「ジュゴンの家」日誌
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4.1 4.3

4月14日(日)そのA 4.13(土)
沖縄に来て初めて海に入るうららちゃん!モズクを取りにLet’t Go!
わたしがとったモズクです 朝市のおばー。今日は島ラッキョを買いました。
1パック150円!安い!
午後から晋くんは辺野古の命を守る会へ 辺野古の海でとれた魚です
お料理ルンルン! 今日の夕食は、鶏から揚げのネギソース、人参サラダ、島ラッキョ(瀬嵩の朝市で買った)インゲン(武清さんのお母さんがつくった)の胡麻和え、しいたけと卵のスープでーす。
(野菜はほとんどいただきもの)


←ジュゴンの家には吉田さんが遊びにきました。
 
今日の来訪者・・・・
   タマさん、千鶴子さん&こうた君、 
   吉田さん、女性4人組み
差し入れ・・・
    武清さんのお母さんから畑でとれたインゲン、
    千鶴子さんからレタス、キャベツ、ニラ、ネギ         
晋くん日誌海の家
4/13(土) うららちゃんにモズクをとりにいってもらった。(沖縄に来て初めて海に入るうららちゃん!?)
 朝市に行きスミおばぁとゆんたく。「旧の3月3日が一番潮がひいていくさぁ。そのときにモズクも貝も取ったらいいよ」とおばぁ。
 午後から辺野古へ。旧の3月3日「浜下り」の日は米軍基地キャンプシュワブも開放されます。
 「シュワブの浜はシジミもたくさんいてねぇ、とてもきれいよ。でも今はどうか・・・あそこもどんどん汚水を流しているからねぇ」とタエおばぁ。バイクでも入れるから絶対来なさいと話をしてくれました。僕は「NO WAR!」と「No to US Bases!」のステッカーが張ってあるバイクで基地に乗り込むのはちょっととうかなぁと思いました。
うららちゃん日誌 海の家
4/13(土) 久しぶりに海の家へ!モズクとりをしました。浜にはモズク取りをしに来た人がたくさん。海パンでざばざばと海に入っていきました。水が重くて前に進みにくい!!楽しい。波にふよふよ浮いているように見えるもの、それがモズクでした。つかんでぷちっと取り、海の中で洗う。とても楽しかったです!!琢磨さんとカンタ君、琢偉くんも来ていておおはしゃぎ!
 海の家に戻ると南部から来たご夫婦がいました。ちょっとドライブに行こうか・・・と出かけると、いつもヤンバルまで来てしまうくらいヤンバルが大好きなんだそうです。今、モズクを取ってきたばかりなんですよ!と話すと、南部も昔は自然がいっぱいでモズクも取れたんだけど、戦争で山を爆撃されたり、海は埋め立てられてしまうし、もうほとんど取れないのよね・・・とそのご夫婦は言いました。今度はジュゴンの家にも寄ってくださいね!と言いました。
第5回 身近な自然に親しむエコ・ツアー
泡瀬の干潟を歩く

 本島で最大規模の泡瀬の干潟。「生物のゆりかご」ともいえる干潟。
大潮の日、人のくらしとつながりや干潟で生きる生き物たちといのちの循環に、思いをめぐらす一日にしてみませんか。
   と  き: 4月29日(月) みどりの日・公休日
          集合・午前10時   (セミナーハウス)
          解散・午後4時30分(セミナーハウス)
   講 師: 藤井晴彦さん(沖縄県公衆衛生協会・生物環境担当)
   参加費: 1,000円(保険代・交通費・資料代込み)
   持ち物: 弁当 水筒 帽子 軍手 ぬれてもよい靴または長靴
         (お子さんは着がえもあれば安心です)
   定 員: 25名(定員になり次第締め切ります)
   コース: セミナーハウス → 泡瀬の干潟 → セミナーハウス


 お申込・お問い合わせは・・・・・
    ぎのわんセミナーハウス  Tel 098−898−4361

梅蘭
(めいらん)沖縄・アジア 交流ツアー 
沖縄「復帰」−日中国交
 共に30年 真の民衆友好を歌い合おう
日時: 5月14日(火)午後7時〜
場所: 佐喜眞美術館(Tel 098−893−5737)
会費: 1000円
プロフィール
1965年 上海市生まれ/国籍・日本
1973年 少年少女合唱団入団、少女歌手として活躍
1987年 歌手デビュー
1988年 初来日
アジアツアー日程 沖縄交流日程
台湾・ソウル 3月 5/13(月) 名護
平壌 4月 5/15(水) 那覇
北京 5月
東京・上海 6月
マレーシア 7月
タイ 8月






  

 ジュゴンに保護適用・環境省方針  鳥獣法改正案に盛る・普天間代替へ影響<2002年4月13日 朝刊 2面>
 環境省は12日までに、今国会に提出している鳥獣保護法改正案の中で、沖縄本島沿岸に生息し、国の天然記念物のジュゴンを同法案に基づき、保護対象にする方針を明らかにした。保護対象になれば、捕獲の基準がさらに厳しくなるほか、鳥獣保護区の特別保護地区を設けると、海上の埋め立てや護岸工事など開発が規制できる。ジュゴンは沖縄本島北部の東海岸で多数目撃されており、名護市辺野古沖に計画されている普天間飛行場代替施設の建設にも影響を与えそうだ。

 環境省では、今年6月の改正案成立を目指し、施行は来年4月以降になる見通し。 同法案ではこれまで、海に生息するほ乳類は適用外だった。改正案の定義で「鳥獣」とは、鳥類とほ乳類に属する野生生物と位置付けている。保護対象としては、ジュゴンのほかにアザラシ五種やニホンアシカを対象としている。一方でクジラやイルカは対象外になる予定。 ジュゴンに関しては同省が、今年2月から3月にかけて、沖縄本島周辺で、目視調査や藻場の広域的調査を行っている。調査結果は6月にもまとまる予定。 ジュゴン保護では、今年2月、国連環境計画(UNEP)が「早急な保護対策を講じないと絶滅する」と報告書で警告しているほか、国際自然保護連合(IUCN)でも、日本政府に保護を行うよう勧告している。

 

4月13日(土)第36回 金曜集会
今日は一番乗りだけど、仕事のため、
みんなが来る前に帰ったしんやさん。
6年前の今日、遅くとも7年後には「普天間基地返還」と
橋本・モンデールが発表したが、あと1年後に全面返還
されるなんて思えない。
いろんなことはとにかく返還してから考えればいい!
キャンプシュワブに近い瀬嵩で照明弾を落とす
訓練や銃声がうるさい・・・20数年いてこんなに
うるさいことはなかった・・・・とトミさん。
ジュゴンの家からは晋君がモズク取りのことと
辺野古での訓練が朝5時から行われていること、
うららちゃんは全日空の精神障害者搭乗拒否について
とそれに関するサクちゃんの詩を読みました。
名護市長選での不正な不在者投票・・・。選挙がきちんと行われるために「不在者投票研究会」を立ち上げました。
15日2時から県庁記者クラブで記者会見をやります!みなさんきてね!とともちゃん!今回の沖縄市長選から監視活動開始!
自衛隊基地内の土地を返してもらったことを話すあやのさん(詳しくはジュゴンの家日誌4月9日をみてください)。今回行ったら平らに整地されていたが、前回行ったときは訓練用に土を持ってきて丘を作ったり穴を掘ったりしていたそうです。監視している自衛隊員にも紅白饅頭をあげたそうです。
ビエケスでは米軍の実弾演習が始まり、地元住民は着弾地点にフェンスを切ってはいり演習を阻止する活動をしている・・・・とメールがきたと真喜志さん パレスチナのことを切々と話す宜保さん。
「身近な自然に親しむエコ・ツアー」の
お知らせをする又吉さん
うららちゃんの話を聞いて、障害者とか障害者でないとか
誰が決めるのか・・・国政さん。
「ゆうなの花」を歌いましょう!と西尾さん ゆうなの花
金曜集会が終わって「あごら」へ行きました。福の木診療所の知念先生、はんたぴあの嘉手刈さんも来ていました。豚肉の竜田揚げ&レタス・トマト、大根とネギの味噌汁、からし菜と油あげのおひたしとコーヒーで600円!「あごら」はモノレールの駅ができるため立ち退かなくてはいけません。今、新しい場所を探すなど、上地さんたちはがんばっています!知念先生や上地さんにANAの精神障害者搭乗拒否の話をしました。
「あごら」の向かいにある「たこちゃんハウス」!姉妹店ですので、よろしくね!
悦美さんから貴重なジュゴンの写真や新聞記事を
いただきました!!!!

ありがとうございまーーーす!!
命を守る会の吉田さんから電話&メール
 今朝、辺野古の沖合に揚陸艦が来ていました。水陸両用車が十五台、浜を汚して行きました。
本の紹介
         
「老斤里(ノグンリ)から梅香里(メヒャンニ)まで」(日本語版)             【駐韓米軍問題解決運動史】

第1章 癒えることのない民間人虐殺真相究明闘争史
第2章 珠玉のような草の根民衆運動史:地域別運動史
  *東豆川、議政府、龍山、仁川、平澤、群山、春川、大邱
第3章 三つの硝子玉を繋いで宝物を作ろう
     :全国連帯運動史
        *米軍基地取り戻し、SOFA改正、梅香里
第4章 共に育てる連帯運動:主題別連帯運動
        *米軍犯罪、環境問題、平和教育今後の課題
付録 等

本体価格 2,000円+税

<ご注文は以下まで>

E-mail:yoosa@oic.ac.jp 都裕史(Do Yoosa)
Fax:06−6562−6905 キップンチャユ日本事務所<Free Space Local>
郵便振替 00920−6−92695 「沖韓民衆連帯大阪」

<発売元> 宇多出版企画 
          奈良市公納堂町11ならまち文庫内
          Tel&Fax 0742−27−3130


4月12日(金)4.10 ジュゴンの家
新城さん手作りの野菜。
「持てる分だけもってきたよ」・・・ありがとう
ございます。
今晩の夕食
さばのトマト煮、新城さんからもらった人参、
インゲンで人参サラダとインゲンのツナマヨ
ネーズ和え
ともちゃんがやってきました。 辺野古のもずく
4.11 命を守る会
今日も元気な嘉陽のおじー 命を守る会の事務所内
訪れた人に話をする嘉陽のおじーとそれを聞く来訪者の人達
晋くん日誌 海の家
4/10(水) 朝市のはつねおばあが来て、「晋ちゃん、約束のもずく取り行くよ!」と声をかけられ、ひまわりハウス裏の浜(海の家のある

浜から少し離れた所にある浜)でもずくとりに初挑戦! もずく取りってどうやるのだ!?と思って海に入ってみると、そこはもずくだらけでもずくが海面に浮いている。「うわぁ!たくさんあるぞ!海の幸〜♪」とはつねおばあとはしゃぎつつ、もずく取り。でもおばあからの注意「晋ちゃん、海の幸をもらうというのはどういう事か分かるね? 感謝するという事だから、食べる分だけもらうんだよ。いいね?」もずくを取りながらはつねおばあから色々な話を聞きました。「今日はおばあも、実はもずく取り2回目なんだよ。いつも農業やっているし、海は恐いもんだと思っているからね。それに今、工事やら何やらで海が汚れていてね、もずくの処理(もずく洗い)大変だからね。食べる時は必ず軽くゆがかんとだめだよ」今や海の幸をもらうのも大変で一苦労だ。こうやって日々を農業や海の幸をとって暮らしてる人達は、自分たちの場を汚されながらもしっかりと世の中を見て、つかみ、工夫して生きていると思いました。まよなかしんやさんが「私達は昔の昔から海に学び、山に学び、聞いてきた」と歌ってました。もっと大きな視点を持とうと、もずくを取りながら思いました。

4/11(木) 「今日も、もずく取り行くぞ!」と思っていたら、あいにくの大雨。海面が汚れていてもずくが見えず、辺野古の浜辺に行ってみて「そういえば!」と見渡した。すると、浜辺のそこら中に打ち上げられたもずくが。びっくり仰天。瀬嵩でも「もずくだらけじゃん!」と驚いたのに、辺野古はそれ以上でした。命を守る会に行くと、今日初めて来たというおばあもいて、5、6人が集まっていました。サーターの作り方から、農業のことなど、色んな話題でゆんたくしました。守る会には今日、70人余の人が訪れ、嘉陽のおじいが愉快に楽しく、はっきりと、今日も語っていました。

教訓・・・「おばあ達から教えられる、場づくりの心得。もうちょっと具体的に学ぶべき」
うららちゃん日誌 じゅごんの家
4/11(木) なごみに通っているユキさんとマキさんが来店されました。国会に通されようとしている保安処分のことや、保安処分反対集会に「街」と「ジュゴンの家」が参加することを話しました。 石川真生さんが来られて、服の寄付を下さいました。ありがとうございます。新垣さんや、今日ようこさんと一緒に新しく作業所を立ち上げるために金武へ行って来た千鶴子さんがきました。ようこさんと千鶴子さんと私の3人で、ようこさんの入れてくれたハーブティーを飲みながら話しました。金武には作業所がありません。当事者の人達はデイケア以外に行く場がなく、今度新しい場所を有志でつくるそうで、沖福連の派遣指導員としてかかわる千鶴子さんは「これから作っていくものだから、これからが楽しみだね」と言っていました。ハーブティーは、とてもいい香りがして、おいしかったです。夕食は、昨日新城さんからいただいた野菜を使ってありちゃんが、いんげんとツナのマヨネーズ和え、人参とレーズンのサラダ、さばのトマトソース煮でした。すごくおいしかったです。新城さん、ありちゃん、どうもありがとうございました!!

4月11日(木) 4.10 じゅごんの家
午前中の仕事を終え、昼ご飯を食べにジュゴ
ンの家にきた武清さんとありちゃん
瀬嵩のはつねおばーといっしょにもずくを
とってきた晋くん
うららちゃん日誌 じゅごんの家
4/10(水) たまさんが来店し、石川真生さんが寄付してくれた応接セットに値段がついてるのを見て「安い!!私、買うわ!!」と、お取り置きすることになりました。お昼になると、武清さんとありちゃんがお弁当を食べにお店に来ました。お弁当を食べながら、浜下りのことやお仕事の話などをしていると、那覇の国際通りにある「海想」というお店の人がふらっと入って来て、「こういうものを作りました」とジュゴンのグッズとかがたくさん載ったパンフレットを置いていってくれました。東海岸の瀬嵩で、はつねおばあともずくを取っていた晋くんも、とったもずくを洗いにお店に戻ってきました。お昼が終わって、武清さんとありちゃんはまた仕事に出かけていきました。

 毎週水曜日、病院に行った帰りに必ずお店に寄ってくれる、新城さんが来てくれました。家の畑で作った野菜をたくさんくださいました。「重たいから持てるだけ持ってきたよ。また持ってくるね」と言ってくれました。とてもおいしそうな野菜でした。今日はその野菜を使って、サラダをつくりました。どうもありがとうございます。新城さんがお好きそうだと思ってとっておいた黒いビロードのスカートを「きれいね、はいてみたら、ぴったり合うわね」と、気に入って買って行ってくださいました。

 ともこさんがいらして、しばらく店内の品物を見て「またゆっくり話をしにくるわー」と、お皿の寄付をしてくださって、帰ってゆかれました。ありがとうございました。

今日思ったこと・・・ジュゴンの家が、「街」が大切。ここで生きていきたい!!

泡瀬干潟埋め立て問題で揺れる沖縄市の市長選挙に、桑江テル子さんが立候補します。

中心市街地に新たな風を桑江テル子の商店街活性化「きらめきビジョン」
悪政不況 失業者増加 目立つ空き店舗
こんちくしょう。どうしましょう。変えましょうこのまちを。テル子とともに!!
 大店法改悪や経済不況、商店街振興策の立ち遅れで、中心商店街は経営難に苦しんでいますが、いまの市長は商業者の苦境に背を向け、東部海浜(泡瀬干潟)埋め立てに躍起になっています。
 東部海浜埋め立て面積は、中心市街地の中央区、胡屋区、中の町区、園田区がすっぽりとはまる広さです。あれだけの広さに大型ホテルやショッピングモールなどの新たな商業地をつくると言っています。
 もしこの計画が進められると、長い歴史のなかで築きあげてきた中心商店街はますます衰退することは目に見えています。こんなことを許していいのでしょうか。
 桑江テル子さんは、不透明な埋め立て事業(300億円)よりも、中心市街地の活性化にこそ沖縄市発展のカギ、と確信し、「商店街活性化きらめきビジョン」を提唱しています。
歴史を大切に、新たな感性を発揮する商店街
 各商店街の歴史を大切にしながら、時代に合った商業環境の整備をすすめ、商店街を訪れる買い物客や観光客がゆっくりと楽しみながら、歴史や文化に触れられるような各商店街の「持ち味」を発揮する回遊商店街をつくります。
●市民の台所として、生産者と直結した 安心して買い物ができる商店街
●若者、外来者でにぎわう ヤング文化を発信する商店街
●中・高齢者の安らぎと伝統文化が充満する商店街
●外国の文化と商品に出会える商店街
 各商店街をつなぐための道路網の整備、駐車場誘導システムの整備、新たなバス路線の開設。
 コミニティーバス、シャトルバス、路面電車など、街に適した交通機関の整備を検討します。
 元気な街・ひと よみがえらそう330 
空き店舗を活性化の資源に 330号線に躍動感を取り戻そう
 国道330号線の空き店舗は物凄い件数になっています。でも、あきらめてはいけません。

 空き店舗を有効に利・活用して商店街の魅力を高める資源にします。そのための支援制度、融資制度を拡充強化し、新たな支援制度を創設します。
空き店舗を 芸術文化活動の場へ
空き店舗を 起業者の活躍する場へ
空き店舗を 農水産物共同販売の場へ
空き店舗を 福祉団体生産品のショーウインドーへ
空き店舗を ストリートポケットパークへ
空き店舗を 学校5日制に伴う児童活動の支援の場へ
元気のある街づくりは元気のある人から 人づくりのための「商い人材塾」を開設
 街づくりを総合的に計画、実行できるリーダーや消費者のニーズに合った業種・商品構成および経営指導(相談)、起業者支援、商業ボランティアなどの人材育成に力を入れます。

市民、商業者、行政が協働でつくる商店街
中心商店街は街の顔
 市を愛するさまざまな人々の結集する「沖縄市街づくりNPO」(民間非営利組織)を設立し、市民参加による商店街活性化事業をすすめます。
「特産品開発研究所」(仮称)の設立
多くの市民や各分野の専門家を結集し、特産品を研究、開発、商品化します。
 桑江テル子プロフィール 
●1938年9月8日名護市(旧羽地村)に生まれる
●名護高校、琉球大学国文科卒
●中学教諭(3年)
●琉球新報記者(11年)
●沖縄市役所(24年)
 1999年に福祉部長で定年退職
●同年5月「うないネット・コザ」設立(主宰)

●県労協婦人部事務局長、自治労県本副委員長
 連合沖縄女性委員長、沖縄市職労委員長を歴任
●「基地軍隊を許さない行動する女たちの会」前事務局長
●「習慣と性差別研究会」代表
●「那覇女性史」執筆委員
●「沖縄を知る事典」執筆委員
●著書「沖縄からの告発」(1999年 ゆい出版)
沖縄初の女性市長を。

通報は4時間前/「24時間前」制度守らず <2002年4月11日 朝刊 2面>
 勝連町のホワイトビーチに十日午後二時すぎ、米海軍のロサンゼルス級原子力潜水艦「シャルロット」(六、〇〇〇トン、船長=T・W・ベイリー中佐ら百三十人乗り組み)が入港した。外務省から県に第一報が入ったのは約四時間前で、二十四時間前通報の制度が守られなかった。米軍は寄港目的を「病人の移送」としている。

 昨年九月の米同時テロ以降、政府の要請を受けて県は原潜入港の二十四時間前通報を報道機関など一般に公表していない。しかし、県には従来通りに連絡が入り、地元勝連町や漁業関係機関には連絡する仕組みだ。

 シャルロットは午後二時すぎにホワイトビーチ沖合に停泊し、陸からタグボートが寄った後、数分後に出港した。ホワイトビーチへの原潜寄港は二月二十四日以来で今年三回目。復帰後百七十八回目。

 外務省から県に連絡が入ったのは同日午前十時十五分。勝連町は午前十一時前に「午後四時に入港する」と一報を受け、午後一時前に「約一時間後に入港する」との変更の連絡が入った。

豪潜水艦が入港/5カ国合同訓練に参加か
 勝連町のホワイトビーチにオーストラリア海軍の潜水艦「HMAS FARNCOMB」が六日に入港し、停泊している。米軍と自衛隊以外の潜水艦がホワイトビーチに入港するのは異例で、県が事実確認を急いでいる。十二日に出港予定。

 関連は不明だが、沖縄本島北東約四百キロの海域で日本、米国、韓国、オーストラリア、シンガポールの五カ国が参加する第二回西太平洋潜水救難訓練「パシフィック・リーチ2002」が二十二日から五月二日まで行われ、オーストラリアの潜水艦一隻が参加する。

 また、十日までに米海軍佐世保基地を母港とする揚陸艦、エセックス(四〇、五三二トン)とジュノー(一六、五〇〇トン)、フォートマクヘンリー(一一、一二五トン)、ジャーマンタウン(一五、七二六トン)が相次いで入港した。


4月10日(水)4.9ジュゴンの家
昨晩、すごいピカピカとお昼のように明るく光る稲妻!!
何度もシャッターを押して、なんとか撮った写真です。
則子さん植えたアマリリス!
お店に来た男のこが「赤い花きれい」と
言ってくれました。
富山出身で、この春まで東京で靴をつくる
専門学校へいっていたなつこさん、海風に
泊まっていて、今日は師匠と辺戸岬まで行
って来たそうです。
夕食は、とんかつ!!!
ひさしぶりにありちゃんがつくってくれました。
(最近は晋くん&うららちゃんが食事をつくってくれます)
うららちゃん日誌 じゅごんの家
4/9(火) いつも来てくれる仲田さんがお好みのスカートを見つけてとても喜んで買ってくれました。又吉さんも明日から幼稚園にいく息子さんと一緒に来店して、買い物をして行かれました。
じゅごんの海の家
おじーやおばーの話を本にしました。
出来たらジュゴンの家にも持っていきますね!
今日も辺野古には米兵が・・・。
晋くん日誌 海の家
4/9(火) 辺野古の命を守る会に行くと、どろんこ保育園のともちゃんと嘉陽のおじぃやおばぁがゆんたくしていたので参加しました。
 嘉陽のおじぃ(じゅごん会代表)が日本海軍にいた頃の話をしてくれました。軍にいたころも几帳面だったおじぃ、お金は一切使わず、家族に送金していたそうです。ベトナムで通信兵をしていたとも言っていました。
 「わしゃぁ、軍にいたってただでは転ばん!ベトナムに行ってたときは人を殺す教育なんてすっぽかして、農地を見て学んでまわったぞ」。戦争が終わったらベトナムで(ベトナムの人達の着ていた服を見て思ったそうですが)服をつくる機械の輸入業を考えていたそうなのですが、終わってみればそれどころではなかった、自分もケガをしていたとの事でした。
 いつも愉快に明るくしゃべるおじーですが内容は壮絶だと思いました。
 「もう、このヘリ基地問題から僕達は逃げ出せはしないのですから負けるわけにはいかんのですよ!」とかようのおじーは今日も元気でかっこよかったです。 

風の里あやのさんより・・・
 春ですね。皆様いかがおすごしですか?
年賀状、お便り、通信などを頂きながら返事も出せずに失礼ばかりしていますが、私は元気です。
 地元の佐敷干潟を守るために、地域の女性たちと、シオマネキにかけて「しあわせまねきの会」を立ち上げ、親子で参加できる楽しい観察会をしたりクリーン作戦をしたりと、自然の中で活動できることは、ありがたいことだと実感しました。
 経営しているお店「風の里」は、やっと増築工事が終了し、カフェレストランとして12月18日にリニューアルオープンしました。新たに仲間が二人加わり、おかげさまで毎日たくさんの方に喜んで頂いています。
 すこし軌道に乗り始めたころから、名護市長選の応援で名護通いをしましたが、悔しい結果となりました。やっと元気をとりもどし、さてこれからどう新しい展開をしようかと思っていた矢先に、あけぼの出版社長の古謝将嘉氏、沖縄戦の歴史研究家の久手堅憲俊氏と高江洲義一氏のお三方が、私を尋ねてわざわざ「風の里」に来てくださいました。
 どこかで「満月まつり」のことを聞いて何か一緒にできそうと思われたようです。またしても必然的な出会いのようで、すぐさま生き投合意し「風の里」で何度も話し合いを持ち、【アジアの国々へ展示用写真集『沖縄戦と基地』を贈る会】を立ち上げる運びとなりました。
 また、話し合いを重ねるうちに、古謝さんの提案で「お互いの知識や体験をもっとみんなでシェアし合えるようにする必要がある、それぞれの体験を皆でじっくり聞くための定例会を創ろう」ということになり、毎月第2金曜日・午後7時・「風の里」に集まる「風の会」を、4月からスタートすることになりました。
 そして、第4回「満月まつり」は韓国の鄭柚鎮さんともコンタクトをとりつつ開催日を今調整中です。今回は、再びこのような惨状を繰り返してはならないと、長年頑張ってこられた先輩方との協力体制が生まれ、一緒に実行委員会を立ち上げる事になりました。いつも目に見えない大きな力に助けていただいているような感じがありましたが、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
 やりたい事はたくさんあって、毎日時間が足りなくて、また明日頑張ろうなんていいながら、思っていることの半分もできていないもどかしさはありますが、日々充実している事は確かです。
 世界の状況を考えた時、暗澹(あんたん)たる思いに陥りがちだからこそ、深刻病にならないよう、できることをせいいっぱいやる事が大切だと私は思っています。皆様も日々お忙しい中ご奮闘なさっていることと思いますが、どうか、呼びかけ人または、賛同人になってください。

追伸 展示用写真『沖縄戦と基地』をご希望の方は、購入申し込みをなさる場合に、ぜひ「満月まつり」とお書き添えください。その場合は、収益のいくらかを「満月まつり」の運営資金に使わせていただく事になっていますので、ご協力よろしくお願い致します。
                                       シオマネキのしあわせまねき


「風の会」へのお誘い
 

 人はこの地上に降り立ち、この地上を去る時までに、何を観、何を感じ学び、どのような体験をし、どう考え生きるのでしょうか。
 人は生きてきた証として、何を残したいと願うのでしょうか。人類の存続が危ぶまれている現在、愚かな過ちを再び繰り返さない決意と、進むべき方向を誤らぬよう歴史の事実と対峙することが、いかに重要であることか。歴史を知識としてのみにとどめず、また記憶としてのみにとどめず、個的体験を共有し合い、継承することができるならば、それは貴重にして固有な全体史として、互いの生き方に確実に影響を及ぼすのではないでしょうか。
 共に生きる平和な時代を迎えるために、「風の里」では月例会として、毎月第2金曜日、午後7時から集う「風の会」を4月からスタートさせます。
 このささやかな集いが、混迷を極めた道すがらの、足元を照らす光りを見出す、よすがになればと願っています。
第1回 久手堅憲夫さんをお招きして
 南島地名研究センター幹事。沖縄の歴史に関する造詣が深く、昨年は『首里城ーなりたちから今日まで』を著しています。
 今回は東御巡拝(あがりうまーい)に関するお話しを中心にした、沖縄の歴史の深みに触れられるまたとないチャンスです。どうぞ、おいでください。

 日 時: 4月12日(金) 午後7時〜
 場 所: カフェレストラン「風の里」
        佐敷町新里129 TEL 098−947−1187
 参加料: 一人 1,000円(資料代・ワンドリンク付・・・コーヒー・紅茶・ジュース)

 「街」日誌より

飛行機搭乗拒否事件と精神障害者差別問題(その傾向と対策について )
     池辺 進 「おりふれ通信」bQ07、2002年2・3月合併号
 ジュゴンの家でもこれを読んでびっくり&怒!!!
ちょうど、近くのクリニックに通っているお客さんがきたので話すと初めは、精神障害者が飛行機にのれないなんてあんまりひどいので「そんなことないさー、みんな乗ってるさ」と、信じてもらえなかったくらい・・・、信じられないほどヒドイ話です。これは、知らないだけで、こんなきまりがたくさんあるのかもしれません。こんなきまりおかしいです!!

4月9日(火) 4.7(日)ジュゴンの家の夕食
八重食堂の八重さんからの差し入れ。
清明(シーミー)のために作った料理を
雨の中ジュゴンの家まで持ってきてくれました。

八重さん、ありがとうございます!!!
うららちゃん日誌ジュゴンの家
4/7(日) 今日は、午後から雨が降りだし、どしゃ降りになりました。雨のせいかお客さんは一人も来ませんでした。これから梅雨に入るから、お客さんが少なくなるなぁ・・・。常連のお客さんに引き続き来てもらえるように、気合を入れ、元気よく頑張ります。

 八重そばのおばあが、清明の帰りにごちそうを届けてくれました。ソーキと大根と昆布の煮物、よもぎのおもち、三枚肉や揚げ物、ごぼうの煮たものなど、たくさんです。ソーキの煮物は味がよく染み込んでいて、お汁もとてもおいしかったです。今日の夕食のレバニラ炒めと一緒に、豪華な食卓となりました。八重そばのおばあ、雨の中をわざわざ、どうもありがとうございました!!

今日の反省点・・・夕食を作る手順がとても悪かった。
晋君日誌海の家

4/7(日) 海の家を開く準備をしていると、早速、朝市のはつねおばあが来ました。「久しぶりねぇ!」とうれしそうにソーミンチャンプルーを持ってきてくれました。ごちそう様です。「今度の大潮の日は一緒にもずくをとらないか?」とはつねおばあ。海が恐いから浅瀬でとるけど、と2人で大笑いしました。

 海の家のお客さんはHAPPYという名前の犬を連れた宜野座村のおじい。戦争中、大阪に疎開した時の話しをしてくれました。朝市のつるおばあに三線をひいてと頼まれていたので、午後から朝市へ。三線を弾きながらゆんたくしました。つるおばあが「三線貸しんさい!」と三線を手にとって歌いました。いつでも自然体!?のおばあ達。三線はその人を写す鏡です。おばあに弾いてもらって三線は大雨の中なのに輝き、笑っているようでした。
しんやさんのCDアルバム「アカバナ―」の録音にありちゃんが参加しました。
「沖縄の空のしたから」のハーモニカです。
まずは打ち合せ しんやさん「ここはこうしようね」、ありちゃん「あ、はい」
練習&本番録音 しんやさんのOKが出て、「おつかれさま」と握手!

 9月に国際シンポ・ジュゴン保護で総会・全国啓もう活動など確認 <2002年4月7日 日刊 22面>

 【東京】沖縄本島東海岸に生息する国の天然記念物「ジュゴン」の保護に取り組んでいるジュゴン保護キャンペーンセンター(宮城康博共同代表)の第2回全国総会が6日、文京区民センターで開かれた。
 約60人が参加。今年の活動方針として、普天間代替施設の基本計画策定が進む中、国際水準の環境アセスメントを求める運動を展開することや、9月に東京と沖縄でジュゴンに関する国際シンポジウムを開催することを確認した。シンポジウムには、ジュゴン研究の第一人者でオーストラリアのヘレン・マーシュさん(ジェームスクック大学教授)や国際的な専門家を招く予定。
 このほかジュゴン保護を全国啓もう、海草藻場や干潟の保全、絶滅危ぐ種の保護など他の環境保護運動と連携することも了承した。
 宮城代表は「ジュゴンの保護は重要な問題。環境アセスだけでなく、基地を建設することで、住民生活にどのようなダメージを与えるのかもきちんと調べなければならない」と話した。

<2002年4月9日 朝刊 25面>
民間道に水陸両用車/宜野座
夜民家近く往来、住民「無灯火で怖かった

 宜野座村松田の米軍キャンプ・ハンセン演習場近くで七日夜、米軍水陸両用車とみられる車両が民間道に進入し、民家の至近距離を往来、無限軌道でアスファルトや路肩に傷を付けていたことが八日、分かった。村役場に通報した住民は「何かされるのでは、と恐怖感でいっぱいだった」と話していた。村と那覇防衛施設局職員が同日、現場を確認した。現場はハンセンのゲート近くの、農地に囲まれた民家が散在する一帯。山林の演習場へと続く道がゲート内に延びている。

 通常、水陸両用車などが出入りする際は、舗装が強化された「戦車道」と呼ばれる軍民共用の道を通るという。村も、一般道は極力通らないよう米軍に要請している。

 調べでは、七日午後九時半ごろ、戦車道から枝分かれした一般道に車両一、二台が約三百メートル入り込んだ。約十―十五分、民家の門前で停車した後、戦車道に引き返した。アスファルトや路肩には無限軌道の跡がはっきりと残り、削られた跡も。民家そばの土手の一部が崩れていた。

 同民家の比嘉由美子さん(48)は「地震のような地響きがした」といい、家の中から外を見たが「無灯火で、奇声も聞こえて怖かった。とにかく許せない」と憤った。七日夜に役場に通報したが、守衛の判断で担当者に連絡が回らなかったといい「連絡体制をしっかりしてほしい。そして、どうしてこういうことになったのか、きちんと調べてほしい」と訴えた。

 戦車道は海岸まで続き、水陸両用車が水上移動する場合は施設局から役場に連絡が入るが、今回は特になかったという。

<2002年4月9日 朝刊 25面>
米軍機が照明弾落下/嘉手納基地 地上300メートルから
 八日午後零時二十分ごろ、米軍嘉手納基地で、着陸体勢に入ったF15戦闘機から物体が落下。嘉手納基地報道部の調べで小型の訓練用照明弾(フレアー)であることが分かった。同報道部は、フレアーは基地上空で完全燃焼し、人身や施設への被害はなく、落下原因は調査中だ、としている。(一部地域既報)

 フレアーは誘導ミサイルやレーダーを避けるため、航空機が投射する偽熱源。マグネシウムと火薬によって数秒間、高熱を発する。目撃者の話を総合すると、着陸体勢に入った地上約三百メートルから落下。パーンという音とともに火花が見え、すぐに消えた。

 嘉手納基地を抱える沖縄、北谷、嘉手納の三市町でつくる連絡協議会(三連協)は九日午前に幹事会を開き、対応策を協議する方針。県は九日にも事故への抗議と原因究明を米軍に申し入れる。

 仲宗根正和沖縄市長は同日夕、嘉手納空軍基地第一八支援群のキャントレル副司令官に会い、事故原因の早期究明と再発防止を要請した。辺土名朝一北谷町長、宮城篤実嘉手納町長も、事故時の迅速な連絡や原因の早期究明を求めるコメントを出した。

<2002年4月9日 朝刊>
陸自那覇駐屯地返還地 平和の場に契約拒否した高江洲さん 花植え、碑建立も
 契約拒否のため3月31日付で返還された陸上自衛隊那覇駐屯地(訓練場)の約330平方メートルが7日、地主に正式に引き渡された。権利者で、平和運動を続けてきた高江洲朝男さん(54)=佐敷町=は「訪れた人が花を植えて平和を考える場所にしたい」と自由な出入りを求めている。しかし、陸自側は管理面で制限を設けたい考えで、近く開かれる高江洲さんとの協議が注目される。

 土地は「那覇市鏡水字土砂場原」の2筆。長方形で地目は「畑」、三方を小高い丘に囲まれている。1972年3月末に米軍基地から返還され、翌4月1日に親族が自衛隊と契約を交わした。10数年前に土地に関する全権利を移された高江洲さんは地料受け取りを拒否し続け、今回の期限切れに伴う更新も断った。

 在日米軍基地の場合、契約に応じない地主には米軍用地特措法を根拠に強制収容できるが、自衛隊の土地は地主が契約更新を拒否すれば返還される。同駐屯地では約1060人の土地契約者がおり、3月31日に6筆6件が拒否されている。

 土地引き渡しは同日午後、陸自や那覇防衛施設局職員立ち会いの下で実施。高江洲さんは家族や友人、知人の宮司ら13人で訪れ、土地を清める儀式をした後、花木を植えた。また喜納昌吉さんの歌、詩人川満信一さんの、伊佐浜土地闘争と重ね合わせた詩の朗読もあった。

 高江洲さんは「ずっと待ちわびた。世界平和を訴える場所にしたい。水道も敷きたい」と話した。所属するNGOと連携し、モニュメントの設置も考えている。

 陸自第1混成団本部の浦野申二渉外・広報室長は「自分の土地だとする権利は理解しているが、管理の問題があり、話し合いたい」との考えを示した。


4月8日(月)
 闇夜を照らす満月のように全ての生命に共生の光を!21世紀の未来を共に歌おう!!!!!
   @
まっぴるま満月コンサート
  
 日 時: 4月28日(日) PM3:00〜5:00
 場 所: 県庁広場 特設会場
 出 演: まよなかしんや・金城繁・知花昌一、会沢芽美、
       ヤマジン、下地重人、ジュゴンの家、アゴラ、他
 入場 カンパ
  主 催: 第34回満月コンサート実行委員会
       TEL・FAX 098−876−1352
A4.28どこいった? 5.15どこへいく集会
 日 時: 4月28日(日) PM5:00〜6:00
 場 所: 県庁広場 特設会場
 主 催: 安保50年「復帰」30年を撃つ沖縄行動
        TEL・FAX 098−832−5974
B道ジュネ―(県庁〜牧志公園)
 日 時: 4月28日(日) PM6:00〜7:00(県庁〜牧志公園)
    これでいいのか 沖縄・日本・世界?
 友ぐぁの皆さん!来る4月28日(旧暦3月16日)の満月の夜空の下ではなく真昼間(午後3時〜5時)、那覇市のどまんなかの県庁前広場にて、平和・人権・環境・共生をテーマに第34回目の満月ライブを開催します。

 友ぐぁの皆さん!今年は「復帰」30年・安保50年の節目の年である。この間、ワッタ―沖縄人は爆弾(基地)を枕にして暮らしているにもかかわらず「沖縄はだいじょうぶさぁ」キャンペーンをしていて本当にいいのであろうか。

 友ぐぁの皆さん!最近ほとんど報道されていないが、米軍によるアフガン攻撃はまだ続いているし、小泉内閣はブッシュ大統領の「テロ」退治を口実とした戦争拡大に追従し、有事立法・改憲へと突進しているが日本・世界は本当にこれでいいのであろうか。

 友ぐぁの皆さん!昨年の9.11事件は私達人類に、世界の人々が国境をこえ、肌の色をこえ、宗教をこえ、平和に共生するにはどうしたらいいのかを真剣に考え行動しなければならないことを提起している。
 友ぐぁの皆さん!21世紀の戦争も基地も貧困も差別も自然破壊もない平和な共生世界をめざし、友に前進しようではありませんか。多くの皆様の参加を呼びかけます。 
安保50年・『復帰』30年を撃つ 5月連続行動に結集を呼びかける! 共に闘おう!
安保50年・「復帰」30年を撃つ沖縄行動
呼びかけ/島田正博、西尾市郎、知花昌一、中村信嗣、まよなかしんや(順不同)
連絡先 TEL/FAX 098−832−5974
郵便振替口座番号 01700−5−57972
口座名称 沖縄行動

 われわれは一昨年、カデナ包囲行動を共に闘い、さらに帝国主義首脳会議『沖縄サミット』に反対し、ヤマトゥから、また韓国、台湾、フィリピンなどから駆けつけた多くの仲間たちと共に、名護現地での三日間にわたる波状デモ、さらに首脳晩餐会があった首里城にむけての、圧倒的な包囲デモを貫徹することができた。また、昨年5.15には浦添/軍港阻止・キンザー基地包囲デモに結集し、さらに翌16日には「憲法改悪・有事立法阻止!」のスローガンを掲げ、那覇/国際通りを貫くデモを全国の仲間たちと共におこなった。

 名護新基地・浦添新軍港建設阻止の闘いへ、また『9.11』以後、平和市民連絡会による「アフガニスタン民衆を見殺しにするな!連続行動」(9〜11月)に結集しつつ、さらに「皇孫誕生『祝賀』許すな!派兵反対!反天皇制集会」(12月)を開催し、今年1月には5月沖縄行動にむけた「安保50年・『復帰』30年を撃つ沖縄行動」を発足させ、この間、ブッシュ来日−訪韓・訪中反対デモ(2月)、さらに民衆フォーラム「阻止しよう!有事法制・憲法改悪」(3月)を開催した。

●沖縄5月連続行動へ、闘う仲間の結集を!
 今年の4月28日は、サンフランシスコ対日講和条約が発効して50年になる。それは同時にその第3条(沖縄条項)によって、沖縄がいかなる国際的機関の拘束もなしに、米軍による専制的支配におかれることになった日、すなわちその後20年にわたり、沖縄人民が全面的な無権利状態に落とし込められた日であり、日米安保条約が発効した日でもある。

 また5月15日は、沖縄戦以来、米国のもとにあった施政権が、沖縄人民にではなく日本国家に「返還」された日であり、今年の5.15はその30年目にあたる。広大な米軍基地とその軍隊は、日米安保−日米同盟の下、そのまま沖縄に居座り強化されている。かつて米軍支配下、その全ての米車両ナンバープレートに、KEYSTONE OF THE PACIFIC (太平洋の要石)と記されていたが、今日、沖縄・米軍基地は米帝国主義にとって、さらに重大な、太平洋とアジア全域を視野にした出撃前進基地となっている。


 こうした中、日本政府と沖縄県は5月19日(日)、「沖縄の日本復帰30年祝賀式典」を、宜野湾市の沖縄コンベンション・センターで開催、小泉首相をはじめ3権の長など、ヤマトゥから大挙押しかけ、稲嶺県知事らと共に、この「祝賀」を人民に押し付けようとしている。だが、4.28状況は今もなおつづいている。5.15による「日本復帰」は、その根本的なものが、沖縄人民に返還されておらず、沖縄はなお、沖縄人民のものではない。米軍用地特措法が何度改悪されたか! そして、明らかな憲法違反を重ねた何代目かの特措法が、司法権力によって恥知らずにも擁護され、すなわち、司法の事実上の「死」によって、広大な在沖米軍基地が、超法規的に存在しつづけることによって、沖縄人民の主権は無視されつづけている。そして、世界侵略軍隊が居座って、その出撃前進基地となっているのだ。

 小泉ら日本支配階層はそれを祝賀しようと、やってくる!
 これを黙って見ておれるか!
 コンベンションを揺るがす、断固たるデモで弾劾しようではないか!!

●ブッシュの「世界戦争」阻止! 小泉の参戦・戦争国家化弾劾!
 米国/ブッシュ政権は、イラク、朝鮮民主主義人民共和国、イランなどを「悪の枢軸国」と名指しにして、「対テロ世界戦争」を宣言した。それは米国の世界支配に抵抗する国々や人民に対する虐殺と侵略・支配の意志表明にほかならない。第2次世界戦争後、今日まで、最も多くの人民を虐殺し、また虐殺を続けている軍隊こそ米軍だ。

 ブッシュはまた、「世界戦争」宣言のもと、朝鮮半島やイラクなどへの先制核攻撃の恫喝さえおこなっている。米軍は湾岸戦争から約10年にわたり、サウジアラビアに居座り、イラクへの爆撃をつづけ、今、アフガニスタン侵略・空爆に引き続き、軍隊を旧ソ連のウズベキスタン、タジキスタン、グルジアなどに進駐させ、アラビアからカスピ海、さらにキルギスに至る広大な石油・天然ガス産出地帯支配への野望をあからさまにしている。

 日本政府/小泉政権は、遥かインド洋にまで自衛隊艦船を派兵、米軍兵站(へいたん)を担い、同時に東チモールには機関銃を携えた、過去最大のPKO派兵を強行した。いまや、自衛隊を米軍と共に戦う日本軍へと転化しようとする攻撃が一挙に激化し、戦争法(有事立法)の制定、憲法改悪にむけた手続き策動が進んでいる。この間の国会議員の不祥事発覚によって遅れているが、政府与党は三月にはこれらの法案を国会に提出し、六月頃には決議する計画だった。

 日米安保50年の今日、小泉政権のもと、日本の戦争国家化・憲法改悪攻撃は、今や最終段階に直面している。しかも、この攻撃は今日、ブッシュの「世界戦争」を共にしようとしているのだ。

 こうした中、米国ブッシュと一体のイスラエル/シャロンは、パレスチナ人民への全面攻撃を開始した。
 これを、世界人民と共に絶対に阻止しなければならない。共に闘おう!
2002年4月1日
4.28、5.14〜19 沖縄連続行動へ結集を!
ブッシュ、小泉らの「世界戦争」を阻止しよう!

浦添軍港建設に反対するアピール


 4月1日、那覇軍港移設受け入れの為の那覇港湾管理組合が設立されたことに対し、私たち那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会(軍港反対市民の会)は、遺憾の意を表明するものであります。

 そもそも那覇軍港の浦添移設は、航空母艦や原潜の出入り可能な軍港、アメリカ軍のアジア、太平洋地域への出撃基地として巨大な軍港建設をめざし、1960年代から画策されてきました。欺瞞的な基地の整理・縮小をうたった「SACO合意」に基づく浦添への軍港移設は、15メートル以上の水深や、ガントリークレーンを備え、横須賀や佐世保の軍港より機能が強化されたものになることは明らかです。

 9月11日の「テロ攻撃」によって県内の米軍基地は、厳戒態勢下におかれ、アメリカの戦争と不離一体であることが証明されました。そうした危険な基地を抱え、沖縄県の基幹産業である観光産業が大打撃を受けたことはつい最近の出来事であり、今なお回復にはいたっていません。このような基地を私たちの身近に建設することを看過することができるでしょうか。今年は、日米安保条約発効50周年、施政権返還30周年の節目の年です。基地の過重な負担を解消し、平和な沖縄県を取り戻すためにがんばらなければなりません。


 2002年度浦添市が負担する那覇港湾管理組合への金額は、1億7,000万円です。浦添市西海岸の工事がなくてもこの金額は毎年負担しなければならないのです。何年間この多額の金額を浦添市民の税金でまかなうのでしょうか。

 経済不況で、職を失った市民が多い中、1億7,000万円を失業している市民のために手をさしのべるべきではないでしょうか。

 私たち市民は、雇用の少ない巨大な軍事基地よりも、基地を返還させ、商業、住居地域を活性化し、雇用の拡大こそが重要だと考えます。また、都市近郊でサンゴの消息が確認され保護の必要が叫ばれている浦添沿岸地域の自然を大事にして、子供たちが住みよい浦添市をつくることを望みます。

 私たちは、一時的な振興策と引き換えに、未来永劫基地の重圧に苦しめられることを拒否します。たとえ那覇港管理組合が設立されても、軍港反対の運動をねばり強くたたかい続けることが重要です。那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会は、多くの市民の皆さんとともに、基地のない、歴史・文化の薫る浦添市をつくるためにがんばることをここに宣言します。

2002年4月3日 那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会

“干潟を守る日2002”日本全国いっせいイベント
浜下りだ!みんなでつなごうSea泡瀬(しあわせ)の輪
日 時: 2002年 4月14日(日) 11:00〜受付開始(旧暦3月2日は「浜下り」前日の大潮です
      (小雨決行)
      スケジュール  11時〜12時 受け付け・配置の説明&「あなたの思いを布に書いてみよう!」
                12時〜15時 ポイントに移動〜Sea泡瀬の輪〜ゴミをひろいながら帰ろう!
                15時30分〜 「未来へ!Sea泡瀬のマーチ(行進)」
場 所: 泡瀬干潟周辺
参加費: 100円(希望者のみ、レク保険代を徴収します)
主 催: 「浜下りだ!みんなでつなごうSea泡瀬の輪」実行委員会

       ・・・・・・・・・・・・・・・布やメッセージの送り先・・・・・・・・・・・・
〒904−0012 沖縄市安慶田1−29−10 くすぬち平和文化館
E−mail : awasehigata@hotmail.com
FAX 098−938−2147

問い合わせ先●090−9781−3667(事務局)

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