ジュゴンの家・日誌

「ジュゴンの家」日誌
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3.1 4.2


4月7日(日)4.5(金)じゅごんの家の夕食
今日の夕食は春野菜がいっぱいのメニューです
春キャベツと春玉ねぎの豚ミンチ&大豆あんかけ
ベトナム風生春巻き
ごぼうとアサリ、三つ葉のチラシ寿司

このあとみんなで琉球処分について
勉強をしました。
4.6 ジュゴンの海の家
じゅごんの海の家と遊びに来た金城しげる師匠。赤と黄色のコーディネイトがまぶしいお日様とマッチ!
今日のスマイル!瀬嵩の朝市のつるおばー コンクリートでで強化された辺野古の基地との境目
晋君日誌 じゅごんの海の家
4/5(土) 夏に近づくにつれて浜に来るお客さんも増えてきました。今日は米兵のキャンプ客が20数名来ていました。片言の英語で話して見たけど通じず、「ゴミを捨てないで」だけなんとか通じた様子でした。
 午後から辺野古へ・・・。
浜にある米軍フェンスは半分くらいが新しくなりコンクリート壁で仕切られていました。これも新基地建設にむけた住民対策のひとつなのかなぁと思いました。
 命を守る会事務所で祐治さん、たえさん、絹江さん、吉田さんとお茶を飲みながらゆんたくしていると、「ゴーッ!!」と事務所の真上を戦闘機が飛び、5分に1度くらいの割合でものすごい爆音が聞こえてきました。
 「朝5時からずっとこうさぁ。今日は5時に起きてしまって寝不足よ」と、たえさん。この頃、朝の5時きっかりから爆音がしているといっていました。「この爆音に慣れるなんてできるわけないさ、ここにヘリ基地ができたらこの数10倍の爆音さね。年寄りは死ねといっているようなものさ、許せないよ」と怒りのこもった声で話していました。
 僕もこの爆音を聞くたび演習をみるたび、なぜ人が生きていくことに何の権利があってこんな苦痛を与えるのか・・・と強く思います。人の無関心が人の生きる権利を奪うことにもなると考えると恐ろしくなりました。
4.6 ジュゴンの家


今日の来訪者・・・千鶴子さん、比嘉さん、新垣さん

差し入れ・・・比嘉さんからコーヒーキャンディー

寄付・・・真生さんからテーブルセット
     金曜集会で平良悦美&修さんより衣類と雑貨
真生さんから寄付でもらった籐のテーブルセット
 うららちゃん日誌 じゅごんの家
4/6(土) 今日もお客さんがいっぱいきました。千鶴子さんはようこさんおすすめの素敵なベスト&スカートを買って行きました。千鶴子さんにとてもよく似合っていました。いつもきてくれる東江の比嘉さんが来て息子さんのことや自分の好みのファッションのことなど話して、たくさん買い物をしてくれました。新垣さんも来てこの前あげた中馬さんが作ったケーキがとてもおいしかったといっていました。すいません!!お礼を言うのを忘れてました・・・中馬さん、この間のケーキ、すっごくおいしかったです!ありがとうございました!
 最近お客さんが多く、初めてのお客さんもいっぱい来たりして、楽しいです。お客さんが来なくて一人で黙っているのはけっこう楽しくない。

同じ病気で悩む人 体験もとに救いたい当事者の松村さん、精神保健福祉士<2002年4月6日 夕刊 5面>

 南風原町の「地域生活支援センターてるしの」で働く松村豊さん(48)がこのほど、精神保健福祉士の国家試験に合格した。同福祉士は精神障害者の生活や自立を支援するための資格で導入5年目に入った。自らも精神的病を抱える松村さんは「同じ病気で悩む人たちを一人でも多く救いたい」と意欲を見せる。当事者の資格取得は県内では初めて、全国的にも珍しいという。

 本土の大学に通っていた21歳の時に、そううつ病と診断された松村さん。家族に抱く悩みを発端に、極度の不眠と不安感に襲われたという。卒業後、一度は設計事務所に就職したが「病気を隠しながらの生活が苦痛だった」と3年で退職。以後、職を転々としながら、自らの体験をもとに同じ病で苦しむ人やその家族の相談に応じてきた。福祉作業所時代にも、必要とあれば行政に足を運び、患者への支援を働き掛けた。

 しかし、肩書を持たない状況が予想以上にネックとなり「職業としての相談員でなければ、何を言っても説得力がない。周囲の理解が鈍くもどかしかった」と松村さん。

 そこで一念発起。2年前の12月、精神障害者の地域交流を促すセンターの相談員として就職。仕事の傍らで資格の勉強に励み、見事合格を果たした。

 取得後は、これまで通りの相談業務に加え「外科手術のように悪いところを取れば治るというものではない。地道に病気と向き合っていくためにも、当事者の情報収集や発信の場をもっと広げていきたい」と意気込む。

 県精神保健・医療・福祉連絡協議会運営委員の中山勲さん(県立精和病院長)は「当事者に相談できるという安心感は松村さんならでは。新たな精神医療のパイオニアとして頑張ってほしい」とエールを送った。


4月6日(土)第35回金曜集会
「ビエケス シー、マリナ ノー!(ビエケス YES 海兵隊 NO)」と歌うしんやさんたち。
ビエケスでは4月から米軍による爆撃演習が再会されようとしている。そのビエケスと連帯する印、
左襟に白いリボンをつけ、不服従の意を表そう!と真喜志さん。(4月いっぱいやりましょう)

宜保さんからは3.31に行われた
「日米地位協定」を変えようシンポ
の報告
善次さん。宜野湾市が
女性模擬議会に関して市報に
のせた感想が議員にとって不都合が
あり市報を回収したことに対し、
市に申し入れをしていくということ。
崎浜さん。
じゅごんの家にカンパを
くださいました。
ありがとうございます!!

沖縄市長戦のことと、沖縄市の泡瀬干潟でおこなわれる浜下い(うい)のお知らせ!


ヤマトから来た金曜集会初参加の
若いカップルを紹介します!と
うれしそうな平良修さん。


平良夏芽さんご夫妻。(修さんの息子さん)
今日、船で沖縄に到着!!
これから沖縄での生活がスタート!
4月9日はフォークの日!
「フォークソングが教えてくれた」を歌うしんやさん
「ゆうなの花」をみんなで歌いましょう!
西尾さん

児童に水陸両用車体験名護市の小学校
米軍基地に校長引率/沖教組「総合学習はき違え」
 <2002年4月5日 朝刊 27面>

 名護市内の小学校校長が授業の一環として3月6日に、5年生9人全員を米海兵隊キャンプ・シュワブに引率、児童が水陸両用車(強襲揚陸艇)に乗り込んでいたことが4日、分かった。ヘルメットをかぶった児童の写真とともに在日海兵隊ホームページで紹介されている。校長は「誤解を招く行為で、深く反省している」と話している。

 授業は総合学習の時間に、アメリカの生活を学ぶ体験学習として実施。1時間半の日程で図書館や病院見学、ファストフード店でのドルの使用体験などのほか、水陸両用車見学が約20間、組まれていた。兵士がスピードや機能を説明。止まっている両用車2台に児童が次々と乗り込んだ。

 ホームページで「(授業が)米軍の役割を理解するのに役立ってほしい」とのコメントが紹介された校長は「そういう発言は一切していない」と否定。「国際理解の教育は続けるが、基地内見学はもうしない」と話している。引率に同行した担当教諭は「(米軍側の)案内者の勧めがあり、その流れの中で(搭乗は)止められなかった」と強調した。

 同基地は「県内外の学校を案内している。兵器を無理に見せる意図は全くない。今後は事前に学校の要望を十分に聞いてコースを組みたい」と話している。一般的な学校の基地利用について、在沖海兵隊報道部は「地域の一員として文化交流を進めていきたい。海兵隊とは何かを学んでほしい」とコメントした。

 津嘉山朝祥県教育長は「国際理解の一環として基地で異なる習慣・文化に触れることは間違いではない」と述べた上で「小学生にそこまでさせる必要があったのか。中身としてふさわしいか、父母の考えなどもある」と述べ、関係者から事情を聴く方針。

 沖教組の仲村勝彦委員長は「教育の根幹にかかわる。総合学習をはき違えている。まだ判断力の備わっていない子供たちに米軍施設を見学させるのは問題だ」と指摘している。


4月4日(木)4.3 海の家
瀬嵩の浜で知り合ったニーニー 命を守る会には与勝高校生が来ていました 高校生の方たち
基地と民間区域の境界の辺野古
の浜に米兵が・・・
でっかいコンクリートを運んできました。 境界の鉄条網をコンクリートで強化。
 晋くんの海の家日誌
4/3(水) 今日も多くの出会いがありました。海の家には瀬嵩でビーチパーティーをして沖縄の復帰30年・辺野古への新基地建設を考える場を近いうちに作りたいという若い人が来ました。この間の名桜大生のシンポジウムといい、こんなふうに真剣に考え行動している沖縄の同世代の人に出会えて僕はHAPPYです。
 午後から辺野古の命を守る会に行くと、米軍が基地と民間区を仕切るフェンスをこわして新しいフェンスを作っていました。その監視を終えて命を守る会事務所へ行くと(ホワイトビーチがある)勝連町の与勝高校の生徒さんが来て、祐治さんを中心に話しをしました。途中祐治さんから「ホイ!晋ちゃん話しなさい」と言われ僕はジュゴンの話しをしました。ジュゴンを発見した現場にぜひ行きたい!ということなので、僕は案内をしました。
 与勝高校はアフガニスタン支援のための平和のコンサートなどをやっているのを新聞で見たことがあり以前から関心があり、会って見たい・・・と思っていました。あってみるとすごいなぁと感心しました。「私達高校生だってできることがある。高校生にしかできないことがある。自分達が立ちあがることで大人達にも立ちあがってほしい、という願いをこめてこれからも色々な事をやっていきたい」と話してくれました。 祐治さんもそういう高校生を見て嬉しそうに、いつにも増してあつくなって色々話しをしてくれました。与勝高校で6月にやるイベントに誘われたのでぜひ行きたいです。沖縄に来て1年半、今日はこんな高校生に出会えて嬉しかったです。

4.3ジュゴンの家
久々に登場のケンさん。 ジュゴンの家お勧めのそばやさん、八重食堂!!の
八重さんが差し入れてくれたジューシー、ソーキの煮物


うららちゃん日誌(ジュゴンの家)
4/3(水)
・常連のお客さん仲田さんが2人の娘さん(みやちゃんとりらちゃん)と一緒に来店!
・よく来てくださる女性に名前を聞いた、新城さん。新城さんは「やすひろさんの選挙、今回は残念だったけど、また次がんばろうね!!」と言ってくれました。リサイクル品をよく買うそうですが、大切に使うといたまずに何年ももつとも話してくれました。私は金曜が休みなのは金曜集会にいっているからです、とか食事をみんなで交代でつくっていることなど話すと「えらいねぇ、今度うちで作ってる野菜をもってきてあげようね」と新城さん。いつも来てくださるけれど、こんな風に新城さんと話したのは初めて。新城さんはいい買い物が出来たとよろこんでくれ、私と友達になれて良かった、楽しかったと言ってくれました。
・八重食堂の八重さんがジューシーとソーキの煮物を持ってくれました。(夕食にいただきました)ありがとうございます!!
・今日は、ちゃんとお客さんと向き合って接することができたし、売上も目標達成したのでよかった。

4月5日(金)

山口洋子さんが遊びにきました。ピース! 洋子さんが持ってきてくれた本です。
ジュゴンの家でも販売しています!
うららちゃん日誌(ジュゴンの家)
4/4(木) 
・ありちゃんとようこさんはカメラマンの石川真生さんのお家の大型家具移動のお手伝いに行きました。
・私一人でお店をやっているんじゃない、みんなとのコミュニケーションが足りない・・・と話したばかりだったのにみんなに相談してから決めればよかったと思うことがあった。意識してコミュニケーションを取るようにする、と言ったのに意識が足りなかったです。意識する!!

 沖縄市長選   市政奪還目指し気勢・桑江陣営が総決起大会 

ガンバロー三唱で勝利に向け気勢を上げる桑江陣営の総決起大会
=沖縄市登川・市農民研修センター

【沖縄】21日投開票の沖縄市長選に出馬を表明している元市福祉部長の桑江テル子(63)=社民、共産推薦=の総決起大会(主催・沖縄市を再生する市民の会)が2日夜、市内の市農民研修センターで開かれ、集まった政党、労組、一般支持者らが桑江氏勝利に向け、気勢を上げた。
 あいさつした桑江氏は選挙戦最大の争点となる泡瀬埋め立て事業に触れ、「自然保護、経済の面から見ても(事業は)失敗しかない。今度の選挙で『ノー』という返事を出そう」と強調。「住んで良かったと心から思える、市民本位の市政をみんなで取り戻そう」と支持を訴えた。
 大会では桑江氏を推す各政党や労組、女性後援会の代表らが次々と登壇し、「初の女性市長を、ここ沖縄市から誕生させよう」と呼びかけた。


4月3日(水)

4.2(火) ジュゴンの家来訪者・・・ユキさん、たまさん、タンカン農家の加藤さん、ジュリエットコーヒーのマスター
       差し入れ・寄付・・・・加藤さんからタンカン、たまさんから衣類
夕方タンカンをもってやってきた加藤さん
写真がありませんが、ジュリエットコーヒーのマスター
が沢山買い物をしてくれました。
海の家・・・・
瀬嵩では泳いでいる人がいました。
浜はいつもと違う雰囲気・・・
大型三線を組み立てる・・・
うりずん娘!
晋くん海の家日誌
4/2(火) 東京で小学校教師をしている人と話しをしました。僕は言葉使いも考え方もかたい方なので、そのへんでいつも失敗します。その人とうまく話しあえませんでした。伝えようとする努力の足りない自分とごう慢な自分を感じました。
 失敗したぁ〜と思ったら成功するまで努力あるのみ!
監視活動
13:55 大型ヘリ1機 北へ
  :56 戦闘機 爆音 東へ
14:02 ヘリ 爆音
      戦闘機 東へ
  :09 戦闘機 2機東へ
  :23 ヘリ爆音
  :25 戦闘機2機西へ
  :37 戦闘機1機西へ
  :46 戦闘機1機西へ
  :52 戦闘機 爆音 東へ
15:00 戦闘機 爆音 西へ
  :06 戦闘機 爆音 西へ
  :18 戦闘機 爆音 西へ
  :19 ヘリ 爆音
  :29 戦闘機 爆音 西へ
  :34 戦闘機 爆音 西へ
  :47 戦闘機 爆音 西へ
16:20 戦闘機
  :53 戦闘機 爆音 東へ
うららちゃん日誌
4/2(火)夕食を作るための段取りが悪い。一人でも店を開けていられるように、夕食の買い物をお店に行く途中にしたのだが、メニューが決められず買い物にいったので時間がかかってしまい、店を開ける時間が遅れてしまった。明日は夜のうちにメニューを決める!夕食をおいしいといってもらえてうれしかったです。

4月2日(火) 晋くん日誌
3/31(日) 午前中はうららちゃんと店内整理、午後から「地位協定」を変えようシンポジウムへ行きました。地位協定なんて軍隊がなければいらないので、そんなもの必要のない世の中に変えていきたいな、と思いながら話を聞きました。
 会場には200人余りの人が来ていました。真喜志好一さんや、命を守る会の金城祐治さん、小禄さんも来ていました。地位協定というのはとても不平等なものなのだと感じました。そして、それに負けないでいる沖縄の人達を感じました。
 名護の大学生がこのシンポジウムを沖縄・日本・世界を変える第1歩にして、変えていく原動力になろうとしているのを見て感動しました。
うららちゃん日誌
3/31(日)
・お店の片付けをがんばってやっているつもりだったけど、着物がぐしゃぐしゃに入っていたり、他のものと混ざっていたり・・・行き届いていなかった。
・店長になって何ヶ月にもなるのに寄付でいただいた着物に値段がつけられず、そのまま置いてあった上、値段が分からないせいで、お客さんその場で買えずお取り置きをしてもらうことに・・・そしてそのあとも値段を分かろうとせずにいた。反省。
・1日の予定を組み立てていなかった。

 K 私の生きがいは写真

日ごろは人工肛門の上からガーゼを当てるだけ。
ウンチがもれたときは袋を張り付ける
=2001年12月22日、自宅で
 
 この連載もいよいよ今日で最終回。3ヶ月があっという間に過ぎた。
 「闘病記」を書く気はサラサラなかったけれど、直腸がんの手術をして人工肛門になっちゃった、という現在の私の立場から書き出したので、どうしても人工肛門に関する話が多くなってしまった。
 見ず知らずの読者からいろんなアドバイスも受けたし、がんについての本も送られてきた。
 「〇〇の薬草が利くから試してみて」「〇〇という治療法が効くよ」という具体的なアドバイスを多くもらった。
 「長生きして沖縄の写真を撮ってほしい。今死なれたら困る」という手紙は、ありがたくて涙が出た。
 でも私、元来がナマケモノなのでアドバイスはありがたいけど、何1つ試そうという気がないんです。薬草を飲むとか治療を受けるとか金と時間がかかることは一切やりたくないんです。
 「なるようになる、ケセラセラ」なんです、私。生きることをあきらめているわけでも、ヤケになっているわけでもなく、そこに頭が、考えがいかないんです。
 それよりもやりたいことが、やらねばいけないことがいっぱいあって、そこに気持ちがいっちゃってるんです。
 「あなたの5年以内の生存率は5分5分ですよ」。そう予告されることほど恐ろしいものはない。人は今日交通事故で死ぬかもしれないけれど、100歳まで生きるかもしれない。いつ死ぬか分からないからこそ生きていられる。それが、「あなたはいつ死にますよ」と予告されたらたまったものではない。
 告知された直後は怖くて怖くてしかたなかったけれど、今は落ち着いている。それよりも、「いつ死んでもいいように最低限これとこれだけはやろう。こういうことで気を使うのはもうやめよう」と決めている。
 平々凡々だった高校生の私が復帰運動に関わり、卒業直前に男と手に手をとって東京へ家出。写真学校で学んで帰ってきてからは無我夢中で写真を撮ってきた。
 いろんな沖縄人の生き方を人生を撮りまくってきたし、しっかり恋愛もしてきた。写真と男が私の生きがいだったし、今も変わらない。
 娘と孫はとてもカワイイし守ってあげたい存在だけど、彼らを生きがいにして負担をかけようという気はサラサラない。
 私の生きがいは仕事しかない。写真しかない。開き直って生きている私。これからも好きなことしかやらないと決めている。
 最近うちの娘に言われてしまった。「ママ、家族のことを全部バラしてしまってもう書くことないんじゃーない?」
 何をおっしゃる娘さん。人間生きていたらいろんなことが起こるものなのよ。家族のことだろうと何だろうと、私の「バラしバラし」人生に変わりはないのよ。開き直って生きるのよ、アタシ。(おわり)

(2002年3月26日 火曜日 沖縄タイムスに掲載)

4月1日(月)3.31(日) 「日米地位協定」を変えようシンポジウム IN 名桜大学(名護)
実行委員会の名桜大生と真生さん
超党派で新しい日米地位協定(案)を提案する
下地議員(自民)と東門議員(社民) あくまでたたき台として、これから超党派で他の議員にも呼びかけて行きたい。
新垣勉弁護士と本間浩駿河大学教授
フロア―から報告をする高里鈴代那覇市議 被害者の会の村上さん。現状を訴えに行ったとき対応した副官房長官が「地位協定って何?」と言ったときは驚きました。
辺野古の人達の人権、環境アセスについて
訴える「命を守る会」の金城祐治さん。
祐治さんの奥さんと小禄さんも来ていました。

真喜志好一さんも、この案では自治体の長の意見を聞くとあるが
それでは名護市民投票の結果を堂々と覆すことができるのでは!と
鋭い質問をしました。
実際に名護で起きた事件や基地被害をあげ、
質問する大城敬人名護市議。
地位協定は米が排他的な権限を持っているのだが、
これから、そこにどれだけ踏み込んでいけるかが
大事だ!とやすひろさん。

フォークソングはいつだって時代のメッセージ!    まよなか☆しんや
  1960年代、イギリスのビートルズのロックやアメリカのPPMやボブ・ディランのフォークソングは、愛と平和と自由をアピールする音楽として、ベトナム反戦を訴える世界中の若者たちに圧倒的に支持された。
 ヤマト(日本本土)では、70年安保に向けてフォークソングが誕生したように、沖縄のフォークソングでも72年「復帰」に向け誕生した。
 当時の若者たちに熱狂的に支持されたフォークソングも70年代前半をピークにあまり聞かれなくなった。そして最近はJ−POPと呼ばれる音楽がメディアを賑やかせているようだ。しかし、水面下では、かつてのフォークシンガー達が着実に活動を定着させていることを実感する今頃である。
 69年に発売された森山良子の「サトウキビ畑」が昨年、新たにCD化されたし、67年に発売中止となった「幻の名盤」といわれていたザ・フォークルの「イムジン河」が南北朝鮮を結ぶ歌として今年の3月にCDとしてよみがえった。もちろん、日本フォークの草分けの高石友也も岡林信康も高田渡もマイペースで活動中である。
 さて、我らが佐渡山豊も健在だし、知念良吉の「どこへ行くオキナワンボーイ」や玉村ヒロの「平助オジー」がビギンの新アルバムに収録予定だし、のひなひろしも私(まよなかしんや)も年内出盤をめざして新アルバムの録音中である。さらに、1994年4月9日、沖縄(那覇)から始まった「フォークの日」コンサートも今年で9回目を数え、今では東京や大阪でも開催されるほど沖縄フォーク勢元気である。
 歌は時代と共に流れている。しかし、ただ流れ去っていくのではない。多くの人々に共感を呼んできた。確かに、最近のフォークブームはアコースティックサウンドへの回帰現象のひとつかもしれない。もしそうだとしても私たちは流行歌の表面だけを見るのではなく、その裏にある庶民の生活と思いがあることを忘れてはいけないと思う。
 さて、本当に、日本という国はどこへ行こうとしているのだろうか。
 ワッタ―沖縄人はどんな思いで暮らしているのであろうか。
 「復帰」30年・安保50年の節目の今年、沖縄フォークシンガーたちは何を歌うのであろうか。私は昨年の9.11事件は、人類に対し世界の人々が平和に共生するにはどうしたらいいのかを真剣に考えることを提起していると思う。
 サー、友ぐぁ達よ、民衆の喜怒哀楽を表現する土のかおり、汗のにおいのする愛に満ちたフォークソングを歌っていこうではないか。
 フォークソングはいつだって時代のメッセージである。
 第9回「フォークの日」コンサートを4月9日(火)午後7時半よりギャラリーオープンスペース(国際通り松尾)にて開催。
 多くのフォークファンの皆さんの参加を!
京都の前進友の会・えばっちからのメール
大勢のなかまが泊まりましたね。
ありがとうございました。
デモは、あれだけバラッバラッちゅうのは
良かったなぁーーー。
ありゃあああーーーサイコーのキーサン糾弾レクレーション
でしたね、わぉう!!!
無事に帰って来れてホットしてます。
おおきにでした。
みんなに、再会できて、うれしかったです。
また、新法阻止糾弾レクレーションを
霞ヶ関城か千代田城攻め
ちゅうノリでいっぱつかましたいですね。
怨念と怒りと復讐と殺意のバクチクですわ。

いろいろとありがとうございました。

ではまた、再会を
みなさん、げんきでねぇーー

えばっちより

3.1 4.2

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