ジュゴンの家・日誌
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同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
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 口 座 名  西 陽子 まで
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西 陽子
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5月B

イラク被災者救援緊急募金(03/04/07更新)

 この募金の責任は、平良夏芽(WORLD PEACE NOW 沖縄代表世話人・平和市民連絡会バクダッド派遣団・日本キリスト教団うふざと教会牧師)が負い、事務局長は、秋山 勝(平和市民連絡会バクダッド派遣団・沖縄大学非常勤講師)が行います。

第一次 目標金額 300万円

郵便振込

 01710−5−88511 平和市民連絡会
  ※通信欄に「イラク被災者救援募金」と明記して下さい。
詳しくはこちらhttp://www.asahi-net.or.jp/~qg2n-tir/wpoHP/bokin.html?200,28


5月31日(土)

第95回金曜集会
イラク派遣団出発の見送りの時には「命どぅ宝」を歌って欲しいと、夏芽さんに言われていましたが、僕は見送りに行けなかったので、今、ここで歌います。1000キロ続く砂漠の道をイラクへむかっている頃だと思います。とまよなかしんやさん。 3週間ぶりの金曜集会です。
いろんなことがありましたが、生活の中で周りの人に話をしていくという自分の原点にもう一度かえって、今日は職場の人を連れてきました、と「カマドゥ小」の国政さん。(始めてきた同僚の人にみんなから大きな拍手)
最近、辺野古の「命を守る会」によく行きます。一日いると今まで見えなかったいろんなことが見えてきます。
各地から小・中学生もやってきます。晋くんの話が子ども達にとても分かりやすいと、祐治さんも言っていました。守る会の雰囲気もとってもいいです。と薫さん。
うるま伝道所の西尾牧師 「カマドゥ小(グァ)」の又吉さん。
カマドゥ小の女性達でこれからどんなことをしていこうか、と先日みんなで話し合いました。
今朝の新聞に「在沖海兵隊大半撤退か」とあるが、少しでもいるとまたすぐ戻ってこれる。思いやり予算がある限り米軍は居続ける。北中城の米兵用住宅は1世帯5000万だ。沖縄の人達が住んでいるいえよりずっときれいだ。これは日本がだしておる。と善次さん。
先週の海上デモ&集会の日、雨でしたが辺野古へ行きました。雨で延期になりましたがたくさんの人が訪れていて、そのことで「命を守る会」のおばぁたちがとてもありがたい、勇気付けられるとみなさんに言っているのを聞いてとてもうれしかったです、と花城さん。 アメリカ大使館前での抗議集会が金曜日に行われています。これは何で金曜日か・・・この金曜集会とつながっていると思います。うれしいことです。と岡田さん。 金曜集会にはおもしろい格好をしてこようと思って、今日は布団カバーでつくったワンピースを着てきました、衛星電話ってすごいねぇ、すぐに情報がくるねぇ、イラクの報告がFAXで欲しい方は言ってくださいね、と悦美さん。
金曜集会が終わって、篠原さんとヨーコちゃんはセミナーハウス&佐喜眞美術館へ!
沖縄ぎのわんセミナーハウス(会議室・宿泊室・レストラン) ホームページはこちらから
 
又吉さんが働いているぎのわんセミナーハウスのレストランロアジスで昼食。 魚のムニエル(トマトソース)焼きナス&ズッキーニ、ブロッコリ、大根添え、ライスorパン、スープ、サラダバー、ドリンクバー、デザート付きで1000円!
ちなみに、今日のケーキは松の実のタルト、サラダはニガナの豆腐和え、トマトサラダ、レタスのニンニク炒め、ワカメ、コーン、トマトなどから好きな物を自由に食べる事が出来ます。篠原さんも大満足!
ヨーコちゃんもパンをパクリ 手作りケーキがお勧め!! セミナーハウス1Fロビーではジュゴングッズなどが売られています。
佐喜眞美術館へ初めて行く篠原さん 入り口にあるかわいらしい花に吸い寄せられる ハクチョウ花
うららちゃんの教習所日記

5月29日(木)今日は、最新の機械を使った危険を予測するシミュレーションをやりました。運転席と同様に作られたシートに座って、画面に映る画像にあわせながら運転していきます。画面の中では、急に飛び出してくる人や、死角から飛び出てくる原付、路上駐車している車など、様々な危険があります。慎重に、何がおこるか注意しながら運転しないと、事故になって終了になります。
機械の画像に慣れなくて、(事故にはならなかったけど)ボロボロでした。
次に、実際に起こった事故を映したビデオを見ました。とっても惨くて怖かったです・・・・。免許がとれたら、絶対安全運転するぞ。
5月30日(金)
今日は名護市街を走りました。巻き込みの確認が甘いと注意されました。次の時間は高速道路に乗ります・・・。
晋くんの違法測量調査監視日記
5月28日(水)
・調査船は7:30頃に作業員3人で出航。9:30には引き上げていきました。波が台風の影響で高くなってきたせいでしょうか。帰り際5:00頃また作業員2人でやってきたので見ていると漁港にそなえつけてある「潮位測定機」を15分ぐらい観察して帰っていきました。潮位測定機は時間を決めて見に来ている様です。
 
守る会のおばぁ達とのゆんたくが一段落して浜辺を歩いていると、瀬嵩のジュゴンの里の東恩納琢磨さんが三重県の中学生を連れて浜辺にやって来ました。修学旅行で来ているのだそうです。中学生は皆、琢磨さんのじゅごんの話を懸命に聞いていました。事務所で僕と佑治さんで中学生達とじゅごんと僕達が生きている場所の豊かさ尊さの意味を話し合いました。
中学生たちはとてもたどたどしく話をする子達だったけれど、しっかり聞いていたんだなと思う言葉が聞けました。「沖縄の海にもっかい会いに来たいよね」「うん」「僕達が大きくなるまで海は大丈夫かな?」「食事を通して沖縄の人達の事が分かるんだ、食べる事って大事なんだね」とか色々な事、僕にはとても印象に残った言葉です。僕とそんなに年は離れていないけれどまた会うときには「基地建設?そんなもんとっくに無いよーん」と言ってあげたい。
5月29日(木)
台風のため辺野古漁港にある船は丘に非難。違法測量調査のほうは、朝8時20分頃、潮位測定器を確認にきましたが船での調査にはでませんでした。 桑の葉(蚕のエサ)を乾燥させるとお茶になる・・・とテレビで見たので
命を守る会のまわりで摘んでくるとヨシさんが洗ってくれました。
・辺野古漁港の船が台風非難のため全て陸揚げされ、調査船は出航しませんでした。8:20頃作業員1人が漁港に来て、「潮位測定機」を観察して帰って行きました。

守る会には調査船監視、守る会手伝いのため薫さんが来てくれました。毎日、色々手伝ってもらっています、本当に助かっています。

午後からおばぁ達が来てゆんたく。蚕を昔、辺野古でも育てて、その糸で自分達の服を編んでいたとヨシさんが話をしてくれました。蚕から糸をもらうのには育てるのが大変、毎日山に登っては桑の葉を採ってそれを蚕の棚に敷いて食べてもらう、夜はその棚のそばで蚕を見る番をして育てたと話をしてくれました。
ちょうどテレビで「桑の葉のお茶」の事をやっていて、はー桑の葉はお茶にもなるのかーと思って、おばぁに頼んで桑の葉がどれだか教えてもらって作って見る事にしました。守る会の後ろの山にはたーくさんの桑の葉がありました。(桑の葉を摘んで良く洗って陰干しするだけ)おいしいのが出来ると良いなぁー。
帰ってきてから平良夏芽さんのイラク報告を読みました。ー「マニブーが生きていた」ーその事が僕の胸を熱くしました、豊見山さんはいまどんな思いかなぁ。豊見山さんは前回イラク派遣の時にイラクに行き、そこで豊見山さんの車椅子を押してくれたのが、いわゆるストリートチルドレンとして生活していたマニブーだった。豊見山さんはその話を僕にしてくれていました。だけれど、戦争は人を変えてしまう、市場のガキ大将として生きてきた彼はどんな気持ちで今を生きているのだろう、それをかんがえると怒りが溢れ出して、口から火を吹きたくなる。これから夏芽さんイラク派遣団は米軍がいる国境線を超えなければいけない、イラクにすでに救援に向かっているNGOは救援物資を持っているのにも関わらず米軍の「戦後復興」の名目のもと国境線を越えられていない。夏芽さん、正博さん、白井さんはその先駆けになろうと必死だ、命を賭けて人を守ろうとする姿勢、僕はそういう生き方をこの辺野古で選びとっていきたい。
5月30日(金)

沖縄は台風。朝には直撃!と聞いていたので、朝おそるおそる起きてみると、なーんだ全然、風もないし、これならバイクでいける。沖縄からはそれて、九州、四国に直撃するらしい、九州、四国の人、気をつけてくださーい。そんな大きな台風じゃないですが、海上の波は9メートルでしけにしけている。お陰で調査船は出ません。台風を起こした神様はえらい!
 
 今日、守る会には明日、31日〜6/1日までの「ジャンの海アシビー」(カヌー、浜遊び、海の勉強、コンサートなど)の用意のため人がわんさかと来ていました。海にちょっとした目立つじゅごんのはりぼてを置いて、基地の大きさを体感してもらおうという計画で、今日はそのはりぼて作り。祐治さんは「みちゃいられん」と若者達の手つきを見て、一言。その後はばりばり働いていた。

 今日の朝刊には面白い事が書いてありました。「在沖駐留米軍の1万5千人撤退」一面にべーんと載っていました。各国に波紋が広がっているらしい。でも紙面をよーく除いていると余りしんぴょうせいが無いが、アメリカ政府高官の複数が意見として言っているのは確かな様です。
 僕にはこの一切が茶番劇にしか見えない。とてもリアリティーが無い。辺野古での基地建設の現状はまったく変わっていない。本当なら歓迎したい内容ですが、明らかに意図があるパフォーマンスです。
 この方法(米兵の大幅な移動の名目の中で「仕事や雇用を失くすぞ、抑止力としての米軍がいなくて良いのか」という脅し、ついこの3ヶ月ぐらい前の話)で韓国の市民を真っ二つに分けた、片や「米軍いてくれー」の100万人の集会があり、片や「米軍でてけー」の100万人の集会が実際に韓国では起こっていました。

・調査船は出ませんでしたが、7:30頃〜8:00頃まで漁港にいた様です。(今日、僕は遅れて、祐治さん情報)
 平良夏芽さんの  イラク派遣団報告  
イラク報告 臨時版

5/30(金)16:45(日本時間) 電話連絡

2台で走っていたうちの後ろの1台が、ものすごい砂嵐の中事故を起こした。
数m先も見えないほどの、ひどい砂嵐で、事故の状況を確認することができない。
真っ白な先で、車がどんどんぶつかる音しか聞こえない。
イラク派遣団の3人は前の車に乗っているので無事であるが、運転手のジャマーンさんがどうなっているのか確認できずにいる。
電話の最中も車が急ブレーキをかける音、「あっまたぶつかった!」と叫ぶ声が聞こえる。
イラク派遣団の3人が乗っている車は、道の脇の安全と思われるところに避難している。危なくて外には出られない。
ファースンさんが状況を確認してくれている。

5/30(金)18:10(日本時間)電話連絡

事故を起こした車の運転手、ジャマーンさんの怪我もたいしたことないことがわかった。
しかし、車は大破。自走不可能。レッカーを呼ぶ。
現在地バグダッドまで490kmの位置。
今日中にはバグダッドにはたどりつけないかもしれない。


5/30(金)21:45(日本時間)電話連絡

タクシーを新しくチャーターでき、薬の箱も2,3箱ダメにしただけで、今からバグダッドに向けて出発できます。

<現地時間について>
前回の報告から現地時間がおかしいのではないかと問合せをしている。
先ほどの電話で確認すると、現在、日本時間18:12のときに、イラク時間13:12という。
時差が5時間となっている。おかしい。時差は6時間のはずだ。
No.5の報告の電話は日本時間15:10にかかってきているのに、ヨルダン時間8:45(日本時間15:45)無事イラクに入国とある。
現地の人に時間を聞いて、この時間ということらしいので時差が違うのか?聞いた人が間違っているのか?確認中である。


沖縄の新聞より
<2003年5月31日 朝刊 1・2・23面>

福田氏、直接照会に不快感/海兵隊移転検討

 福田康夫官房長官は三十日午後の記者会見で、米紙が報じた在沖米海兵隊の兵力撤退計画に関連して県が同日午前、米国防総省に直接照会したことに対し、「政府に聞いてくるなら話も分かるが、どこに問い合わせしたのか。政府がそういう交渉をしている」と語気をあらげながら県の対応に不快感を示した。福田官房長官の発言に県幹部は「基地問題は県民の生命、財産にかかわる切実な問題。県が米国に問い合わせることで防衛・外交上、政府にどんな迷惑を掛けたのか」と強く反発している。

 福田官房長官は、県の問い合わせに国防総省側が撤退検討を公式に認めたという点についても、「(米側が)わが国政府に話をしないで、直接(沖縄県に)そういうふうに話をするものだろうか。どれだけ権威ある情報なのか」とその内容に疑問を呈した上で、報道陣に対し「それはよく確認してください。常識で」と述べた。

 その上で、政府には米側から撤退に関する情報は入っていないことを強調した。

 県基地対策室は米紙報道を受けて二十九日夕、外務省に照会。「米国防総省が在沖海兵隊を豪州に移転することを検討していることは承知していない」との回答だった。

 このため三十日午前、国防総省の国防長官室報道部のバーファインド少佐に電話で報道内容を確認した。

 県幹部は「外務省から具体的な回答がなかったので国防総省に照会した。県民の生命、財産に大きな影響のある基地問題で、あらゆる手段を使って確認することは当然だと思う」と述べ、不快感を表明した福田官房長官の姿勢に反発している。






5月30日(金)

 平良夏芽さんの  イラク派遣団報告  
イラク派遣団報告No.3
5/29(木)15:00(日本時間) 電話連絡

28日(水)夜、イブラハムさんたちと別れて、一休みしてから夕食に出かけた。イスラムの世界でおなじみのチキンライスを食べた。肉はチキンと羊のみだが、羊の方が一般的で、チキンは少しごちそうらしい。席に座ると目の前にクブス(ナン)の山があった。各テーブルの皿の上に、ビニール袋に入ったクブスが山ほどある。すぐにピックルスがきた。早速ピクルスをおかずにクブスにかぶりつくと、店の人に笑われた。チキンとカレー粉のかかったイエローライス、それにトマトとキュウリのサラダ。ピックルスのおかわりで、1人250円くらい。もちろんクブスは食べ放題である。

夕食後、島田さんはホテルに戻り、私と白井さんは日本語が使えるというインターネットカフェに行った。インターネットカフェと言ったがその実態は、8畳くらいの部屋にパソコンが8台くらい置いてあるだけだ。1時間1ヨルダンディナール(160円くらい)
そこでバクダッドから来たばかりの日本人女性に会った。インドから駆けつけて来たらしい。私たちが翌日イラク入りすることを知ると、遠慮がちに同行したいと言ってこられた。即答できる問題ではない。島田さんと相談して決めることにした。
9:00過ぎにホテルに戻って就寝。爆睡!!

29(木)朝5時頃に目が覚めた。アンマンの朝は肌寒い。シャワーを浴び、洗濯。それからボーとして、7時頃に散歩に出たら、島田さんも歩いていた。声をかけて2人で街角のファラヘル(屋台)で朝食。その後島田さんが自宅に電話。衛星電話とは本当に便利なものだ。国内で携帯を使っているぐらい鮮明に聞こえる。ただ、衛星との間にビルなどの障害物があると通じない。

部屋に戻って2人でガイガーカウンター(放射能探知機)をチェック。アンマンで町を計測してこれを基準値とする。今日一日アンマンの各地を計測する練習をしておく。
ちなみにホテル内は0.06μSv/h(1時間に0.06マイクロシーベルトということだ。)国際放射線防護委員会(ICRP)は年間被爆量を基準とするので、ガイガーカウンターの数値を8760倍すると年間の被爆量となる。ICRPは、1977年と1990年の勧告で一般人の年間被爆は1mmSvを超えてはならないとしている。ホテル内は0.1μSvとして、年間876μSvとなる。当然安全値である。

9:30に出かけるのでそれまでの時間この報告を書き、希代子さんに電話する。希代子さんはそれを録音して電話が終了した後にテープをおこしてアップしてくれる。希代子さん、ありがとう。


(*)電話で会話として聞いた情報
イラクに入るのは、今晩の夜中2時(日本時間5/30午前9:00)にスタート。No.1の報告内で「明日の午前2時に・・」とあるのは、明日になってからその先の午前2時という意味。つまり正確に言うと、あさっての午前2時であった。
今日の午後に安息日に入ってしまうので、今から昨日買った薬を受け取りに行く。2日間で薬が手に入ったのは奇跡のようなことがたくさん起きているからだそうだ。

イラク派遣団報告No.4
5/30(金)7:45AM(日本時間) 電話連絡

モサさんと薬問屋さんに行き、薬のリストと領収をもらい、次にヨルダンのNGOに国境を越えるための書類をもらいに来た。そこで台湾から来た、ヨルダンの人々を支えるために来ておられ8年もいるという方にお会いした。
ヨルダンはパレスチナ難民の多い国。飢えている人々も多い。どこも問題は山積しているが、原因の大部分がアメリカだと言わざるを得ない。

午前11時くらいから急に気温が上がった。朝は沖縄の冬、昼は沖縄の夏くらいだ。この温度差はつらい。
ホテルに帰ってしばらくすると、ミルクと薬が届いた。ダンボールでミルク55箱、薬16箱、全てのものの種類と数をチェックして受け取りを完了。
さぁ、昼食だ。
5人で昼食。このお店はサラダがバラエティーに富んでいて、とにかくうまい。腹一杯だ(シェバアーン)。とっても腹一杯だ(シェバアーン ゲティール)

これから最後の買い物。幼稚園などへのお土産と自分たちの水や食料。全部で29ディナール。あとは市場で野菜を購入。
外に出ると砂嵐。一面が白っぽい。喉がいがらっぽい。3人ともゴホゴホせきこんでいるが、モサさんとイブラヒムさんは何事もなかったように2人でおしゃべりをしている。さすが地元の人。アラブの人々のまつ毛が長い理由がよくわかる。

全ての買い物を終えてイラク行きの車のところに行く。分かりやすく言うと大手のタクシー会社だ。GMCを2台予約していた。ホテルまで来てもらって荷物を詰め込む。真夜中の2時に積む予定であったので、随分楽になった。満杯である。本当にギリギリだ。自分たちの荷物は屋根に積み込むことになった。ドライバーたちにはそのままホテルで仮眠をとってもらう。夜中中走るので、安全のためである。

ヨルダン時間午前1:45((*)日本時間8:45)いよいよイラクに向かって出発する時間がきた。緊張が高まっている。これから何が待ち受けているのだろうか。


(*)付の注釈は筆記者が付けたものです。


イラク派遣団報告No.5
5/30(金)15:10(日本時間) 電話連絡
(☆の部分は、砂嵐がひどくて聞き取り不能な箇所)
(今回の報告の中では時間が1時間ずれていると思われます。確認中)

午前2時((*)日本時間9:00AM)出発。ついにこの時が来た。1月に別れを告げ、再びイラクに来ることを硬く約束し、あの3月20日を経て、早く、一日も早く来ねばと準備を重ねていた、イラクへの出発のときだ。
ヨルダンで出会った例の女性と共に、2台の車に乗り込んだ。ヨルダンでは年に2回ほどしかないという昨日の砂嵐も治まり、また夜に急に降った雨もあがり、車は順調にスタートした。ドライバーはイラク人のファースンさんと、美しいと言う意味の名前のジャマーンさんである。ファースンさんは、私も沖縄の西尾さんも小さく見えるほど、太っている。
私が乗った車はファースンさん。彼はまるでモスクの祈りのようなテープをずっと流しながらぶっ飛ばしている。時速100km以上で前の車をどんどん抜いていく。

午前3:30 ルウェイシットの手前120kmほどの町、サファーウィで休憩。
3:50☆☆☆ 彼はこの時間に合わせて飛ばしてきたのかもしれない。町でトイレを借りたら1/2ヨルダンディナールもとられた。高い。
3:55出発。5:55ヨルダン国境に着いた。国境が開く時間までここで待つ。☆待つ間に他の車が何台も集まり、集団でイラクまでの道のりを走ることができる。外は強い風が吹いている。

6:00苦労していた書類のおかげで税関は何の問題もなくパス。出国審査で時間がかかり、7:50無事☆☆☆
国境直後の難民キャンプの写真を撮っていると警官が飛んできて、カメラからフィルムを出せと言ってきた。仕方なく白井さんだけがフィルムを引き抜いて渡した。やはり国境付近の撮影はかなり厳しい。何とか通過してしばらく走ると渋滞。イラクの国境までつながっている。

8:30やっとイラク国境に着いた。フセインの肖像ははがされている。米兵の立会いで第1のゲートはパス。さっそく戦車のお出迎えである。大砲は国境の方を向いている。
次の入国審査で時間がかかりそうだ、と思ったが・・・イラクの国境は機能していない。細いところを通過するためだけの渋滞だ。米兵たちが10名ほど番をしている前を通過するだけだった。
8:45無事イラクに入国。しかし時々ものすごい砂嵐が吹く。前がほとんど見えなくなる。国境直後、給油。道に停まっているタンクローリーの前に車が並んでいる。数台待って私たちも☆給油を受ける。

沖縄の新聞より
<2003年5月30日 朝刊 1・3面>

在沖海兵隊、大半撤退か/米紙報道、豪の基地に移す
1万5000人、米国防総省計画

 二十九日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは複数の米高官の話として、米国防総省が沖縄に駐留する約二万人の海兵隊のうち約一万五千人を撤退、オーストラリアに移転させるなど、日韓両国を中心にアジアに駐留する米軍を再配置する計画の策定を進めていると報じた。

沖縄のハブ機能低下/反基地感情も配慮か

 在沖海兵隊の大部分移転を米国防総省が検討した背景には、一昨年九月の米同時テロ以降、米国自身が戦略見直しを迫られたことにある。米国内の専門家はアジアの脅威が北朝鮮を除き、インドネシアなど南側に移ってきたと指摘している。沖縄がすでに最も重要なハブ機能ではなく、オーストラリアなどに分散することで機動能力を高める狙いがあるとみられる。

 米軍は一九九五年の「東アジア戦略報告」で打ち出した「十万人体制」の路線を継続している。そのうち在日(約四万)と在韓(約三万八千)で八割近くが集中する。テロリストの脅威に対応するには、一極集中は賢明な策ではなく、むしろ脆弱(ぜいじゃく)性を強める結果になりかねない。より移動を柔軟に展開するためには、駐留規模を小さくしてでも分散化する必要性が生じてくる。

 一方で、国防総省は沖縄や韓国で起きる反基地感情にも配慮したとみられる。米軍のプレゼンスを具体的に薄めることで矛先を弱める狙いがある。加えて、沖縄の演習場が手狭で、兵士の錬度向上の阻害になっていることも米国内でたびたび指摘されてきたことも重要な要因だろう。

 ロサンゼルス・タイムズの報道によれば、在沖海兵隊のうち五千人規模が沖縄に残るという。想定されるのは約二千人規模の第三一海兵遠征部隊(31MEU)を核とする兵力だ。在沖海兵隊の主力といえる部隊で、朝鮮有事に真っ先に投入されるとみられる。

 その上で、移転検討は必ずしも普天間飛行場の移設計画にリンクすると考えるのは早計だ。31MEUは地上と航空、役務支援の三部隊で構成されており、ヘリコプター部隊を欠くことは予想できず、普天間飛行場の不要論には直結しない。(中部支社・崎浜秀光、政経部・石川達也)

     ◇     ◇     ◇     

事実関係調べる

 稲嶺恵一知事の話 沖縄の厳しい状況は理解されているはずで、そういった話が出てもおかしくはない。しかし、正式な報告がないのでコメントはできない。事実関係を調べたい。


<2003年5月30日 朝刊 27面>

突如「撤退」島揺れる/米軍移転報道

 在沖米海兵隊の大部分を海外に移転させる―米紙が報じた米国防総省の計画案が、基地の島を揺るがした。突然、飛び込んできたニュースに、基地を抱える市町村の首長らは驚いた。基地撤去を心待ちにする声がある一方で、生活不安を訴える人も。基地雇用は、跡地利用はどうなるのか。普天間飛行場の移設にかかわる人々も、複雑な思いをのぞかせる。戦後五十八年近く米軍と暮らしてきた県民には、歓迎と戸惑いが錯綜(さくそう)した。 普天間飛行場の五年以内全面返還を公約に当選した伊波洋一宜野湾市長は「普天間基地のヘリコプターも当然、撤退対象だろう。そうなれば辺野古への移設計画も見直される」と歓迎した。「米軍は、隊員とヘリは一体だとして基地撤去要求を拒んできた。隊員を移してヘリを残すとなれば県民を欺くものだ」と指摘、返還に向け米軍に働き掛けるよう国と県に求めた。

厳しい見方

 普天間爆音訴訟の島田善次原告団長は、喜びつつも「思いやり予算がある限り、普天間基地は閉鎖されない。基地用地が確保されていれば、政策転換で兵隊は戻る。一時的なパフォーマンスでは」と厳しい見方だ。

 普天間飛行場の移設先とされる名護市。賛成を主張する辺野古活性化促進協議会の島袋勝雄会長は「近い将来、報道のような状況があるとは思えない。東南アジアや中国をにらんだ米軍の戦略や最近の経済情勢などから、足場としての沖縄は必要。普天間基地(移設後を含め)は不動だろう」と話した。

 ヘリ基地反対協議会の仲村善幸事務局長は「報道通りであれば、これ以上の朗報はない。最終結論でなくても、国外移転の議論が始まったことだろう。このような時期に、辺野古の海を埋め立てて、最高レベルで保護されるべき環境を破壊して基地を建設するのは非現実的だ」と指摘した。

生活の糧は

 沖縄には、基地から生活の糧を得る県民もいる。米軍用地の地主は約三万千人。年間の地料は七百五十億円にも上る。海兵隊の海外移転が、県経済にダメージとなる可能性も否定できない。

 県軍用地等地主会連合会の仲間昌信副会長は「北朝鮮の問題もあり、海兵隊が沖縄から撤退するのか疑問だが、事実なら事件・事故も減るので歓迎すべきこと。提供用地がどうなるかは、日米政府で議論されるだろう」とだけ話した。

 基地従業員は約八千七百人。全駐労沖縄地区本部の兼次徳助委員長は「事実なら新たな雇用問題が発生する。日本政府に事実関係を確かめながら、雇用を確保するよう最大限に働き掛けたい」と不安を漏らした。

 キャンプ・ハンセンがある宜野座村の浦崎康克村長は「同盟のパートナーである日本からの撤退は簡単には信じがたい」と冷静な反応。「SACO事案が進まないこと、レンジ10問題など最近沖縄で演習がやりにくくなっていることへの(米紙を通した)けん制ではないか」との見方を示した。



5月29日(木)

うららちゃんの教習所日記
 今日は路上での停車と、駐車の練習です。
 二十一世紀の森公園まで行って、駐車場で一般の車(駐車場にとめてある車)の隣に駐車をします。
周りの車にぶつからないように、様子を見ながら駐車場の枠の中に車が入るように近づけていくのは難しかった。
次の時間は二時間連続で、憩いの村(みんなでよくいくお風呂)がある長い上り坂をずーっと登って、頂上まで行き、帰りは下り。エンジンブレーキの使い方を習いました。
 それからあとの一時間は大宜味までの運転。速度を一定に保つ、というのがうまくできない。ちょっとオーバーしたりスピードが落ちてしまったりしました。二時間連続で運転するのは疲れました。でも、運転する感覚がだんだんわかってきたので楽しかったです。
HP「イラクからの報告」より転載
詳しくはこちら→ http://www.ne.jp/asahi/cyura/kiyoko/iraq030527.html
出発式 2003.5.27

那覇空港で14:30から、出発式が行われた。            
まずは、沖縄から持っていったもの。   
「衛星電話」   
長さ15cmくらいで少し分厚い。
沖縄から持ち込む薬。   
3人で手分けしたので、これが1/3。
右は缶詰の栄養剤。
赤十字の印を貼った薬のダンボール。   
預ける荷物1人分。   
かなりの重量になっている。   
出発式。   
少し遅れて始まった。
平日にも関わらず、前回同様、多くの人   
が集まった。想いは皆同じ。
マスコミも集まった。   
多くの人に伝えて欲しい。
   
前回派遣団団長の島田さんが挨拶。   
続いて平良さん。   
教会のメンバーが賛美歌を賛美。   
旗は平良さんが務める教会のもの。   
平良さんは、沖縄の教会からイラクの   
教会へ謝罪と連帯の文書を届ける。
マスコミの取材を受ける。   
2人は笑顔で「行ってきます!」   
   
もう一人は、東京からすでにヨルダンへ   
入っている。   
いってらっしゃい!
「見送る方はたまんないな・・」と   
前回派遣団メンバーの一人。   
そうなんですよ!

5月27日に沖縄を出発した平和市民連絡会の島田正博さんと平良夏芽さん。
被爆する事も覚悟して、みなさんから集まったカンパで現地で必要な物資を届けにイラクへ。
その夏芽さんからのホットなニュースです。
平良夏芽さんのイラク報告No.1   5/28(水)19:01の電話連絡より


14:30 那覇空港にて出発式。多くの修学旅行団のかたわらで出発式は行われた。平和市民連絡会の仲間たち、キリスト者の仲間たち、新聞を見てカンパを持って駆けつけて下さった方々、そしてマスコミ各社、30〜40名が集まって下さった。城間勝さんが司会をして下さり、平和市民連絡会事務局長代行の当山栄さんの派遣の言葉の後、島田さんと私(平良)が挨拶をした。それで式を終わろうとしたとき、そこに集まったキリスト者の仲間たちが賛美歌を歌って下さった。420番と405番である。本当にうれしかった。
2Fの出発ゲートに移動した頃、遅れて駆けつけて下さった方々も無事に出会うことができた。

島田さんの持っていたクレヨンが2回も引っかかって、なかなかセキュリティゲートをパスすることができなかった。銃弾にでも見えたのだろうか。
2人とも機内に乗り込み、無事出発。後はアンマンで先に行った白井さんと無事に会えるかどうかである。
と、この記録を記している時、飛行機が急に上昇を止め、減速して旋回をした。米軍機か自衛隊機とニアミスでもしたのだろうか。機は再び上昇を始めた。上昇を中断して旋回するというのだから、異常な何かがあったに違いない。

ドバイ時間午前5:45(時差5時間、日本時間10:45)27℃。大阪は16℃だった。ヨルダン時間9:10着(日本時間16:10)。SARSのチェックで時間がかかり、さらに預けた荷物がなかなか出てこなかったので、アンマンについてから1時間半くらい出ることができなかった。
最後の荷物のチェックで多量の医薬品を発見されハラハラしたが、沖縄からイラクへのプレゼントだと言ったら通過させてくれた。
白井さんとモサさんが空港まで迎えに来て下さった。前回と同じパレスチナホテルにチェックイン。
イブラハムさんと再会。そこで白井さんからとびきりうれしいニュースを聞いた。バグダッドから来たNGOの人がマニブーに会ったというのだ。市場のガキ大将はさすがに強い。無事だった。本当に良かった。是非会いに行きたい。
イブラハムさんからバグダッドの状況を伺った。昨日も大きな銃撃戦があり、多数が死亡したという。イブラハムさんは米兵とイラク人との戦争だったという。本当に戦争は終わっていないのだ。

バグダッドに入る日程が決まった。明日の午前2時(日本時間9時)にスタートして国境線で待つ。6時頃に国境が開くので、そこで待っている他の人たちとつながって砂漠の道を走る。
単独で行動するのはまだまだ危険すぎるからである。

イラク報告No.2   5/29(木)0:15電話連絡
ハラヘルで急いで昼食をとり、買い物に出かけた。買い物に出かけると言ってもまずイラクのニーズを調べる必要がある。赤新月社に行き様子を聞き、次にイスラム教のNGOに行き様子を聞いた。
わかったことは、医薬品の他に新生児用のミルクが必要だということだった。それぞれの団体に、国境線を無事に超えるための証明書を出してもらいたいと願い出たが、無理だった。

わずかな情報だけを取り、買い付けに出かけた。
0才〜1才用のミルク、24缶入り1箱を、55箱で2500ドル。抗生物質等を7500ドル。これを2台の車で運ぶことになった。
今回運転をして下さっているモサさんとイブラハムさんがかなりがんばって下さって、値切って下さった。どこまで本当のことを言っているかわからないが、ミルク問屋さんも、薬問屋さんも、「あなた達は自分のためではなくイラクのために、しかもわざわざ来て下さったのだから。」と言って、定価よりかなり安くして下さった。薬は何と40%オフである。常識的には客を店に連れて行くと多少のお金がもらえるのだが、モサさんはそれを断り、その分安くしてくれるよう店主に願い出て下さった。
私たちが礼を言うと、「自分たちはイラクのために何もできていない。だからせめてこれくらいのことはしたい。」と言って下さった。

これで物はほぼ揃った。
後は国境線を無事に超えられるかということだ。そして物資をきちんと配れるかどうかである。
30日の昼にバグダッドに着き、5日の朝にバグダッドを出てくる予定である。その間、マニブーを探し、ワリードさんと会い、幼稚園、病院等を訪問したいと願っている。
果たしてどこまで実現するだろうか?





5月28日(水)

晋くんの「命を守る会」日誌
5月27日(火)
 
・調査船は朝7:30に出発。13:30頃帰って行きました。
僕が夕方バイクで名護方向に向かっていると、辺野古方向に作業員の車が向かっていくのが見えました。なんだろう、この時間帯では暗くて船は出せないし、変わった事がないか、明日確認します。

守る会では午前中、僕と佑治さんで草刈をしました。調査船監視で来ていた薫さんが守る会の番をしてくれたのでとても助かりました。薫さんはその後、平良夏芽さんのイラク派遣の見送りで出かけていきました。

平良夏芽さん、島田正博さん、白井さんの3人はイラクに医薬品を届けに行くのと前回見て回った場所が今どうなっているのか(経済制裁が解除されると現状が隠蔽される可能性もあるので)見て回って6月7日に沖縄に帰ってきます。生きて帰ってきてほしいです、まだ沖縄での大仕事があるので帰ってきて欲しいです。

午後、琢磨さんが守る会に「じゅごんの里泡盛」を届けにきました。31日に行われる辺野古浜辺での「ジャンの海アシビ」の話を色々してくれました。海にじゅごんの形をしたオブジェを浮かべ海上基地の大きさを体感してもらったりするそうです。とっても楽しそうです。琢磨さんの考えている事はいつも楽しくてすごい。

火曜日は嘉陽のおじぃの日。僕はおじぃと色々な話をします。今日は今の辺野古についてでした。おじぃからすると「基地問題がきてからというもの辺野古の人々は心が腐敗してしまった」との事。辺野古で生きる事、それはとても厳しい事ですが、人間として生きる希望がとてもある場所です。沖縄は悲劇の島だけど明日に向かって生きる島です。つらい事があればこそ人は強く、自分に厳しく、自分らしく生きられると辺野古の人々、辺野古の自然は言っています。それが僕の生きる原点だと思います。明日もがんばろう!
うららちゃんの教習所日記
 今日の乗車は名護市街地を走りました。(じゅごんの家の前も通りました)自分が歩いてる時には気にならなかったけど、名護十字路は路上駐車している車がいっぱいでした。人が飛び出てこないか、ドアをいきなり開けることがないか、注意しながら徐行して進みます。(ドアをいきなり開ける、というのを前に私は読谷でやったことがある・・・)気を使いながら運転する。自分が今までやったことや、交通ルールへのルーズさがいかに運転者にとって迷惑かということがわかりました。あとの一時間は方向転換、縦列駐車の練習。後ろを見ながらハンドルをまわす、というのが怖くてなかなかできずおこられました。でも一応(先生の誘導つきで)成功。
お店にはお子さんが4人いる女性が
衣類や靴などたくさんの寄付を
もってきてくれました。
えばっちの映画のお知らせ
今度の映画のチラシをお送りします。
東京アテネフランセ
大阪シネヌーボォー
です。
なんとか、六月の東京には、イキタイデス!!!!

えばっちより
沖縄の新聞より
<2003年5月28日 朝刊 22面>
救援物資持参しイラク向け出発/平和市民連絡会
募金335万円、現地で医薬品購入

 米英軍の攻撃で、戦火に巻き込まれたイラクの人々に医薬品などの救援物資を届けようと、平和市民連絡会のメンバー二人が二十七日、イラクに向けて那覇空港を出発した。

 イラクに向かったのは、今年一月に続き二度目の派遣となる島田正博さん(那覇市議)、牧師の平良夏芽さん。出発式で、島田さんは「現地の治安は悪化しているが、米軍支配を直接体験した私たちが、ものを言わずに座しているわけにはいかない。ウチナーンチュの心のこもったカンパを届けたい」とあいさつした。

 現地の治安状況に不安を口にした島田さんだが、「大きな戦争があったが、民衆の連帯がどのような力を持てるかを確認したい」。平良さんは「沖縄や小泉首相が認めてしまったことをしっかり見つめ、皆さんに報告する義務がある。必ず生きて帰ってくる」と語った。

 出発式に駆けつけた同連絡会のメンバーら約二十人は、平和を願う賛美歌を歌って激励し、手土産などを託した。

 二人は二十八日に空路、ヨルダンのアンマンに入り、陸路バグダッドを目指す。沖縄からは、段ボール五箱分の抗生物質と、放射能探知機二台、沖縄の子どもたちが描いた絵やメッセージを持っていく。さらに現地では、同連絡会が集めた約三百三十五万円の募金で医薬品を購入する。六月七日に帰沖する予定だ。

ジュゴン・ウミガメをモチーフ
環境保護訴え看板

【名護】市瀬嵩の国道331号沿いに25日、ジュゴンとウミガメをモチーフにして自然環境の大切さを訴える看板が設置された。
  看板は縦1.8メートル、幅3.6メートルで、藻が生い茂った海をジュゴンの親子とウミガメがゆったりと泳いでいる様子を描いている。世界自然保護基金(WWF)ジャパンの助成を受け、「ジュゴンの里」の有志の会のメンバーらが約3ヶ月かけて作製した。
 「ジュゴンの里」の東恩納琢磨さんは「毎年、ゴールデンウィークや夏休みになるとごみが増え、年々海が汚くなっている。付近に生息しているジュゴンとウミガメを見て、自然の大切さを実感してほしい」と期待を寄せた。



更新 2003年5月28日 水 10:19

訓練の廃止要求再確認/名護市議会レンジ10特別委

【名護】名護市議会レンジ10対策特別委員会は27日、米軍キャンプ・シュワブ射撃場「レンジ10」で21日に開かれた安全対策説明会後初の会合を開いた。

 会合では、銃弾が着弾区域を囲むコンクリート部分にも着弾することなど、米軍の安全対策に疑問の声が続出。訓練の廃止を求める姿勢に変わりがないことを再確認し、6月2日に開会予定の6月定例会に、廃止を求める意見書を提案することを決めた。数久田区との意見交換も行う方針。

 委員らによると、米軍側は説明会の席で、コンクリートで囲まれた1475メートル離れた着弾区域(縦7メートル×横10メートル)以外に、コンクリートの枠部分にも銃弾が当たることを説明。過去に発生した事故については「以前はくぼ地全体がターゲットになっていた」と、跳弾の可能性については否定したという。

 枠部分への着弾について委員らは「どこに跳ぶか分からない」「さらに危険度が証明された」などと批判した。

 終了後、宮城康博副委員長は「銃弾は枠内の赤土部分に着弾すると認識していたが、米軍は厳しい射角制御装置を付けても、銃の特性としてコンクリート部分に当たると説明した。狙い以外の所に弾が行く可能性は否定できない」と、訓練場の欠陥性を強調した。

 一方、米軍や那覇防衛施設局はこれまで、跳弾の可能性について「久志岳が天然の壁となって民間地に弾が飛ぶことはない」と説明していた。



5月27日(火)

うららちゃん日記
5月25日(日)
 日曜日なので自動車学校はお休み。篠原さん、ようこさんと、瀬だけの朝市に行きました。まだ少し時間が早くて、おばあたちが品物を並べているところでした。おばあと一緒に朝市のテントのなかに座らせてもらって、お茶菓子を食べながらゆんたく。(昔おばあちゃんのうちで食べたような懐かしいお菓子)梅雨なので今日も雨が降っています。おばあの若い頃の話から、結婚の話、免許の話、旅行の話、それから有事法制の話。日本はおかしいと言ってました。政治家たちだって戦争を経験したはずなのに・・・・。「もし戦争になったら、危ないのは沖縄だと思う?おばあは危ないのは首都、東京だと思うね」とおばあ。卵を売りながら、戦争の事を考えている沖縄のおばあ。

午後は、お店に戻ってきて店番をしました。夕方には晋君が帰ってきて、辺野古のはつこさん(金城佑治さんの奥さん)からもらった、つるむらさきとモロヘイヤの苗をじゅごんの家の前の花壇に植えてました。

5月26日(月)
今日は自動車学校へ。二時間乗車があり、一時間は今帰仁、一時間は羽地へ。車の通りが少ない道だったのでゆっくり運転できて楽しかったです。でも坂道が多くてちょっと緊張しました・・・。失敗してしまった。もっと勉強しないとあぶない・・・。
晋くんの「命を守る会」日誌
5月24日(土)
 辺野古での基地建設を止めさせるための「基地の追い込み漁」をやる日でした。が、大雨のため残念なことに延期。でも測量船が出せないよう神様が激励して大雨にしてくれたのかな?イベントは延期になってしまいましたが、守る会を訪れる人々は絶える事がありません、夕方頃までに約200人が梅雨に入った大雨の中来ました。この基地建設反対への関心の高さを表していると思います。
その中で真喜志好一さんによる法律面からの定義、それに対する質問やまよなかしんやさんのミニライブ、ヘリ基地反対協の人達によるこれからの基地建設反対の運動の話等がありました。
僕自身も今まで守る会にいて見えなかった沖縄の人々の基地に対する思いを感じられてとても有意義な一日になりました。人が来る、活気が出る、盛り上がって元気が出ます。多くの人が守る会、辺野古へ近付く良い機会になったと思います。

平良夏芽さんは27日からイラクに再度行く。前回、戦争前に見てきた場所をまた見てくるんだと言っていました。本当にすごい人だと思う。僕も一緒に行って見て回りたい、世界を牛耳っているアメリカと腰ぎんちゃく日本が「復興」だと言って人々を殺した場所に行って、アメリカが隠そうとしているその現場を目に焼きつけたい。僕はもっと戦争を止めるために出来る事があったのだと思う、今回のやるせない気持ちをこの辺野古で活かしていきたいと思います。
沖縄で何が出来るのかもう一度、有事法制を通させないという事を通して問われてくるのだと思います。

・調査船は今日のイベントがあったので出ませんでした。


5月25日(日)
 昨日来訪した、「中国残留婦人」の事を演劇で伝えようと全国を回っている横井さんからその演劇のビデオをいただいたので、祐治さんと一緒に見ました。

 中国残留婦人は13歳以上の女性の事を言って、13歳以下は中国残留孤児というのだそうです。
第二次世界大戦中、日本が中国に対して一方的に堵殺を行って、大勢殺していた。日本軍は中国の人々の抵抗にあって戦況が悪くなると日本に逃げ帰っていった。その中で日本に見捨てられて中国に取り残されていった日本人を「中国残留婦人」と言います。日本軍が一方的に中国の人達を差別して、殺して、日本人だけが中国の中で裕福に暮らしていた、その状況を中国の人々は自分達の手で変えていきました。それと同時に中国に取り残された日本人はその恨みの対象となっていきました。

 演劇では戦後の日本で暮らす家族の父が昔、戦争で中国に行っていた頃に妻がいて、その妻が「中国残留婦人」として日本に来るという所からの話でした。
 この話は沖縄とだぶる、沖縄も日本に占領されて、もて遊ばれて、最終的に捨て駒にされました。「中国残留婦人」の人々は生きていくために、天皇がおわなかった「戦争責任」を引き受けなければならなかった、「沖縄」は天皇が「戦争責任」から逃れるために、アメリカに売りとばされ、基地をおしつけられた。沖縄は戦争になる前から日本にいじめられ続けています。
 祐治さんは「ここにいるおばぁ達はこの婦人達と同等、それ以上の差別を強いられてきたと言っても過言ではないのだよ」と話していました。その通りだと思います。どれだけ、「中国残留婦人」の人々が「戦争責任」と向き合って、中国の人々と信頼を築いても、日本政府はそれを常にぶち壊してきました。許せない事です。朝鮮の有事だなんて日本やアメリカは口が裂けても言ってはいけない事です。自分達が犯してきた事を「清算」しなければいけません。

 ここにいるおばぁ達も中国残留婦人の人々も60年間の歴史と共に「戦争」を背負い生きてきた、僕はそれと向き合いたい。命を守る会のおばぁが言っていました「私たちは基地建設がきてから、賛成、反対で隣近所、姉妹、親子で真心で付き合えなくなってしまった。」と。同じ様に戦争によって大和人とは「真心」から付き合えない壁がある。早くおばぁ達と「真心」から付き合える日がきたら良いのに、と僕は毎日思います。
ここから変えていこう、今の僕のあり方、日本の有り方、変えていこう。「いつまでも暗闇じゃないさ♪必ず朝日は昇る♪(まよなか★しんやさんの歌)」この基地建設に包囲網!全国から追い込み漁だ!!

・調査船は波が高いためでませんでしたが、業者は8:15に漁港に現れ、船を大きな船に乗り換えていました。沖合を調査する場合は大きな船でないといけないそうです。そのための乗り換えです。9:00頃、帰って行きました。
5月26日(月)
 今日は守る会は定休日ですが、調査船の監視のため午前中だけ見に行きました。
昨日は大雨で海上は大波だったので調査船は出ませんでしたが、今日はそれが嘘の様に晴れ渡っていました。「沖縄も夏じゃぁ!!海に入れる♪」といつもは晴れると気が晴れるぼくですが、調査船は晴れだと出るので気持ちは晴れません。あーあ嫌だねぇーーーー、まったく。

調査船は7:50に出航。船を大型に乗り換えて、沖合で作業。

・辺野古に調査船監視または抗議に来られる心ある皆様へ、「晋情報」
調査船は必ず、その日の満潮の時間の5時間前に出発しています。準備がその1時間前あたりですので、もし抗議または監視で来られる場合はだいたい、満潮の時間の6時間半〜7時間前の間で来られると作業員が来る時間に間に合います。毎日、6:30頃に来られる方もいらっしゃいますが、持久戦なので時間と計画を立ててこられると良いかと思います。無理はなさらないように。

 帰りに嘉陽のおじぃの畑に寄って、おじぃと畑でゆんたくしました。これから15日間ぐらいの間でゴーヤーとかヘチマが旬になります。冬瓜(とうがん)はもう少し先。ウンジャナバァー(にがな)はもうどんどん出来ていてそろそろ時期は終わります。
今日、おじぃは冬瓜の栽培の手入れをしていました。「これから先、僕達は5年後があるかどうか・・・、そろそろ世代交代だよ。晋! 君が後輩を育てて、この海を守るんだよ、頼んだぞ!」とおじぃ。「はい!」と僕。
おじぃの畑に行くと沖縄の野菜の旬の匂いがします。
沖縄の新聞より
<2003年5月27日 朝刊 26面>

「市民の側に立った報道目指す」/新聞労連アピール

 新聞労連(明珍美紀委員長)は二十六日、県庁で会見し、有事関連三法案の衆議院可決や、個人情報保護法の成立、イラク戦争報道の反省・検証を通して「あらためて市民の側に立った報道を目指す」との決意を示したアピール文を発表した。

 明珍委員長は有事関連法などについて「国を揺るがす法律が、総論だけで報道されている」とした上で、「メディアに携わる者は反戦平和を認識し、市民の側に立った報道を目指すべきだ」と強調した。また、社内で自由に発言できる雰囲気づくりが大切だと指摘した。

 アピール文は「『戦争のために二度とペンを持たない』と誓った先輩に思いをいたし、新聞人の原点を思い起こすことが必要」としている。

<2003年5月27日 朝刊 2面>

在沖海兵隊、韓国へ緊急投入訓練

 沖縄に駐留する第三海兵遠征軍(〓MEF)が初めて高速輸送船を使用し、韓国に五百人余の兵員を緊急投入する輸送訓練を実施した。沖縄を二十一日に出港し、韓国南東部の慶尚北道浦項に二十四時間以内に到着。従来、揚陸艦などで二―三日かかった韓国への移動時間を大幅に短縮した。

 在沖海兵隊は朝鮮半島や他の太平洋地域への大隊(五百―七百人)規模の車両や装備品を「二十二時間から三十一時間以内で運ぶことができる」と、即応能力向上を強調している。 同報道部や韓国の中央日報紙などによると、高速輸送船は最高速度四十ノット(時速七十四キロ)で、人員や装備を満載しても三十二ノット(同五十九キロ)で航行。千人の人員、戦闘車両、ヘリコプターなど約四百トンの装備品を運ぶことが可能という。

 二十二日には在韓米陸軍第501軍事情報連隊も通信傍受や映像情報を収集する装備を報道陣に初公開した。

 在日米軍の緊急投入訓練は年二回行われるが今回、機密性が高い情報収集装備公開と合わせて実施したことは、核開発など瀬戸際外交を行っている北朝鮮への抑止力誇示という狙いが明らかだ。

 〓MEFの兵員五百人余は二十八日から来月十九日まで、戦闘訓練を含む「韓国増員プログラム03」に参加する。

※(注=〓は「ローマ数字」の「3」)


7市町村に住民基本台帳の一部閲覧初請求/自衛官募集で沖縄地連
更新 2003年5月25日 日 10:45

自衛隊沖縄地方連絡部が自衛官募集を目的に、今年から、これまで未実施だった7市町村に対し、住民基本台帳の一部の閲覧を請求していたことが琉球新報の調べで24日分かった。請求は、住民基本台帳法で閲覧が認められている4情報(氏名、住所、生年月日、性別)に限っているが、今年からの実施について防衛庁側は「自衛隊への県民の期待が高まっている」と社会情勢の変化を理由に挙げている。一方、7市町村の中には、自衛官募集の受託業務を拒否している2市村も含まれ、戸惑いを見せている。以前から実施している市町村を合わせると閲覧、請求は27市町村と過半数に及んでいる。

 自衛隊沖縄地連は、今年2月から5月にかけて、石垣市、平良市、今帰仁村、本部町、宜野座村、金武町、竹富町の7市町村に、「自衛官募集のため適齢者の絞り込み」を理由に住民基本台帳の4情報の閲覧を初請求した。

 石垣市と今帰仁村は、自衛官募集の受託業務を拒否している。受託業務を拒否している南風原町にも昨年から請求。同じく拒否している与那城町も閲覧している。

 初めて請求を受けた市町村は「今までなかったのに、この時期になぜ」と戸惑いながらも「法的に問題ない」と請求に応じた。

 陸自西部方面総監部広報室は、来春の高校卒業予定者へ募集案内のダイレクトメールを送るためとしている。また閲覧していない市町村への今後の対応について、「住民基本台帳法では何人も住民基本台帳の一部の閲覧について請求を認めている」とコメントした。

 石垣市は回答をいったん保留し、請求拒否できないか検討した。しかし、拒否できる法的根拠が「特にない」として1週間後に閲覧を許可した。

 自衛隊の初請求に関係者は「有事法制の時期だからか。今後強力に自衛隊募集を進めていくのだろうか」と懸念を示した。

 軍事評論家の前田哲男さん(東京国際大教授)は、「沖縄の本土復帰前後に、自衛隊の駐留をめぐり県民との間であつれきがあった。自衛隊にとって沖縄に受け入れさせることは、悲願の一つ。有事関連法案が15日に衆院を通過し、これから国民保護法制が制定されれば、自治体と自衛隊はさまざまな接点を持つのは明らか。沖縄でこれまで受け入れられなかったことと、有事法制の枠組みという新たな立場を利用したいとする両方の要因が、沖縄に影響している」と分析した。

◇94年以降1000人突破/県内の受験者

 自衛隊沖縄地方連絡部によると、県内の在住者で自衛官の受験を希望する数は、1994年から1000人を突破している。2002年度は1551人が応募し、177人が入隊した。同地連は、受験者数が増えた要因について、「就職難と、市町村の受託業務が増えたからではないか」とみている。

 98年は1931人とピークを迎えた。これに対し、入隊者数は90年代以降、90人から200人台で「狭き門」となっている。

 同地連では、ダイレクトメールやバスでの広告などで自衛官を募集している。市町村による自衛官募集の受託業務は2002年度で県内52市町村のうち、41市町村が実施している。

「Peace Choice−平和のための選択」 ピースチョイス情報(24) 2003年5月27日

★ 「声明文」と「ピースチョイスへの再度の呼びかけ」
http://www.3chan.net/~peacechoice/sandou.htm

ブッシュ大統領のイラク戦争「戦闘終結」宣言に対する「ピースチョイス連絡会」と「ピース・チョイス・キャンペーン実行委員会」からの「声明文」、そして「ピースチョイスへの再度の呼びかけ」が上記のアドレスにアップされています。

皆さんに読んでいただき、更なる賛同をいただければ幸いです。

内容は次の通りです:
1.声明文(2003年5月)
2.ピースチョイスへの再度の呼びかけ
 ● 今までの活動報告
 ● 今後の目標、行動提案
 ● 賛同のお願い

(以上)

「ピースチョイス連絡会」
URL: www.3chan.net/~peacechoice
E-mail: peace@3chan.net



5月26日(月)

マキシさんのカヌー奮闘記
手作りカヌーを持ってマキシさん登場 親友の米須さんは立派なカヌー 浜でたわむれるマキシさん
カヌー登場 処女航海は辺野古の海で! みんなも手伝う
1(いちっ)! 2(にっ)! 3(さんっ)!おーっ!!
あっ あーあ 見事にひっくりかえって今日は終了。
僕はあきらめない!
I'll  be  back!
「船を見たときからこりゃダメだと思ってました」・・・琢磨さん



今日の海上デモ&集会は雨のため延期となりました。が辺野古には続々と人がやってきたのでしんやさんのライブやマキシさんの話がありました。
うららちゃんの辺野古日記
5月24日(土)
今日は辺野古で海上デモと集会がある予定でしたが、雨がひどいので「中止」ではなく「延期」となりました。命を守る会には真喜志さんや夏芽さんと希代子さん、琢磨さん、与那覇さんや、宮本さん夫婦も来ていました。守る会のなかで安次富さん達ヘリ基地反対協、真喜志さん、それから金城佑治さんから環境アセスや、調査船に抗議するこれからの運動のしかたについて、(カヌーの練習をしてみんなで海上デモだ!)の話があったあと、とりあえず解散となりました。

真喜志さんが、友達の米須さんのとても立派な木製のカヌーと一緒に車に乗せて運んできた、木の棒で枠を作ったものにビニール(?)で形をつけてある、手作りなかんじの・・・カヌー・・・?を、「せっかく持ってきたんだから海に浮かべる!」というので、一緒に浜まで着いて行きました。

雨が降って、海は濁っている。海水パンツ(ビキニ)に着換え、オールを持って海へと向かっていく真喜志さん。波が寄せる辺野古の海に、カヌーとともに入って行きますが・・・進まない。頑張れ真喜志さん!・・・・しかし、頑張って漕いだものの、「ばきっ!!」という音がして、カヌーは真喜志さんとともに転覆。あぁ・・・。壊れたカヌーは真喜志さんの知り合いの方が直してくれるということで運ばれていきました。
 真喜志さんは「ばっちり写真とれた!?明日のジュゴンの家日誌は『真喜志のカヌー奮闘記』だな!」と言ってました。残念だったけど、とっても面白かった!!琢磨さんは、用意したカヌーを車に積んでいました。次回の集会の日には、晴れますように!!
25日(日)瀬嵩の朝市にて
雨の中、朝市へGO! まずはお買い物!
料理名人のつるおばぁ到着。
ソーミンチャンプルーの品だし
はつねおばぁはインゲン豆をむいて出します。(私たちもお手伝い) おばぁと話がはずむ篠原さん
夕食は大家さんからもらったミジュン(小いわし)を揚げて、朝市で買った野菜の甘酢あんかけ、もずく酢、漬物、ゆし豆腐。
オバァからおせんべいをもらって食べる篠原さん




5月25日(日)

以前お店に来た久美ちゃんが雨の中遊びに来ました。今はアルバイト期間を終え旅をしているそうです。 そこへアルファさん一行ご来店。
オオシッタイで藍染をしている春田さんは初来店。
「あはごんしゅぎ」をお買い上げ!
藍染をやっている智恵さんは染められそうな素材探し。毛糸やズボンなど買ってくれました。 大きな荷物をもって南恩納ユースへ行く久美ちゃん。真生さんの本「沖縄ソウル」をお買い上げ!! 数日前、「楽しい!」といいながら
薫さんが店内をきれいにしてくれました。その@壁に飾ってくれたTシャツ
そのA
ダンボールでついたてをつくって
Tシャツも見やすいように
並べてくれました。
「Peace Choice−平和のための選択」 ピースチョイス情報(22) 2003年5月21日
★ 推薦新刊本案内
ピースチョイス賛同者の方から、推薦新刊本の案内が届きましたのでお知らせします。

"The best democracy money can buy" by Greg Palast.
『金で買えるアメリカ民主主義』(角川書店/1800円)
グレッグ・パラスト著/貝塚 泉・永峯 涼訳

米国生まれのグレッグ・パラストは、現在、英国BBCとオブザーバー紙(ガーディアン・メディア・グループによる日曜新聞)の事件調査レポーターをしています。その彼が米国のメディアが決して取り上げない事件の真相追究のために、資料と取材を駆使して書き上げた本が、『金で買えるアメリカ民主主義』です。

内容は、――ブッシュは2000年大統領選の勝利をどのように盗んだか?フロリダ不正工作の徹底解明、IMFと世界銀行は第三世界をどのように騙しているか?グローバリゼーションの罠、政治家と大企業が一緒になって世界を混乱に陥れているその実体、ウォルマートの恐怖、ブッシュ一族金権図、フロリダ電力民営化の闇、ブッシュの福音導師の正体、エクソン社アラスカ座礁事件の顛末、英国を売り払うブレア内閣、etc. 

ピースチョイス賛同者の方々からは、「これはとてもおもしろい本です。今まで私が未知だった世界について知ることができました」、「いまの米英を考え、ジャーナリズムの惨状を知るには必読!訳もこなれています」と推薦の言葉が送られて来ています。

また、グレッグ・パラストのウェブ・サイト http://www.gregpalast.com/ には、さらに多くの大企業の不正行為についての記事が掲載されていますので、是非ご覧下さい。

(以上)

「ピースチョイス連絡会」
URL: www.3chan.net/~peacechoice
E-mail: peace@3chan.net
「Peace Choice−平和のための選択」 ピースチョイス情報(23) 2003年5月23日 
★ 不買対象企業の追加プロフィールを「ピースチョイス企業情報」としてお届けします。第一回目は、シティバンクを傘下に入れる世界的な金融サービス・グループの『シティグループ』です。

企業名: シティグループ(Citigroup) http://www.citigroup.com/

金融サービス企業体であるシティグループは、化石燃料開発への資金投資が世界第一位となっている。イラク戦争においてシティグループは、石油および軍需産業双方への出資によって多額の利益を得ることになる。石油と軍事中心政策と国際金融サービスが相互に依存しあっているという意味において、これら三者は象徴的な存在である。

100カ国以上の国で営業をしているシティグループは、北アメリカでは最大の非上場金融機関であり、さらに全世界では第三番目となっている。顧客リストには化石燃料開発をリードしているシェブロン社、エクソン社、ブリテッシュ・ペトロリウム(BP)社が含まれている。

また、重役名簿にはシェブロン社の元最高経営責任者、CIAの元代表、爆弾(トマホーク、ペイトリオット、バンカーバスター)を製造しているレイセオン社の重役メンバー、軍用ペリコプター(ブラックホーク、シーホーク、コマンチ)を製造してい
るユナイテッド・テクノロジー社の最高経営責任者、さらにAOLタイムワーナの最高経営責任者が含まれているのである。

このようにして世界経済と政治システムを巻き込んでいるシティグループは、世界金融市場での拡大成長を着実なものにして来ており、その結果、シティグループの影響は地域コミュニティと環境にも及んできている。環境、社会および政治的な犠牲を招くことを全く無視してシティグループは、世界中にお金とそれによる影響を及ぼしているのである。

米国石油企業がイラク戦争からの富を得るのはまちがいないが、シティグループは多分それ以上にイラク戦争から利益を得ることになるであろう。  参考サイト: www.actagainstwar.org/article.php?id=41

●日本での営業:
シティグループ傘下には、シティバンク(Citibank)、ダイナーズ・クラブ(DinersClub)が含まれ、さらに日興シティグループ証券会社が1999年から営業している。

シティバンク http://www.citibank.co.jp/
日興シティグループ証券会社 http://www.nikkocitigroup.com/

5月24日(土)

うららちゃんの教習所日記
5月20日(火)
 仮免合格後、初めて路上に出た。場内コースで運転する感覚を慣らしてから、学校の外へGO!
場内と違って人はいるし、車が多いし、緊張してスピードを上げることが最初できず、走るのがゆっくり過ぎました。歩きなれた名護の町を自分が運転して車が動いているというのはとても不思議な感じでした。
 車を動かすのは楽しくもあるけど、ぜったい人を傷つけることがないように肝に命じて運転したいです。

5月22日(木)

 今日は東京に帰るアリちゃんを送って空港までようこさんが一緒に行くので私が店番をしました。
篠原さんと一緒に花壇の手入れをしました。篠原さんは6月伊江島の「ヌチドゥタカラ平和資料館」に行くそうです。
ケンさんと新垣さんはたくさん買い物をしていってくれました。昨日、薫さんが店内をバッチリ素晴らしくチェンジしてくれました。今日の売れたのは薫さんのおかげだと思います。
 大家さんからはミジュン(魚)の差し入れがありました。
久しぶりにお店をやってたのしかったです。   

5月23日(金)
 今日の路上教習は58号線を通って許田を通って幸喜のあたりまで南下しました。最高速度60キロまで出しました。軽くアクセルを踏んだだけでスピードが出てしまう。方向指示器を直前に出して針路変更する車や、指示の合図を出さない車がいました。実際の運転ではいろんなことがあります。
沖縄の新聞より
写真説明:イラクで医薬品などを手渡し支援活動を行うと発表する平和市民連絡会のメンバー=23日午後、県庁記者クラブ

医薬品などイラクへ支援物資/平和市民連絡会
更新 2003年5月24日 土 10:26


 米英軍によるイラク戦争に反対する活動を続けている平和市民連絡会は23日午後、県庁記者クラブで会見し、イラクに那覇市議の島田正博さん(53)と牧師の平良夏芽さん(40)のメンバー2人を派遣し、県外から集めた募金で医薬品などを購入し届けると発表した。島田さんらは「戦争で傷ついた民衆、子供たちを支援したい」と語った。

 同連絡会は今年1月、イラクに島田さんらメンバー7人を派遣するとともに、ハンガーストライキや集会などで、「民衆が犠牲になる戦争に反対」などと平和を訴えてきた。4月からはイラク民衆の救援募金活動に取り組み、5月23日現在、335万円余を集めた。また、医薬品など多くの支援物資も寄せられた。

 今回、島田さんと平良さんは27日に沖縄を出発。案内人を務める白井耕祐さんと共に、28日にヨルダン入り、陸路、イラクに入る予定。3人が飛行機内に持ち込める分の医薬品、募金で購入した放射能検知器2台、浄水剤などを持ち込む。ヨルダンでは募金の残り全額を使い、医薬品などを購入する。

 ただ「現地の情勢が不安定で、正確な情報が入らない」(平良さん)ため、現地での行動は不確定要素が多いという。6月7日に帰国予定。

マキシさんに連れて行ってもらったやんばるツアーで一緒だったエリックさんの記事
<2003年5月23日 夕刊 7面>

「辺野古のさんご礁世界で引けとらぬ」/シュルサさん

 ノルウェーの自然保護団体で活動する海洋生物学者のペールエリック・シュルサさん(31)が、名護市辺野古で米軍普天間飛行場の代替施設建設が与える周辺海域への環境調査に取り組んでいる。

 シュルサさんはノルウェー最大の自然保護団体「ノルウェニアン・ソサイエティー・フォー・ザ・コンサベーション・オブ・ネイチャー」のスタッフ。さんご礁の研究者で、保護活動を展開している。

 三年前に沖縄サミットを報じたノルウェーの新聞で、「さんご礁の上に米軍基地を建設する計画がある」ことを知り、関心を持った。十八日に来県し、県内の建設反対派や米軍の環境関連担当者と面談、二十二日に辺野古沿岸域を視察した。

 「沖縄周辺のサンゴは北限に位置し、大変興味深い」と話すシュルサさん。「サンゴや魚などの種類が豊富で、世界的なさんご礁に引けを取らない」と絶賛し、「(米軍施設建設は)生態系に悪い影響を与える」と懸念する。

 また、環境影響評価(アセスメント)について「建設した場合、しなかった場合などさまざまな状況を想定して、多様な側面から検証すべきだ」と話し、「建設ありき」との批判もある辺野古沿岸域でのアセスメントに対して疑問を投げ掛けた。

 二十四日に沖縄を離れ、帰国後は雑誌や新聞紙上で辺野古沿岸域の現状を報告する予定。


5月23日(金)

晋くんの測量船監視日記
19日、いつもと違う時間に船が出た 機材を積み替える業者さん
悦美さん、薫さんと一緒に辺野古散策 嘉陽のおじぃ
金城師匠が遊びにしました


5月18日(日)

今日もたくさんの人が辺野古を訪れました。
調査船は今日も出ません。朝は山口洋子さんとかおるさん、平良夏芽さん、他、12〜3名の人が来て、監視を行いました。
調査船も出なかったので皆さん、カヌーをしに瀬嵩へ。


5月19日(月)
午前7:30、真喜志好一さん、アリちゃん、ようこちゃんと一緒に辺野古へ。
到着して平良悦美さんの方へ行こうとすると目に飛び込んできたのは米軍の強襲揚陸艦(ドック型揚陸艦)。海上の方で「ガー、ゴッ!ゴッ!」という音がしたので、水陸両用車だ!と早速浜へ走りました。案の条「水陸両用車」が辺野古の浜へ上陸訓練をしていました。それが8:10。水陸両用車はそのまま戦車道に入って行きました。軍艦も時間がたつにつれ沖合へと出て行きました。
今、目の前で起こっている事は戦争です。
有事法制を作ろうとしている日本はもう一度、軍隊を作って、今度はアメリカと一緒になって戦争をしようとしています。この沖縄の状況を変える事で、沖縄が23万人もの人の死によって手にした教訓を多くの人に伝える事で戦争も基地も無くしていけると思います。
米軍の演習がありましたが、その後、調査作業員が来て、調査へ出て行きました。
今まで休んでいたのは「島サミットがあったから」だそうです。ずっと休んでくれていたらいいのになぁ。

5月20日(火)
朝、平良悦美さん、かおるさんがすでに辺野古に来ていました。「今日の調査船は6:30に来て積み込み作業をして7:00に出港」していったそうです。ずいぶん早いと思ったら「満潮の時間に合わせて来ている」そうです。
午後、嘉陽のおじぃも来て、自分の幼い頃感じた事などを話してくれました。人間としてのやさしさ等、体験談を通して語ってくれました。今の人達に欠けている物が戦前、農業を営んでいた人々にはあると思います。「思いやりの心」。
その後、金曜集会に来る岡田さんが家族を連れて辺野古に遊びに来ました。岡田さんの娘のやっちゃんはとっても楽しい人でした。今の状況など色々と話し合いました。いつも「思いやり」を持って生きていきたいなと思いました。

5月21日(水)
調査船は朝、かおるさんが監視。昨日と同じ7:00に出港。午後3:55には引き上げていきました。


5月22日(木)
今日、調査船は7:00に出航、11:30に引き上げていきました。
6月はもずくの養殖があるため調査は出ず、7月からまた調査を再開する様です。その前に状況を変えよう!!

辺野古に毎日居ると、色々な情報が舞い込んできます。防衛施設局の局員が毎日、ジュゴンの家のホームページをチェックしているという事も。もし、今日のこの日誌を見ているのであれば一言、言いたい。今すぐ、辺野古での新基地建設を止めて!そして名護の米軍実弾射撃演習場「レンジ10」を廃棄することは安保上出来ないと防衛施設局長がいっているけど、名護の人たちは実弾が飛んでくる危険の中で生活する事になる。今すぐ「レンジ10」なんて廃棄するべきだ。それなのにまた新しい基地をつくろうとしている。僕はそれを絶対に許さない。
おばぁ達の言葉に耳を傾けた事がないのになぜ基地建設が出来るのか!
僕は本当の豊かさや平和をつくる ひとりになりたい。

沖縄の新聞より
<2003年5月22日 朝刊 1・27面>

離島患者の搬送困難/新型肺炎
2次感染を懸念/自衛隊・海保県要請に難色

 県は離島で新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)患者が発生した場合の搬送ヘリ出動を、自衛隊と海上保安本部に四月から要請しているが、「二次感染防止を検討中」として両者とも回答を保留、現段階で搬送手段確保のめどがついていないことが二十一日、分かった。県は新型肺炎対策の「行動計画」で、確定患者と「可能性例」を琉大付属病院に搬送することを決めたが、搬送手段は明記していない。「離島の患者搬送にはヘリがぜひ必要」として要請を続ける。

 県は「離島を抱える自治体の共通課題」と判断し、二十二日から長崎県で始まる九州衛生主管部局長会議で、国に離島患者の搬送体制整備支援を求める要請を提案する。

 同時に、院内感染を防ぐ「陰圧式個室」の整備など、離島での治療体制づくりも進めていく。

 現在、県には急患搬送用のヘリがなく、離島の急患搬送は陸上自衛隊と第十一管区海上保安本部のヘリが行っている。

 そのため、県福祉保健部は四月九日以降、文書や口頭で新型肺炎患者の搬送要請を続けてきた。

 しかし、防衛庁は「機材や装備は感染症に対応しておらず、隊員を通した感染が懸念される。近く判断基準を示すが現状では厳しい。最終的には各部隊の判断」と慎重な姿勢。十一管区本部も「二次感染防止を本庁とすり合わせている」と説明している。

 背景には、中国など流行地域で、医療関係者を中心に二次感染が広がったことへの懸念がある。

 県は感染症対応の搬送台車「アイソレーター」三台を注文。だが、「陸上用で、航空機に対応できるのか研究が必要」(同庁)、「機体に入るか試さないと分からない」(同本部)という。

 同じく離島を抱える長崎県は「防災用ヘリでは小さすぎ、別の手段を考えなければならない状況。沖縄県が提案しているように国に調整をお願いする必要がある」と話している。







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