議員に自衛隊が参加するこの慰霊祭では有事法制の危険性や沖縄戦で沖縄の人々が築いた教訓をうやむやにしようとする動きが強くあります。僕達は沖縄の心とは一体なんだったのか、自分達も改めて考えるためにビラを参加者に渡しました。一度ビラを受け取ってくれた方に僕が間違えてもう一度、渡そうとすると「もらったよ!有事法制いらないよねー。がんばって」と声をかけてくれる。そういった人が多くいました。 平和のいしじ(沖縄戦でなくなった人々の名前が刻まれている石碑)をみながら泣く人々がたくさん居る沖縄、戦争の傷はまだ癒えていない。基地がある限り、沖縄戦は終わらないのです。 ビラを配っている時に出会うおじぃ、おばぁがそう、言葉を出さずに語っていました。 ひめゆりの塔から魂魄の塔(多くの沖縄戦戦没者が眠るお墓であり、石碑)まで沖縄集会の参加者と歩いていきます。 さとうきび畑の中を思い思いに歩きました。途中、他の石碑に追悼に来ていた人々がこちらにうれしそうに手を振る姿もありました。後ろから来る車もクラクションは鳴らさず、行進を阻まない様にゆっくりと僕達を抜いていきます。 今回の集会で僕が去年初めて参加した時と違っていた点は、参加者約300名の内の60人ぐらいの人が僕と同年代かそれ以下だったという事でした。 集会の中では元与勝高校生達による歌やダンスもありました。歌の中には辺野古の人達と僕と与勝高校生の間で話を重ねる中で得たものを素にした歌もありました。心の奥の方に響き渡るとても良い歌です。「声にならない声を命の海に響かせ伝えたい」すんごく良い詩です。ジュゴン聞いてるかぁ、奄美大島に旅行しにいっている場合じゃないぞー。 歌の間には詩の朗読もあって、戦争は絶対繰り返してはいけないという沖縄の高校生の強い思いが伝わってきました。 平和市民連絡会、イラク派遣団からも発言があって、平良夏芽さん、島田正博さんは「今のイラクは戦争は終わっていない」とし、これから何をするべきか訴えました。 閉会のあいさつで平良修さんが「この集会があったからといって沖縄から基地がなくなるわけではありません。私達がここに至るまでの血と汗を流しながら得た、集約点が今日なのです。ですから、沖縄戦、そして私達がここにくるまでに築き上げてきた今の現実を踏まえてここから出発する事が大事なのです。そこに基地をなくしていく力が存在します。」と言いました。僕はとても感動しました。 一年、一年と積み上げていく中で得たもの、それは自分の内容であり、地道に作り、繋げて来た人との関係なのです。それが沖縄から基地をなくす大きな力になりえるという確信が少しづつ見えてきます。 6月23日、今日この日は僕にとって、おばぁ、おじぃにこれ以上涙を、世界中の人達に侵略戦争での涙をこれ以上流させてはいけないという事を考えさせられる日でした。今なお、とめどなく、沖縄は涙を流し続けています。辺野古のおじぃ、おばぁは基地建設のための調査を見て、涙を流しています。 僕は基地をつくらせない事で笑顔を取り戻したい、戦争での罪を償いたい。真心で大和と沖縄が関われる世の中を作りたいです。まよなか★しんやさんの歌「命どぅ宝」が僕にはとっても印象に残っています。「命どぅ宝♪ぬちどぅたからー♪私達はあきらめないよ、平和と自由と愛を求めて、今日も生きてゆくよー♪」 僕はあきらめずに今日も平和と自由と愛を求めて生きていきます。沖縄戦で亡くなられた人々の命の叫びを胸に。 | ||||||||||||
沖縄の新聞より | ||||||||||||
琉球新報
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6・23国際反戦集会/国の動きを批判平和・民主団体による「第20回6・23国際反戦集会」が23日午後、糸満市米須の魂魄(こんぱく)之塔近くで行われた。 集会では沖縄戦体験者が有事関連法可決など平和の問題にかかわる国の動きを批判。高校生らが歌や詩の朗読などを通して、平和の大切さを訴えた。 集会では1944年の十・十空襲を体験した当間孝太郎さんが「天皇がもっと早く降伏を決断していれば、原爆投下も沖縄戦もなかった」と強調。 「憲法前文は政府の行為で戦争が起きることがないよう決意すると記している。しかし、日本政府は今、アメリカの戦争についていこうとしている。それを止めることが私たちの願いだ」と語った。 イラクの医療施設に医薬品を届ける活動を行った牧師の平良夏芽さんは「イラクは毎日銃撃戦が起きている。戦後が始まったとは思わないでほしい。戦争はまだ続いている」と語るとともに、米国のイラク攻撃に加担した日本はイラクに対し謝罪と戦後補償をすべきだと訴えた。 今年3月、米ニューヨーク市で創作ダンスや琉舞を通して平和の大切さを訴えた県立与勝高校の生徒らが、自作の歌やダンスを披露し、平和への思いを今後も語り継ごうと呼び掛けた。 同集会には例年以上の参加者が詰め掛け、各民主団体の報告に熱心に耳を傾けていた。 | ||||||||||||
沖縄タイムス <2003年6月22日 朝刊 23面> 「給油機は緊急着陸」/米軍回答、胴体着陸に言及せず 普天間飛行場 海兵隊報道部は二十一日、本紙の取材に対し普天間飛行場で二十日午後五時半ごろ、KC130空中給油機が緊急着陸していたことを明らかにした。「四つのエンジンのうち一つがトラブルを示していたため」と説明、「予防的着陸」を強調した。 県警は「C130輸送機が緊急着陸しエンジンが使用不能」と発表していた。これを受け、那覇防衛施設局が海兵隊外交政策部(G5)に二十一日、確認したところC130輸送機ではなく、「KC130空中給油機の緊急着陸だった」ことを初めて明らかにした。 日米地位協定で米軍に基地管理権が認められており国、県、在沖米軍トップで構成する三者連絡協議会合意でも緊急着陸は、地元当局から照会があった場合に「できる限り」通報することになっている。基地内のこうした事故の状況や、原因を確認する方法が日本側にはないのが現状だ。 また同報道部は、CH53大型輸送ヘリコプターの事故については「離陸時に誘導路を移動中、(車輪など)着陸装置に問題をきたした」と説明した。県警が「胴体着陸」と発表したことについては言及しなかった。 宜野湾市議会基地関係特別委員会の桃原功委員長は「事故からすでに二十四時間以上がたっているのに、私たちには情報が伝えられていない。週末とはいえ、事故が起きたからにはもっと米軍は説明するべきだ」と批判。二十四日に、委員会を開催し市議会として抗議を呼び掛ける意向だ。 | ||||||||||||
<2003年6月22日 朝刊 23面> 機銃搭載車に子供乗せる/キンザーフェストで米兵ら 米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)で二十一日開かれた「キンザーフェスト2003」で、米兵が機関銃搭載のジープに子供たちを乗せ、機関銃に触らせるなどした。 機関銃装備の車両は、基地会場内の一角に、クレーン車や軍用車両などと一緒に展示。車上では、米兵が子供たちに銃のグリップを握らせたりした。一角には親子連れが集まり、試乗を待ったり、機関銃を握った子供の写真を撮る姿もあった。 昨年の同フェストでは、実弾は入っていない機関銃の引き金を子供に引かせ、親などから「人を殺傷する銃を子供たちに触らせるとは不謹慎だ」との声が上がった。 |