ジュゴンの家・日誌
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沖縄タイムス http//www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報  http//www.ryukyushimpo.co.jp/

同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子
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6月C

うららちゃんが広島に行くための旅費のカンパをよろしくお願いします!!
今年もじゅごんの家は反戦集会に参加するため広島へ行ってきます!!
広島への旅費は飛行機代・宿泊費で6万2千円。
うららちゃんはカンパを集める事にしました。
みなさん、広島行きのカンパをよろしくお願いします!!
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子


   
うららちゃんへのカンパはこちらまで!!→
6月29日現在、カンパは3万212円集まりました。目標まであと半分!!みなさん、どうぞよろしくお願いします!!

6月30日(月)

晋くんの辺野古監視日誌
6月25日(水)
 測量調査船は今日も出て行かない様子。何なのだろう、暑さに音をあげたかな。
潜水調査船はまたもや船を増やしました。今日は潜水調査船だけで、10隻。7:55〜8:35の間に全隻出航。15:30には引き上げていきました。

 むこうはアメリカの親分に「いつまで待たすんだい!!」と脅されて、すんごくあせっている。名護の人達が市民投票を行って変えた歴史が確かに今でもアメリカ、日本両政府の根っこを揺るがしている。今度は僕達の世代がその意思を持って、世界を変える番だ。


6月26日(木)
 測量調査船は今日も出ず。場所を宜野座村に移したか?確認はとれず。
潜水調査船は昨日と同じく、10隻。8:35には全隻出航。午後、波が高くなったため、15:00には引き上げていきました。

 守る会は6.23も過ぎ、やっとこさ、一段落。イベントがあると、人がたくさん来て嵐の様。でも今日から、28日のカヌーデモに向けて、またもフル稼働。
 守る会のおじぃ、おばぁ含めて休みが無く、忙しいけれど、忙しい事は良い事。人がたくさん来て、その人々が自分達の地域で辺野古の事を訴えてくれる事を願っています。そして、28日は騒ぎまくりしょう!!
 今日決まった事だけれど、28日は僕も集会で発言予定。あー。緊張するーー。でもいつも見ているこの状況をおばぁ達の代わりに僕が訴えようと思います。がんばろ!!
6月29日のじゅごんの家来訪者
恩納村の民宿「南恩納トロピカル」の湊さんとよしおさんが遊びに来ました。

広島カンパもいただきました。ありがとうございました!!
昨日のカヌーデモの様子が新聞に載りました!!原さんのインタビューも載っています。写真をよく見ると後ろのほうにうららちゃんが・・・
沖縄の新聞より
<2003年6月29日 朝刊 21面>

カヌーデモで基地反対/名護市辺野古沖

 米軍普天間飛行場代替施設建設が予定されている名護市辺野古で二十八日、建設に向けたボーリング調査に反対し、参加者がカヌーに乗り建設予定海域で海上デモを行った。

 名護市のヘリ基地反対協議会と命を守る会が主催。海上デモでは、代替施設の大きさを体感するとともに視覚で訴えようと、平和団体らメンバーが二十三隻のカヌーと四隻のボートでこぎ出した。

 カヌー初挑戦だったという平良樹史さん(37)=名護市、公務員=は「だだっ広い」と感想。「海はとてもきれいで、もったいない。複雑な気持ちだ」。東京から来た原義和さん(33)=フリーランス=は「基地建設はとんでもないこととあらためて感じた。沖縄だけの問題ではないということを、東京にいても考え続けたい」と話した。

 その後、辺野古の浜で開かれた集会に先立ち、参加者約二百人による「NOベース」の人文字で基地反対をアピール。(1)ボーリング調査(2)新基地建設(3)普天間飛行場の県内移設―の中止などを求める集会決議を採択した。

<2003年6月29日 朝刊 2面>

あすから環境保全審議/泡瀬埋め立て
NPO交え新たに発足

 中城湾港泡瀬地区埋め立て事業について審議する国の環境監視委員会が三十日、沖縄市民会館で開かれる。七月八日には環境保全・創造検討委員会が同市産業交流センターで開催。いずれも初会合となる。

 両委員会は工事が実施段階を迎えたことから、従来の「中城湾港泡瀬地区環境監視・検討委員会」から分離。今回、新たに民間非営利団体(NPO)からも委員に加えた。

 環境監視委は、工事に伴う海生・陸生生物や水質などの環境影響を評価する。環境保全・創造検討委は、藻類の移植や人工干潟など、環境保全措置の技術的な検討をし、適切な議論を目指す。

 委員には大学教授や日本自然保護協会保護研究部長、沖縄野鳥の会事務局長らが加わり、計十八人で構成。環境保全・創造検討委にはNPOからの委員も加わり、計十四人で構成。

 環境保全・創造検討委には、より詳細な検討を行うために「海藻草類」「人工海浜」「環境利用学習」の専門部会を設ける(いずれも非公開)。

 環境監視委は三十日午後五時、環境保全・創造検討委は七月八日午前九時からで、傍聴可能。受け付けは開始三十分前から始め、先着三十人に傍聴券を発行する。

「議論足りず内容不十分」/第3次障害者基本計画報告会

 今後10年間の沖縄の障害者福祉施策の指針として、県が策定を進めている「第3次県障害者基本計画」の素案策定委員らによる報告会が28日、那覇市石嶺の県総合福祉センターで開かれた。報告者からは、「素案の策定過程で障害者の声が反映される機会が少なく、障害者にとっては不十分な計画になる可能性がある」などの指摘があった。報告会を呼び掛けたメンバーは今後、障害者の声が計画に盛り込まれるよう関係機関に働き掛けるともに障害者の意見を集約し、発信するためのネットワークづくりに取り組む考えだ。

 報告会では昨年10月から今年3月まで、同素案づくりに携わった学識経験者や障害者団体代表らが、策定状況や内容の課題を指摘。報告会を呼び掛けた沖縄脊髄(せきずい)損傷者連合会会長の上里一之さんは「素案策定委員会は7回開催されたが、素案についての十分な議論ができず、内容も私たちの意図するものではなかった。これが本計画になっては困る」と強調した。

 沖縄国際大学講師の岩田直子さんは素案の問題点として(1)障害者の権利擁護の視点が乏しい(2)障害者の声や能力を引き出す「エンパワメント」の考え方が薄い(3)計画の実行度を検証するモニタリング体制が整えられていない―などと指摘するとともに、「計画をよい形のものとするため、障害者自身が声を上げることが必要だ」と語った。

 会場の参加者からは、「離島県という沖縄の特性を考慮した計画策定が重要だ」という意見や、「小規模作業所の活動を支える制度づくりを」という要望が上がった。

 報告会では計画策定過程の傍聴や情報公開、精神障害者や知的障害者の参画、計画推進に当たっての「専門委員会」の設置を県に要請することを確認した。

 上里さんは「このままでは身障者の声が反映されなかった過去の計画づくりを繰り返してしまう。私たち障害者側も意見を集約できなかった反省もある」と述べ、障害者の声を発信するためのネットワークづくりを呼び掛けた。

 第3次県障害者基本計画は今後、素案の検討・修正作業を進め、8月までには県案を策定。来年3月に計画が決定される。

6月29日(日)

6月28日(土)  基地建設・ボーリング調査反対!!辺野古海上デモ
朝早くから集まった人達で会場の準備。テントを張ったり・・・カヌーにつけて基地の大きさを現すための風船が用意される
「命を守る会」では皆に食べてもらうお握り作り 一足早くおにぎりを食べるともちゃん 浜には人が集まり始める。豊見山さん
大湿帯からせつこさん ゆうこさん一家 吉川さんと原さん
瀬嵩から、琢磨さん家のりのちゃん 浦島さんと西岡さん 沖縄タイムスの記者・ルナさん
まよなかしんやさん 島田はるさんと嘉陽のおじい 辺野古のおばあたち
いよいよカヌーデモに出発!!
チームを組んで目標のポイントまで漕いでいく。今日は風が強くて、ポイントまで行けなかったチームもいたようです。 真喜志さんから預かった、ピースボートが来た時に使われた横断幕。
皆で「NO BASE」の人文字を作る 篠原さん。今日はカヌーには乗らなかったけど、ボートに乗って基地が作られようとしている海を見て来ました。
集会開始!!まず始めに、辺野古の海にむかってシュプレヒコール!! なんちゃん
司会は仲村善幸さん ヘリ基地反対協代表・安次富さん 「命を守る会」代表・金城祐治さん
県民会議より山内徳心さん 浦島さん「この海はお金で買えないよなぁ・・・」と改めて思いました。 平和市民連絡会の当山さん
一坪反戦地主・北部ブロックの上山さん 晋くん 最後は皆でガンバロー三唱。
西尾さんが、潜って取ってきたばかりのウニを食べさせてくれました!! ウニの殻。まだ棘とげが動いていた!!まったりしていて、海の塩気でとってもおいしかった。 「うまい!!」と、善幸さんのこの笑顔。
篠原さんの感想(その日の夜のうちにFAXで送られてきました。)
 辺野古の海上基地建設予定地でのカヌーデモの最中に、ヘリポートの大きさを実際確かめるために豊原の高台に行きました。(悦美さんの運転で宮城セツ子さんや羊子さんと一緒に)
 そこからの眺めは余りにも美しくて、この海を見て基地を作られても構わないという人がいるだろうか?この海こそ沖縄が自信を持って誇れる財産だよ!!この海を死なせないうちに一人でも多くの人に見てほしい、もうあきらめてしまっている(!?)名護市民にこそ見てもらいたいと強く思いました。きっとこの財産をなくすことを許せない気持ちと勇気が与えられるはず。失ってしまってからでは遅いんだよ!!
 写真や言葉でこの美しさは伝えられないです。それを自分の目で確かめてほしい。“失ってはならないもの”として一人一人の心にその海が刻まれるはずだから。余計な理屈なんて吹き飛んでしまう程、ヘリポート建設予定の海は限りなく豊かで美しいです。
沖縄の新聞より

石川市移設を否定/海軍病院
施設庁長官、「SACOに反する」

 防衛施設庁の嶋口武彦長官は二十七日の記者会見で、石川市の平川崇賢市長がキャンプ桑江の米海軍病院の誘致を表明したことについて「基地の整理・縮小という観点から、既存の基地の中に建設する。拡張は日米特別行動委員会(SACO)の目的に反し、そういう話はできない」と述べ、石川市への移設の可能性を否定した。

 宜野湾市の伊波洋一市長が同病院のキャンプ瑞慶覧普天間地区への受け入れ拒否表明については「前市長から(受け入れの)公文書を得ている」とし、同市への移設を進めていく考えを強調。受け入れ条件として行われている補助事業についても「約束を守って、いろいろな事業を手伝っていく」と述べた。

刑事裁判に関する日米協議を来月開催

 【東京】日米両政府は米海兵隊員の女性暴行致傷事件に関連し、両国間で交渉を始めることで合意した米兵被疑者の刑事裁判手続きに関する協議を7月2、3の両日に都内で開催する。

 交渉は数回開かれるもようで、米側がかねて求めている取り調べ時の弁護士の立ち会い、取り調べ時間の制限など米兵被疑者の権利保障が焦点となる。日米地位協定に関する協議で米側が代表団を派遣するのは初めてで米側は国防、国務、司法各省の担当者、日本は外務、法務両省と警察庁の担当者が出席する。

 米国内には、警察の取り調べに弁護士が立ち会わない日本の司法制度や留置場の待遇などに対する不信感があり、今回の交渉は、引き渡し協議のたびに持ち上がる同議論に決着を図りたいとの意向で米側が提案。45日以内に結論を出すことを目標にしている。

 交渉で日本側は、1995年の刑事裁判手続きに関する合同委合意の「その他特定の場合」の明確化を求めるとみられる。

今夏まで約半分搬出へ/在日米軍管理のPCB

 【東京】今月10日に米国防総省が発表した米本国へ搬出予定の在日米軍管理のPCB(ポリ塩化ビフェニール)含有物資の量が、約1270トンに上ることが27日までに分かった。すでに1月と3月に空路で搬出された量を合わせると、今夏までに在日米軍保有のPCB含有物資の約半分の1317トンの搬出が完了する見通しだ。

 米側は搬出日を明らかにしていないが、相模総合補給廠(しょう)(神奈川県)の保管倉庫前には、16日までに60個のコンテナが届いているほか、那覇軍港にも同様のコンテナが約60個積み上げられており、近日中にも搬出に向けた作業が本格化するとみられる。

 米側は26日、今夏の作業で日本製の機器を含む計1270トンを米国へ搬出することを日本政府に伝達した。

 これまで在日米軍基地内からの搬出は、ことし1月に横田基地から約23トン、3月に同基地から約24トンが空路で輸送されている。在日米軍管理の含有機器は全体で3118トン。

 神奈川県の市民グループ相模補給廠監視団のメンバーである金子豊貴男相模原市議によると、12日から同補給廠へコンテナが次々に運び込まれ、計60個が保管倉庫前に並べられた。PCB含有機器をコンテナへ運び込む作業はまだ行われていない。

 補給廠に運ばれた茶色に「tex」の文字の同様のコンテナは、那覇軍港内にも約60個積み上げられており、在沖米軍保有の含有機器を搬出するために使用するとみられる。

久米島空港に空自ヘリ緊急着陸/搭乗隊員にけが人なし

 航空自衛隊那覇基地によると、那覇ヘリコプター空輸隊所属のCH47J輸送ヘリが27日午後2時12分、エンジンの不具合で久米島空港に緊急着陸した。搭乗の隊員13人にけがはなく、民間機の運航にも影響はなかった。同機は、那覇基地から久米島分とん基地経由で宮古島分とん基地へ向かう予定だった。

 久米島分とん基地のヘリポートを離陸後、2つあるエンジンの1つに不具合が生じ、約5キロ先の久米島空港に着陸したという。同機は整備を終えて同空港を離れ、午後5時45分に那覇基地に戻った。

写真説明:緊急着陸した航空自衛隊のCH47J輸送ヘリ=27日午後5時すぎ、久米島空港(盛長容子久米島通信員撮影)

6月28日(土)

第99回金曜集会  次回はいよいよ100回目!!
夏芽さん。イラク報告会に大勢の人が集まっています。なぜ戦争が始まる前にこのくらいの関心が無かったのか、残念に思う。被爆者として、放射能被害を訴えるため、広島のNGOがイラク入りしています。 西岡さん。アフガン民衆法廷のお知らせ。公聴会には、海勢頭さんの歌、そして夏芽さんからイラクの報告があります。 辺野古で、基地賛成の人達が私達の運動を見ている。漁港の人達です。私はそばに寄って行って話しました。辺野古に通ううちにゆんたくするようになり、イラクの市場が爆撃を受けた時の話をすると、魚群探知機や衛星探知機(GPS)を使っている漁民達は、「誤爆なんてありえない」と言っていました。
平良修さん。領事館に向かって、「魂魄の塔」で読まれた、夏芽さんが書いたアピール文を読む。
国政さん。魂魄の塔の集会も、ヤマトからの参加者が増えました。うちなーぐちを話す人が減ってきています。(国政さんは魂魄の塔でもうちなーぐちで発言をしていました。) てるこさんの笛・羊子さんの歌で「月桃」 西表島のユニマットによる開発差止訴訟の原告募集の期限を延ばしました。原告になるには一万円、賛助会員になるなら一口3千円です。
西尾さん。靖国訴訟原告の2次募集をしています。戦死者が神となる傲慢な考えが許されていいのか。運動と思想を広げて行きたい。 東京から来た女性。世界はアメリカの助けを必要としていない。アメリカ国内でも、進歩的な考え方の人達もいる。アフガン・イラク攻撃に対して、抗議行動をしている。でも、沖縄や他の国で何が起こっているか知らない人達もいる。知らせる事が大事だと思います。
金曜集会の皆に掛け声をかける。皆がそれに答えます。
アメリカの集会であったようなラップ調のもの。(正確に聞き取れなかった。スミマセン)
真喜志さんの発言・・・・西表島の開発差止訴訟の報告と、環境アセス勉強会のお知らせ。7月5日に「やしお荘」でやります。(写真を撮り損ねました!!) 最後に、うららちゃんから広島行きカンパのお願いと明日の辺野古海上デモのお知らせ。皆から次々とカンパが集まりました。皆さん、本当にどうもありがとうございます!!

金曜集会の後、夏芽さんが「一緒にお昼食べない?」と誘ってくれ、近くのお店でお昼をご馳走になりました!!
いろんな話を聞くことが出来ました。
夏芽さん、ご馳走様でした!!
じゅごんの家で買ったシャツを着た洋子さん。
← 一緒に食事をした原さんが篠原さんとうららちゃんを名護まで送ってくれ、じゅごんの家に来訪。原さんは東京で名護ヘリ基地建設反対の運動をしています。
 「あはごんしゅぎ」やポストカード、反戦バッヂなど、たくさん買っていってくれました!!「賛助会員にもならなきゃね」と原さん。
 明日は朝から辺野古へ行って調査の様子を確かめます。その後海上デモに参加!!
アメリカ集会のビデオを真剣に見る原さん 写真撮影に照れる原さん
6月26日(木)のじゅごんの家
宮崎名物「冷や汁」を差し入れに持ってきてくれた熊本さん。沖縄エキスポの帽子をかぶって記念撮影
沖縄の新聞より
<2003年6月27日 朝刊 2面> 海軍病院移設、計画通り/岡崎施設局長
米兵事件・新通報体制に難色

 那覇防衛施設局の岡崎匠局長は二十六日の定例記者懇談会で、伊波洋一宜野湾市長が米海軍病院の受け入れを拒否する考えを表明したことについて、「SACO(日米特別行動委員会)合意を着実に進める」と述べ、現時点で見直す考えがないことを強調した。

 岡崎局長は「キャンプ桑江南側部分返還のために(病院移設は)必要であり、二〇〇〇年に宜野湾市長からキャンプ瑞慶覧内普天間地区への受け入れ表明をいただいている」と、計画を予定通り進める考えを示した。

 一方、石川市の平川崇賢市長が市議会で同病院の誘致を表明したことについては「報道によって承知しているだけ」と述べるにとどめた。

 また、普天間飛行場代替施設建設のための辺野古沖でのボーリング調査を前に、国の天然記念物ジュゴン保護の方法などについて意見を聞く数人の専門家の人選について、松田隆繁建設部長は「今のところ氏名などを公表する考えはない」と述べた。

 一方、岡崎局長は、海兵隊員の暴行致傷事件を契機に県が検討を求めている通常の通報体制とは別の知事への連絡について、「事件性が明らかになった段階でしか通報できない」と、米側から内々の情報提供があった場合でも、プライバシー保護の観点から伝えるべきではないとの認識を示した。

 さらに、普天間飛行場のCH53ヘリ事故で県警に「胴体着陸」と発表したことについて照会したところ「詳細については把握していないという前提で公表した」と、説明を受けたことを明らかにした。

<2003年6月27日 夕刊 1面>

普天間代替、民間部分も国が主体/知事答弁

 県議会(伊良皆高吉議長)六月定例会は二十七日午前十時から代表質問が始まり、基地問題や福祉、教育など県政の諸課題について論戦が始まった。最初に自民党の池間淳氏が登壇。米軍普天間飛行場代替施設の民間空港部分の事業主体となるよう、国が県に求めていることについて、稲嶺恵一知事は「軍民共用飛行場として一体的に整備されるものと考える。代替施設の埋め立てなど、民間専用地区の整備についても、国が事業主体になる」と明言、県が事業主体とはならない方針をあらためて強調した。

 代替施設の十五年使用期限問題の所管官庁に関しては、「政府の高度な政治判断にかかわる問題であり、最終的には内閣総理大臣の判断で解決される」との認識を示した。

 そのほか、県産の農林水産物の消費拡大を図るため、消費者団体、学校給食会、ホテル、外食事業関係者、生産団体や行政を網羅した「(地産地消)推進会議の開催に向け、準備を進めている」ことを明らかにした。

 代表質問に先立って県税条例改正案が採決され、共産党以外の賛成多数で可決した。

<2003年6月27日 夕刊 7面>

赤土の流入餌場に影響/ジュゴントレンチ

 国の天然記念物ジュゴンの餌場である藻場に赤土が流入し影響を与えている―。本島東側の海域をラジコンのヘリコプターで観察した海中景観研究所(島根県都万村)の新井章吾所長が二十七日までに、北九州市で開かれた国際景観生態学会で調査結果を発表した。

 四月に名護市の東側沿岸を調査したところ、水深一メートルの海底にある藻場に多数のジュゴンが海草を食べた跡(ジュゴントレンチ)を確認。この海域をラジコンヘリで上空から撮影すると、赤土の少ない藻場にトレンチの多いことが分かった。

 新井所長によると、赤土の少ない藻場の近くには砂地があり、砂が水の流れに乗って動くことで海草に付いた赤土が洗い流されるという。逆に砂地から離れた藻場ではこの作用がないため、赤土が積もったままだった。

 新井所長は「ジュゴンの保護には餌場となる藻場を保全するだけではなく、赤土が流出しない沿岸の環境づくりが必要」と話している。

 調査海域に近い名護市辺野古沖は、米軍普天間飛行場の代替施設の建設が予定されている。

<2003年6月27日 夕刊 7面>

「嘉手納」強化に反対/北谷町議会

 北谷町議会(与儀朝祺議長)は二十七日午前、「普天間飛行場の全面返還に伴う嘉手納基地の機能強化に断固反対する宣言」を全会一致で可決した。

 宣言では、米軍嘉手納基地の過密な実態と危険性を挙げ、普天間飛行場が統合されることで危険性は増大、基地周辺住民に新たな犠牲を強いる―と指摘。ヘリ基地統合による爆音被害の増大も懸念し、「県民が求めているのは、普天間飛行場の県内移設ではなく無条件の返還」と訴え、「嘉手納基地の機能強化につながる問題は容認できない」としている。

 嘉手納基地周辺三市町の首長、議長で構成する三連協結成の原点である「普天間飛行場の撤去に伴う代替施設の一部機能も嘉手納基地への移設を認めない」との意思を踏まえた。同議会はこのほか、米兵による女性暴行致傷事件に対する抗議決議と意見書も全会一致で可決した。

<2003年6月27日 朝刊 2面>

嘉手納統合案に反対決議/嘉手納町議会

 嘉手納町議会(稲嶺盛貞議長)は二十六日、「普天間基地の嘉手納基地への統合・機能強化に断固反対する宣言決議」を全会一致で可決した。

 同決議は、嘉手納基地の過密な実態と危険性について「町民に大きな不安と恐怖を与えてきた」とした上で、普天間飛行場が嘉手納基地に統合されることで危険性は増大し、基地周辺住民に新たな犠牲を強いることになると指摘。

 さらに、統合により「新たにヘリの爆音と墜落の恐怖も加わり、町民の不安は計り知れない」と説明。「県民が求めているのは普天間基地の県内移設ではなく無条件に返還してほしいということだ」と訴え、「嘉手納基地の機能強化につながる統合は断じて容認できない」とした。

「Peace Choice−平和のための選択」ピースチョイス情報(27)    2003年6月24日

★ 世界ボイコット・ニュース(2003年6月)

『ベルギー発「ボイコット・ブッシュ」アクション情報: ボイコット・アクション
チームによって同国各地のエッソとテキサコのガソリンスタンドが一時閉鎖される』

6月14日正午、組織されたボイコット・アクションチームは、ベルギーの主要7都市に
おいてエッソとテキサコのブランドを掲げたガソリンスタンドをテープと旗によって
一時閉鎖した、という報告が入っています。

エッソとテキサコは、イラクの石油利権によって利益を得る米国企業「エクソン・
モービル社」と「シェブロン・テキサコ社」が所有しているガソリンスタンドで、
ヨーロッパ全土にわたる米国製品不買運動のターゲットとなっているブランドです。

詳しくは http://www.3chan.net/~peacechoice/news/wnews.htm#030618 をご覧下さ
い。

6月27日(金)

カンパ続々と集まる!!
 ←遊びに来た金城さん。
「気持ちだけど」と
カンパを入れてくれました。


久しぶりに新城さんがお友達と一緒に
来店。篠原さんと3人で写真を撮る→
夜は満月祭りの打ち合わせ。しんやさん、千鶴子さん、山口洋子さん、ともちゃんからもカンパ。
←満月祭りの打ち合わせの後、女性陣はお買い物に突入。
沖縄タイムスに高江洲朝男さんの「ちゅらさガーデン」の記事が載りました。
<6月25日 朝刊 27面>
 陸上自衛隊那覇駐屯地内の返還土地三百三十平方メートルに「ちゅらさガーデン」をつくり、耕作に励む高江洲朝男さん(55)=佐敷町=が、巨大な紅イモを収穫した。

 長さ五十センチ、重さ約十キロの巨大イモをはじめ昨年植えた大きな読谷紅イモがざっくざく。二十九日の県女性総合センター「てぃるる」での催しで一般の人に味わってもらう。

 「基地ではなく土地を生産の場として使う喜びを知ってほしい。平和のイモを食べて」と語る高江洲さん。「イモとともに平和の心も生産したい」と力を込めた。
沖縄の新聞より
<2003年6月26日 朝刊 2面>

石川市長が誘致を表明/米海軍病院
活性化や財政効果期待

 平川崇賢石川市長は二十五日の市議会定例会の一般質問で、伊波洋一宜野湾市長が受け入れ拒否を表明した米海軍病院について「市活性化のために、積極的に取り組んでいきたい」とし、誘致の姿勢を示した。

 誘致場所は東恩納区画整理事業地(東恩納)や海員学校跡地(赤崎)、移転計画が難航している養豚場の跡地などの民間地を挙げている。大城肇議員の質問に答えた。

 平川市長は取材に対し「誘致できれば税収や雇用の増など、財政的な効果が得られる」との認識を示した。伊波宜野湾市長が移設を拒否したことには「(海軍病院を)米軍基地ではなく病院としてとらえている。市民が使用できるよう要請しながら話を進めてみたい」と述べた。

 用地取得には「(民間地への誘致が)可能なら、地主や関係者らのコンセンサスを得ていきたい」と答弁した。

 海軍病院の移設問題で防衛施設庁は、前宜野湾市長から文書で正式な受け入れ意思を得ているとし、同市普天間地区への移設方針に変更がないことを強調している

元職員、虚偽認める/名護漁協虚偽報告

 【名護】名護漁業協同組合の虚偽報告問題で、2000年度オニヒトデ駆除事業を担当した元漁協職員は26日、「いずれオニヒトデ駆除に使うつもりだった。意図的ではなかったが、組合員には申し訳なかった」と、報告書の一部に虚偽があったことを認めた。事業外支出については合計60万円の支出を認めた。一方、未返還の出資金を含む約590万円の個人名義の通帳については、「前任から預かっただけで内容は分からない。組合長に出す時機を逸した」と述べた。

 これに対し、市は「組合長に実態を調査するよう申し入れている」と述べるにとどまった。同事業は国、県、市の100%補助で市が実施主体となっているため今後、市の監督責任も問われそうだ。

 元職員の説明によると、虚偽報告を行ったのは計6回の駆除事業のうち、東海岸で行った3回約142万円で「悪天候で実施できなかった」と語った。計6回の調査事業については実施したという。150万円を父親名義の口座に入れ、「融資依頼を受けたある職員に30万円を出し、組合関連の支出に30万円を充てた」と述べた。印鑑は組合が預かっていたものを使用したという。

住民地域の訓練中止を/ヘリ事故で宜野湾市議会

 【宜野湾】20日に米軍普天間飛行場内で起こったCH53E大型ヘリの事故とKC―130輸送機の緊急着陸を受け、宜野湾市議会(伊佐敏男議長)は26日午前、原因究明までの住民地域上空での航空機訓練の即時中止などを求めた抗議決議案を全会一致で可決した。日程を調整の上、県内の関係機関に直接抗議していく。

 抗議決議では、「相次ぐ事故の発生は、米軍の綱紀の乱れと安全管理の欠如に起因するものであり、実効ある事故防止策のなさと断ぜざるを得ない」と批判。事故後も住民地域上空で訓練が繰り返されていることに触れ、「市民の不安と怒りは極限に達している」と強く抗議した。

 決議では、事故原因の究明のほか、普天間飛行場の早期返還、すべての米軍航空機の一斉点検・整備の実施も要求。CH53E大型ヘリの事故をめぐっては、県警広報が「胴体着陸」と発表し、「車輪が突然機体内に入り、胴体が地面についた」とする米軍側と事故状況の見解が食い違うなど情報が錯綜(さくそう)したことから、関係自治体への迅速、正確な通報体制の確立も求めた。

 この日は、併せて米兵による女性暴行事件に対する抗議決議、日米地位協定の見直しを求めた意見書も可決した。

県の塩屋湾埋め立て免許交付に抗議/村民の会

 大宜味村(島袋義久村長)が進める塩屋湾外海埋め立て事業で、計画の賛否を問う住民投票を求めている大宜味住民投票村民の会の名嘉供正代表ら3人は25日、県庁を訪れ、県が埋め立て免許を村に交付したことに対し「地方自治の精神を無視した妨害行為」などと抗議した。

 村民の会は今月5日、住民投票条例制定請求に必要な数の8倍に当たる466人の署名を村選管に提出した。現在は審査中だが、県は19日に免許を交付した。

 名嘉代表らは「住民投票に影響を与えることを知りながら許可した県の責任は重い」と指摘し、県が免許を交付した判断理由などについて説明を求めた。

 対応した県の比嘉和夫河川課長は「海岸管理者の立場で関係法令にのっとって事務処理した。総合的な判断だ。抗議内容は上司に伝える」と繰り返し答えたが、「この場で個別の意見に答えることはできない」と判断理由に関する具体的な言及は避けた。住民投票への影響についても「邪魔したわけではない。村議会が審議して判断することだ」と述べた。

写真説明:塩屋湾外海埋め立て事業に対する県の免許交付に抗議する大宜味住民投票村民の会の代表ら(左側)=25日、県河川課

地位協定17条5項C「米との政治的妥協の産物」/外務省解説に明記

 【東京】米国との政治的妥協の産物―。公務外の米兵容疑者の身柄を起訴までは米側で拘束することを定めた日米地位協定17条5項Cが、米側による権利の拡大要求に伴い規定され、外務省は同項を「政治的妥協の産物であり、説得力ある説明は必ずしも容易ではない」と1973年の同協定解説書で記していた。

 解説書は、95年の米兵少女乱暴事件直後に共産党の聴濤弘氏が国会で示したが、今回、米海兵隊員による女性暴行致傷事件を受け、あらためて同党の赤嶺政賢氏が24日の衆院沖縄・北方特別委員会で取り上げ、外務省を追及した。

 同党によると「日米地位協定の考え方」(73年4月)と題した解説書は、復帰後の沖縄に対し政府が地位協定を解説する上で提示したもので「外務省条約局、アメリカ局」が作成。表紙右上には「秘 無期限」と記されている。

 同書は、政治的妥協の理由について「米議会において米国が第一次裁判権を放棄する範囲が広すぎるとの議論があり、これに対抗するため、せめて身柄拘束に関しては米側権利を広くしようとした」と記述している。

 また同書は、米側が拘束する理由をあえて挙げるなら、食事や習慣などの違いがあり日本側拘禁では手数が掛かるほか米側拘禁でも逃走の恐れがない、米側にも第二次裁判権があり均衡の問題から不当ではない―としている。

 一方、沖特委で川口順子外相は、これらの経緯について「存じていません」と答弁した。

 同省日米地位協定室は17条5項Cについて、53年に発効したNATO地位協定に盛り込まれた規定を日米地位協定にも定めたと説明。解説書については「現在、存在するものではない。内部の資料ということだが、正式な見解を取りまとめたものではないだろう」と話している。


6月26日(木)

おとといのじゅごんの家
大家さんから広島行きのカンパが!!
「頑張ってきてね」と大家さん。ありがとうございます!!
大家さんから「あなた達、疲れた時に飲みなさい。」と栄養ドリンクの差し入れ!! 夜はひろこさんがじゅごんハウスに遊びにきました。夕食を作ってくれるひろこさん。楽しみ!!
ひろこさんを手伝ううららちゃん 料理が出来上がり、ビールで乾杯。  いただきまーす!! じゃーん!!ひろこさん手作りのタイカレー。鶏肉・赤ピーマン・タケノコ・そして、ココナッツミルクが入っています。
ようこちゃんは6月25日から福岡に帰ります。その間、じゅごんの家はうららちゃんと晋君の2人だけになりますが、今回は篠原さんや熊本さんがいるのでとても心強いです。みなさん、じゅごんの家をこれからもよろしくお願いします!!
ゴーヤと卵をたっぷり使ったシンプルなゴーヤチャンプルー。とってもおいしかったです!! ひろこさんからもカンパ。ありがとうございます。
金曜集会でうららちゃんが取材を受けた時の記事がタイムスに載りました!!
<6月23日 朝刊21面>
女性暴行事件に怒り/米国総領事館前で毎週開く
金曜集会
米軍基地撤去を訴え、浦添市内の米国総領事館前で毎週、開かれている「金曜集会」がこのほどあり、金武町で発生した女性暴行事件など、繰り返される米軍事件に強い怒りの声を上げた。

集会は九十七回目。普天間爆音訴訟原告団団長の島田善次さんは、領事館に向かって「いつになったら悲しい思いをせずにすむのか。私たちの怒りが足りないから、事件が続いてしまうのか。県民の人間性が認められるまで、怒り続けよう。アメリカは沖縄から出て行け」とマイクを握り締めた。
名護市から駆け付けた石橋うららさん(25)は「怖くて夜は一人で歩けない。基地がある限り、事件はこれからも起こる」と話した。
晋くんの辺野古監視日誌
6月24日(火)
 測量調査船は今日は出なかった様です。
 潜水調査船は、「作業船」という船を追加して(もしくは名前を変えたのか?)昨日よりも一隻多い、9隻で8:05〜8:45の間に出て行きました。今日は、波が午後から高くなったため、3:00頃から引き上げ始め、3:30には全ての船が引き上げていきました。

 守る会には今日も、たくさんの人達が訪れました。
 この間、マキシさんからヨーコちゃんの手に渡って守る会に届けられた、ピースボートの人達が海上セレモニーで使っていった横断幕があるので、僕は28日のカヌーデモで使える様に、12メートルもある横断幕の整備をしました。「米軍海上ヘリポート建設反対、辺野古の宝、ジュゴンの海を守ろう」と書かれた12メートルの横断幕です。当日は辺野古の浜に広げます!目立つだろうなぁ。お楽しみに!!
6月23日にあわせて来られた方たちが本当にたくさん守る会に来ます。守る会が忙しいのは良い事だけれど、昼飯が食べれなかった、うーー。(食べ盛り)
僕は地元はもちろん、日本、世界中に今のこの辺野古の現状を訴えたい。人として立ち上がっている人達の声を殺そうとする日本政府に僕は怒っています。ボーリング調査やめろーーーーーー!!!!
うららちゃんの戦跡めぐりの感想
 6月22日、私と篠原さんで南部戦跡めぐりに参加しました。嘉数高台、南風原陸軍病院跡、糸数壕、平和祈念資料館、魂魄の塔をまわりました。嘉数高台には、ようこさん達と何度か行ったことがありました。高台の上から、普天間基地がよく見える場所、という認識しかなかったのですが、日本対米軍の激しい攻防戦が行われた場所だということを、今回はじめて知りました。50日間に及ぶ戦闘で、日本軍6万4千人、米軍は2万6千人の戦死傷者が出たんだそうです。
 南風原陸軍病院跡、ここには「悲風の丘」、という碑がたっています。昭和41年に、総理大臣の佐藤栄作がたてたものだそうです。ここをはじまりに、戦死者を祀る、靖国的な碑があちこちにたてられていったということでした。

糸数壕で、私ははじめて、壕の中に入りました。足場が悪く、水で濡れていて、懐中電灯で照らしながら少しずつ進みました。広い場所に出て、持って来た懐中電灯を全部消してみました。漆黒の闇でした。本当に、一筋の光も無く、何も見えません。こんな場所で、どうやって怪我人の手当てをしていたんだろう。何日間ここにいたんだろう。きのう少しだけ聞いた戦争体験者の女性の話では、壕の中は死臭や垢の臭いや、様々な臭いが混ざってひどい状態だったそうです。
 それから、平和祈念資料館を見て、魂魄の塔までいってから、戦跡めぐりは終わりました。
すぐ身近に、戦争の跡が、たくさんあったのだ、と思いました。ちょっと意識して目を向ければ、生々しい戦争のあとは、あちこちにあった・・・・。でも、自分にそれをうけとめる心が無かったら、戦跡が教えてくれるものも、おばあの話も、教訓にならなくなってしまうと思った。
沖縄にいるという事をいつも忘れずにいたい。
写真展「記録と記憶のトライアングル」に行った篠原さんの感想
パッと見て自分はこう感じた。そんな見方でも、もちろんいいと思う。でも一枚一枚の写真が持つ意味が“深い”。歴史を、事件を、写体となった人が体験した事、頑張ってきた事を知っていればその“深さ”、写真家が伝えたかった、撮りたかった意味がわかってくる写真だと思う。初めて知った事実も一杯あった。歴史をもっと学びたい。その中で生きてきた人達の思いを考えたい。そして私に何が出来るのか・・・大したことは出来なくても、伝えること、参加すること、何でもいいから出来るはず。同じ人間として・・・と、そこまで考えさせてくれる写真展だった。見て、知って本当に良かった。
沖縄の新聞より
<2003年6月25日 夕刊 5面>

ジュゴンの里から発信/名護市・平島に自然保護ポスト
小泉首相に投かん自然保護などのメッセージを受けるポストを設置したジュゴンの里の有志の会やピースサイクルのメンバー=名護市・平島
自然保護などのメッセージを受けるポストを設置したジュゴンの里の有志の会やピースサイクルのメンバー=名護市・平島

 名護市東海岸で自然保護や地域おこしに取り組む住民グループ「ジュゴンの里の有志の会」(東恩納琢磨代表)が二十四日、同市東側の無人島・平島に、自然保護などのメッセージを発信するためのポストを設置した。普天間飛行場代替施設建設予定地に近い同島を訪れる人が投かんした書簡は、同会が郵送や直接届ける方針だ。

 この日、自転車で全国行脚し、反戦平和を訴えるピースサイクルの十四人が訪れ、基地の整理・縮小や有事法制反対などと書いたメッセージを稲嶺恵一知事や小泉純一郎首相あてにポストに投かんした。

 手作りポストには「ジュゴンの里一番地」と書かれている。東恩納代表は「この場所からメッセージを都市へ送り、つながっていきたい。ジュゴンの保護区設定など、自然保護に関する共通の思いを広げたい」と期待した。

<2003年6月25日 夕刊 5面>

オニヒトデ駆除、虚偽報告/名護漁協
一部組合員・業務上横領で元職員告発

 二〇〇〇年に名護漁業協同組合が実施したオニヒトデの駆除事業で、駆除が行われなかった日の作業分の賃金を、作業に参加しなかった漁民に支払ったとする偽りの事業報告があったとして、一部組合員が退職した同漁協の男性職員一人を詐欺や業務上横領などの罪で名護警察署に告発したことが、二十五日までに明らかになった。名護署は「内容を検討し、告発状を受理するか検討したい」としている。

 告発したのは、名護市汀間地区の組合員六人。

 オニヒトデの駆除事業は名護市の委託事業で、国二分の一、県三分の一、市六分の一を補助。二〇〇〇年度から実施されている。

 市によると、公文書偽造などがあったとされる事業の実施時期は、二〇〇〇年七月十二日から同十月末日までの三カ月余。延べ十二日間で百七十七人の組合員が参加したとされている。

 関係者の話によると、当時、駆除を行ったとされる期間中、実際は海上のしけなどで駆除が行われなかった日があったにもかかわらず、市への提出文書にはその日の作業分も組合員の名前と、作業代金を受け取ったとする領収印が押されていた。同職員は昨年十二月に退職している。

 同漁協の登川真徳組合長は「自分が組合長になる前のことで詳しくは分からないが、漁民から相談を受けていた。県や市の補助を受けて行った事業であり、(事実であれば)たいへんなこと。組合としても(警察の捜査)結果を受け、理事会に諮りたい」と話した。

 また、当時の組合長だった宮城慶三氏は「(駆除事業の実施は)職員から口頭で報告は受けていたが、毎年のことで、処理は適正にされていると思っていた」と話している。

<2003年6月25日 朝刊 2面>

「5年内返還」計画示せず/宜野湾市長、議会に陳謝
「9月に提示目指す」

 伊波洋一宜野湾市長は二十四日の市議会定例会で、公約として掲げた米軍普天間飛行場の五年以内の返還実現を目指す具体的なアクションプログラム提示について、「まだ、できていない。今議会に提示できなかったことをおわびしたい」と陳謝した。その上で「担当部局と具体的なプログラムを一日も早く作成し、九月議会での提示を目指したい」と述べた。

 前川朝平氏(21世紀クラブ)への答弁。前川氏は「具体案がないのに『五年以内の返還』と言うだけなら、市民を愚弄(ぐろう)するものだ」と、市長の姿勢を批判した。

 伊波市長は「就任以来、引き継ぎ事項に多くの課題があり、(五年以内の返還については)十分な取り組みができなかった」と釈明。一方で「県民世論を喚起し、米国に普天間飛行場の被害を訴えていくことで、五年以内の返還は実現できると確信している」と強調した。

 この質疑をめぐって、定例会は一時間空転した。

<2003年6月25日 朝刊 27面>

韓国・在日・沖縄の写真家がシンポ
基地と戦争の犯罪カメラ武器に告発

 沖縄と日韓の写真家が米軍基地や戦争責任について語るシンポジウム「韓国・在日・沖縄の写真家が問う!」が二十四日夜、琉球新報ホールで約百五十人が参加し開かれた。米軍による女子中学生れき殺事件をきっかけに大規模な地位協定改定運動が広がった韓国からの参加者は「米軍の事件・事故を減らすには国民が本気で怒り、抗議する必要がある」と、同じように基地被害に苦しむ沖縄の人々に訴えた。

 パネリストは那覇市松尾のジュンプラザで合同写真展を開催している写真家六人。司会の石川真生さんが韓国の地位協定改定運動や慰安婦問題、在日問題についてパネリストに問いかけた。

 従軍慰安婦をテーマに撮影するアン・ヘリョンさんは「日本は北朝鮮が拉致を認めたことで、過去にアジアでやった犯罪行為を忘れた。戦争犯罪を写真で訴えたい」と日本の姿勢を批判した。

 韓国の少女が米軍の装甲車にれき殺された現場を撮影、衝撃的な写真をマスコミに公開したイ・ヨンナムさんは「米兵の無罪判決に怒りを覚えた。米軍の事件・事故を減らすためには国民が本気で怒り抗議しないといけないと思い、遺族に許可を求めた。遺族も納得し、あの運動は盛り上がった」と経緯を話す。ノ・スンテックさんは昨年十二月、韓国の報道カメラマン百五十人がアメリカ大使館前でカメラを地面に置き抗議したことを「カメラが写す事実を武器にする私たちが、その武器を置きアメリカに抗議することで反省を求めた」と話し、写真家の主体的行動の必要性を強調した。

6月25日(水)

うららちゃんが広島に行くための旅費のカンパをよろしくお願いします!!
今年もじゅごんの家は反戦集会に参加するため広島へ行ってきます!!
広島への旅費は飛行機代・宿泊費で6万2千円。
うららちゃんはカンパを集める事にしました。
みなさん、広島行きのカンパをよろしくお願いします!!
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子


   
うららちゃんへのカンパはこちらまで!!→
晋くんの辺野古監視日誌
6月21日(土)
 朝、7:25辺野古漁港に着くと、台風の余波も無くなり、波は穏やかになっていました。
地形調査をするための測量船は7:30に出航。潜水調査船よりも一足早く出て行きます。ボーリング調査場所の特定のための潜水調査では前回の日誌(6月11日)で説明した6隻の船の他に「警戒船」という船を加え、測量船を入れると計8隻で調査を行っています。
 潜水調査は7:30から酸素ボンベ等の調査用の設備を積み込んで7:55最初のチームが出航。8:20までに最後の船が出て行きました。潜水調査は3:30から、4:00までの間に引き上げていきました。測量船は5:00以降引き上げていったと思います。

 守る会には連日「慰霊の日」に向けてたくさんの人が訪れています。
土曜日当番のタエさんは「晋ちゃん毎日大変でしょー」と気にしてくれ、紅いものムーチー(おもち)を差し入れてくれました。おいしかったー、グワッチーサビタン!
 おばぁ達の中には家庭の事情や足のけがでこれないおばぁもいます。いつもガジュマル公園に座っているおばぁもそうです。毎日、帰り際ガジュマル公園に寄って今日あった事やこれからの行事等を僕からそのおばぁに話してたのですが、今日そのおばぁが重い足を引きずりながら守る会まで来てくれました。とってもうれしい事です。良かったー。「寂しく家にいるよりもこっちに来た方がいいさー」とおばぁ。地道にやっていく事が人を繋げる事はたくさんあるんだなぁ。とにかく良かった!!

6月22日(日)
 午前、今日は日曜日でいつも休みですが、台風で出来なかった時間を取り戻すためか、調査船は昨日とほとんど同じ時間に出て行きました。
 測量船は7:30に出航。潜水調査船は7:30頃から用意をして、7:55には3隻、8:30までに後の4隻が出航していきました。
午後、3:30潜水調査船は引き上げていきました。測量船は5:30には引き上げていきました。

 今日は来客がピークでした。朝、8:00からひっきりなしに人がやってきました。守る会大忙し。
 途中、韓国から帰ってきた豊見山さんが来て、韓国の事を色々と話してくれました。
韓国で行われた女子中学生轢殺事件(2002年6月13日におきた米軍装甲車による女子中学生2人の轢殺事件)の追悼集会に参加した時の話です。集会主催者発表で「16万人」の集会、ほとんどが10代から20代の人達だったそうです。午後4時から集会が始まり歌や映像等のレクレーションがあって、平和団体からの発言が行われ、8時頃からろうそくデモ。
 轢殺された女子中学生の同級生達は自分達でサークルを作り集会に参加。中学生達は先頭でチャンゴ(韓国の民謡太鼓)を鳴らしながら歩いていたそうです。
 米大使館前では大学生や労働組合の人達と韓国警察との間で激突もあって、中学生達、参加者を守る形になりながらデモは続けられていたとの事でした。16万人の人達が道路を占拠状態にしながらも、走っていく車はクラクションも鳴らさず、ゆっくりとデモの人達と一緒に歩んでいたそうです。その様子に豊見山さんもびっくりしたと話してくれました。
 梅香里(メヒャンニ)は海が米軍射爆場として使われている地域。命を守る会と同じ様に団結小屋を作って米軍基地に反対している、その団結小屋の代表のチョン・マンギュさんがずっと一緒にいてくれ、色々と説明をしながら歩いてくれたとも言っていました。
メヒャンニに行った時には海産物を初めていただき祝福されたそうです。いいなぁ食べたい、、いつかメヒャンニにも行ってみたい。  沖縄の人と韓国の人々が繋がる事はこれから大きな基地いらないのうねりを作っていくと思います。絶対韓国に行くぞ!!
そんなこんなで色々な話を色々な人が守る会に持ってきてくれます。
明日は6・23「慰霊の日」。沖縄戦を繰り返さない、押し付けない、そういう事を願う一日にしたいです。

6月23日(月)
 月曜日、久しぶりに辺野古守る会を離れ、慰霊の日を迎えました。
 僕達が去年から参加している魂魄の塔での集会は今年で二十年、二十回目を数えます。沖縄戦が終わった日とされているこの日、沖縄は追悼一色になります。
 午前八時、県主催の慰霊祭の会場で平良悦美さん達が「STOP有事法制」のビラを参加者に渡すというので、ジュゴンの家と篠原さん、熊本さんの5人で参加しました。慰霊祭の参加者はおじぃやおばぁが目立っていました。稲嶺知事と保守派議員に自衛隊が参加するこの慰霊祭では有事法制の危険性や沖縄戦で沖縄の人々が築いた教訓をうやむやにしようとする動きが強くあります。僕達は沖縄の心とは一体なんだったのか、自分達も改めて考えるためにビラを参加者に渡しました。一度ビラを受け取ってくれた方に僕が間違えてもう一度、渡そうとすると「もらったよ!有事法制いらないよねー。がんばって」と声をかけてくれる。そういった人が多くいました。
 平和のいしじ(沖縄戦でなくなった人々の名前が刻まれている石碑)をみながら泣く人々がたくさん居る沖縄、戦争の傷はまだ癒えていない。基地がある限り、沖縄戦は終わらないのです。
 ビラを配っている時に出会うおじぃ、おばぁがそう、言葉を出さずに語っていました。

 ひめゆりの塔から魂魄の塔(多くの沖縄戦戦没者が眠るお墓であり、石碑)まで沖縄集会の参加者と歩いていきます。
さとうきび畑の中を思い思いに歩きました。途中、他の石碑に追悼に来ていた人々がこちらにうれしそうに手を振る姿もありました。後ろから来る車もクラクションは鳴らさず、行進を阻まない様にゆっくりと僕達を抜いていきます。
 今回の集会で僕が去年初めて参加した時と違っていた点は、参加者約300名の内の60人ぐらいの人が僕と同年代かそれ以下だったという事でした。
 集会の中では元与勝高校生達による歌やダンスもありました。歌の中には辺野古の人達と僕と与勝高校生の間で話を重ねる中で得たものを素にした歌もありました。心の奥の方に響き渡るとても良い歌です。「声にならない声を命の海に響かせ伝えたい」すんごく良い詩です。ジュゴン聞いてるかぁ、奄美大島に旅行しにいっている場合じゃないぞー。
 歌の間には詩の朗読もあって、戦争は絶対繰り返してはいけないという沖縄の高校生の強い思いが伝わってきました。
 平和市民連絡会、イラク派遣団からも発言があって、平良夏芽さん、島田正博さんは「今のイラクは戦争は終わっていない」とし、これから何をするべきか訴えました。
 閉会のあいさつで平良修さんが「この集会があったからといって沖縄から基地がなくなるわけではありません。私達がここに至るまでの血と汗を流しながら得た、集約点が今日なのです。ですから、沖縄戦、そして私達がここにくるまでに築き上げてきた今の現実を踏まえてここから出発する事が大事なのです。そこに基地をなくしていく力が存在します。」と言いました。僕はとても感動しました。
 
 一年、一年と積み上げていく中で得たもの、それは自分の内容であり、地道に作り、繋げて来た人との関係なのです。それが沖縄から基地をなくす大きな力になりえるという確信が少しづつ見えてきます。
 6月23日、今日この日は僕にとって、おばぁ、おじぃにこれ以上涙を、世界中の人達に侵略戦争での涙をこれ以上流させてはいけないという事を考えさせられる日でした。今なお、とめどなく、沖縄は涙を流し続けています。辺野古のおじぃ、おばぁは基地建設のための調査を見て、涙を流しています。
 僕は基地をつくらせない事で笑顔を取り戻したい、戦争での罪を償いたい。真心で大和と沖縄が関われる世の中を作りたいです。まよなか★しんやさんの歌「命どぅ宝」が僕にはとっても印象に残っています。「命どぅ宝♪ぬちどぅたからー♪私達はあきらめないよ、平和と自由と愛を求めて、今日も生きてゆくよー♪」
 僕はあきらめずに今日も平和と自由と愛を求めて生きていきます。沖縄戦で亡くなられた人々の命の叫びを胸に。
沖縄の新聞より

琉球新報
戦争、基地の傷跡写す/日韓カメラマンが写真展

 「記録と記憶のトライアングル―韓国、在日、沖縄を撮る10人の眼」をテーマにした写真展が24日から那覇市の国際通り沿い(旧国映館向かい)のJun Plazaで始まった。29日まで。入場無料。

 韓国、日本、沖縄を活動拠点とする写真家10人の約250点が展示された。在韓米軍の装甲車にひき殺された少女の遺影、沖縄戦の体験者たちの体に残る傷跡を撮影した強烈な印象が残る作品が、来場する人たちの目を引き付けていた。

 実行委員会は「反米、反基地の告発がテーマではなく、戦争をなくすにはどうするかといった大きなテーマは人権や人間性の回復」と語り、多くの来場を呼び掛けていた。

 24日午前10時すぎからオープニングセレモニーが行われ、韓国からの写真家5人も参加した。イヨンナムさんは「米軍による被害、犯罪を考えるために今後も沖縄と韓国の人々、そして私たち写真家もいろんな形でつながっていきたい」とあいさつした。

 写真展はこの後、大阪、東京、韓国で開かれる。24日午後7時から写真家によるシンポジウムが那覇市泉崎の琉球新報ホールで開かれる。入場料500円。

写真説明:韓国、日本、沖縄で活躍するカメラマンの作品が展示された「記録と記憶のトライアングル」=24日午前、那覇市

6・23国際反戦集会/国の動きを批判

 平和・民主団体による「第20回6・23国際反戦集会」が23日午後、糸満市米須の魂魄(こんぱく)之塔近くで行われた。

 集会では沖縄戦体験者が有事関連法可決など平和の問題にかかわる国の動きを批判。高校生らが歌や詩の朗読などを通して、平和の大切さを訴えた。

 集会では1944年の十・十空襲を体験した当間孝太郎さんが「天皇がもっと早く降伏を決断していれば、原爆投下も沖縄戦もなかった」と強調。

 「憲法前文は政府の行為で戦争が起きることがないよう決意すると記している。しかし、日本政府は今、アメリカの戦争についていこうとしている。それを止めることが私たちの願いだ」と語った。

 イラクの医療施設に医薬品を届ける活動を行った牧師の平良夏芽さんは「イラクは毎日銃撃戦が起きている。戦後が始まったとは思わないでほしい。戦争はまだ続いている」と語るとともに、米国のイラク攻撃に加担した日本はイラクに対し謝罪と戦後補償をすべきだと訴えた。

 今年3月、米ニューヨーク市で創作ダンスや琉舞を通して平和の大切さを訴えた県立与勝高校の生徒らが、自作の歌やダンスを披露し、平和への思いを今後も語り継ごうと呼び掛けた。

 同集会には例年以上の参加者が詰め掛け、各民主団体の報告に熱心に耳を傾けていた。

沖縄タイムス
<2003年6月22日 朝刊 23面>
「給油機は緊急着陸」/米軍回答、胴体着陸に言及せず
普天間飛行場

 海兵隊報道部は二十一日、本紙の取材に対し普天間飛行場で二十日午後五時半ごろ、KC130空中給油機が緊急着陸していたことを明らかにした。「四つのエンジンのうち一つがトラブルを示していたため」と説明、「予防的着陸」を強調した。

 県警は「C130輸送機が緊急着陸しエンジンが使用不能」と発表していた。これを受け、那覇防衛施設局が海兵隊外交政策部(G5)に二十一日、確認したところC130輸送機ではなく、「KC130空中給油機の緊急着陸だった」ことを初めて明らかにした。

 日米地位協定で米軍に基地管理権が認められており国、県、在沖米軍トップで構成する三者連絡協議会合意でも緊急着陸は、地元当局から照会があった場合に「できる限り」通報することになっている。基地内のこうした事故の状況や、原因を確認する方法が日本側にはないのが現状だ。

 また同報道部は、CH53大型輸送ヘリコプターの事故については「離陸時に誘導路を移動中、(車輪など)着陸装置に問題をきたした」と説明した。県警が「胴体着陸」と発表したことについては言及しなかった。

 宜野湾市議会基地関係特別委員会の桃原功委員長は「事故からすでに二十四時間以上がたっているのに、私たちには情報が伝えられていない。週末とはいえ、事故が起きたからにはもっと米軍は説明するべきだ」と批判。二十四日に、委員会を開催し市議会として抗議を呼び掛ける意向だ。

<2003年6月22日 朝刊 23面>
機銃搭載車に子供乗せる/キンザーフェストで米兵ら

 米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)で二十一日開かれた「キンザーフェスト2003」で、米兵が機関銃搭載のジープに子供たちを乗せ、機関銃に触らせるなどした。

 機関銃装備の車両は、基地会場内の一角に、クレーン車や軍用車両などと一緒に展示。車上では、米兵が子供たちに銃のグリップを握らせたりした。一角には親子連れが集まり、試乗を待ったり、機関銃を握った子供の写真を撮る姿もあった。

 昨年の同フェストでは、実弾は入っていない機関銃の引き金を子供に引かせ、親などから「人を殺傷する銃を子供たちに触らせるとは不謹慎だ」との声が上がった。


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