ジュゴンの家・日誌
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西 陽子
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3月D

3月26日(水)そのA
今朝の朝刊の投稿欄に、ジュゴンようこちゃんの後姿が後ろ姿が!
チューやんが作ったジュゴンは沖縄の人にも大人気!!
3月25日発売の雑誌(マガジンハウス発行)
 「クロワッサン」(4月10日号)にうららちゃんが載っています。
 女の新聞 〜日常生活の中の差別〜のコーナーです
晋くんの辺野古キャンプシュワブ監視日記
11:00頃にディーゼルのエンジン音が響く。行って見ると、水陸両用車の演習が行われていた。 戦時下での警戒は厳しい。写真を撮っていると銃を携帯した米兵が「カム、ヒアー!!」と言って近づいてきた。 米兵達に訴えるため「NO WAR」横断幕をその場で作りました。平和学習に来た沖縄の大学生と一緒アピール。
警戒に来ていた米兵達は横断幕を見て苦笑。「STOP WAR!!」と米兵に呼び掛ける。 こちらの様子を見て、しばらく動きを停止している演習。人々の監視は米軍の演習にプレッシャー。 祐治さんも若者達に訴える。
15:00大学生達が帰るとほぼ同時にエンジンをふかす。 土のうが積んである。その中に警戒している米兵が数名いる。 15:20水陸両用車8機、発進。
これが最後の1機。 発進後の演習の様子。
米兵が日本人警備員にも警戒にあたらせ、さらに警備強化 16:45、1機が海上で止まっている様に見える。
一台がもう一台を牽引しているようだ
(こういう演習なのか?)

牽引しているひもが見えた。故障?
牽引していた一台がサンゴ礁に引っかかって動けなくなっている。(あんまり上手くないから新米兵士かな?) その後もぞくぞくと帰ってくる。 17:08全機の上陸を確認。監視はここまで
みなさまへ
BCCで失礼いたします。
GOYA(Group of the Youth's Action)の藤原です。

『イクサヤナラン!in宜野湾』に
多くのご協力、ありがとうございます。
緊急の御報告です。

『イクサヤナラン!in宜野湾』は23日にスタートしたのですが、
いきなりゲ−ト前に米兵+日本の警察の見張りがいて
ゲート横の公園で写真展テントを張り、
24時間体制で泊まり込んで、企画を続けていました。
アメリカ総領事館前で座り込みを続けている
平和市民連絡会のメンバーがたくさん駆け付けて下さったり、
公園を散歩にきた家族、遊びに来た小学生、旅の大学生、
果ては夜デートのカップルまでがメッセージを寄せてくれていました。
中でも森住卓さん撮影の写真入り、
首相あて、ブッシュあての意見ハガキが好評です。
「本当に届くんだ!」と驚いた様子で書いてくれます。

しかし昨日25日、公園管理公社からの再三の通告を受け、
『警察呼びますよ』の声にさすがにびっくりしてしまい、
とうとう公園からは撤収する事になりました。

そこでメンバーで話し合いました。
もうチラシも刷ってしまったし、お知らせもしたし…
でも、大事なのはここで座り込む事でなく
アピールする事!という結論に達しました。

当初の予定通り、土曜日までは
場所は変わっても企画は続けます!

今日からは沖縄県内『人の集まるところ』を目指して
あちこちでやろうと思っています。
今日は県民広場(沖縄県庁前/那覇)です。
若者の街、北谷とかもいいよね、と思っています。

周知にご協力下さった皆様、急な変更で申し訳ありませんでした。
今日からの行動予定はホームページにアップします。
よろしくお願いいたします。
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GOYA(Group of the Youth's Action)
lets@goya.3005.net
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沖縄の新聞より
更新 2003年3月26日 水 10:16

イラク住民の犠牲許さない/県内各地で反戦の波

 米英両国によるイラク戦争開始から26日で一週間を迎える。イラク現地では連日空爆が行われ、軍事施設だけでなく、住民の犠牲も出ている。県内では戦争開始から断食抗議を続けている牧師のほか、若者有志も23日から平和を表現する集いを連日開き、バグダッド訪問団はイラク市民との交流の様子を伝えるなど、戦争中止を求める粘り強い活動を続けている。

 浦添市の米国総領事館前で10日間の断食抗議を続けているのは牧師の平良夏芽さん(40)で、連日50人以上が座り込みに参加するなど支援が広がっている。抗議行動を知った住民が激励に訪れ、道路を走る車も警笛で支援の合図を送って、窓を開けてチラシを求める運転手もいる。

 25日で断食6日目に入った平良さんは、「通勤途中の人も『気持ちは同じだ』と声を掛けてくれる。一緒に泊まり込んでくれる人もいる。戦争反対の声は確実に広がっている」と話している。

 23日から宜野湾市の普天間基地近くの公園で若者行動集団「GOYA(ゴヤ)」が開いている平和の集い「イクサヤナラン!イン宜野湾」には25日までに、小学生から高齢者まで約60人が参加した。手形や寄せ書きをしてもらうために用意した白い大きな布は参加者の平和を願う意志で埋め尽くされた。

 集会を呼び掛けた藤原奈央子さん(22)は「カナダなど国外からも携帯電話で励ましがあった。自分たちの行動を知った人が行動を起こさなければと思ったのではないか」と話し、関心の高まりを感じている。26日から29日までは那覇市の路上で平和を訴える活動を継続する。

 1月にイラクのバグダッドを訪問した平和市民連絡会の島田正博さんら派遣団は25日夜、浦添市内で現地報告会を行った。派遣団は帰国からの2カ月、県内外で10数回に及ぶ報告会を重ねている。

 25日はイラク戦争後初めての報告会となり、イラクで出会った子どもらの笑顔を撮影した映像や写真を紹介しながら「この子たちの上に爆弾を落としている。1秒でも早く戦争をやめさせよう」と訴えた。

 ゴヤの活動はホームページhttp://goya.3005.net/に紹介されている。

写真説明:平良夏芽さん(左から5人目)の支援で米総領事館前を訪れ、マイクを手に戦争中止を訴える藤原奈央子さん=25日午後6時すぎ、浦添市


応援機動隊300人、28日に沖縄入り

 米英軍などのイラク攻撃を受け、県外からの機動隊応援派遣を要請していた県警は25日、他管区から総勢約300人の機動隊員を受け入れることが決まったと発表した。機動隊員と警察車両は28日にも沖縄入りする見込みで、今月末から県内の米軍関連施設や空港の警備に当たる。

 県警によると、派遣されるのは中部管区と近畿管区からの機動隊員総勢約300人と、パトカーなどの警察車両約50台。26日に民間機とフェリーを利用して沖縄に向けて出発し、28日にも沖縄入りする。

 応援派遣をめぐっては、アフガニスタン攻撃の際に自衛隊機で沖縄入りしたことなどで、観光への風評被害を懸念する声が上がったが、今回は民間機やフェリーで移動。常駐警備も西原町の米国総領事館や那覇空港にとどめ、ほかの米軍基地などは巡回警備する方針で観光への影響を配慮した警備になりそうだ。

 県警はイラク攻撃を受けて20日に「イラク攻撃に伴う沖縄県警警戒警備対策本部」を発足。県公安委員会を通し、警察庁に県外の機動隊の応援派遣を要請していた。

イスラム教徒米兵の相談急増/イラク攻撃で苦悩

 米英軍のイラク攻撃が激化する中、在沖米軍ではイスラム教を信仰する兵士の宗教的な悩みの訴えが増えている。米軍にはイスラム教の導師がいて相談に当たっているが、イラク攻撃に対し兵士たちの複雑な心境がうかがえる。

 海兵隊によると、在沖米軍のイスラム教徒は200人から300人。開戦直後から、これらの兵士からの相談が増えているという。イスラム教の導師、イベン・ノエル海軍大尉(40)は「イスラム教は平和的な宗教だ」と繰り返し強調した。

 ノエル大尉は「私は戦争には反対。悲劇的だからだ」と話したが、一方で「武力の方針しかない場合は決断しなければならない。間違っていることを何もせず見ているのはよくない」と、攻撃の必要性を強調。その上で「(イラクの戦争は)早く終わってほしいし、起こらなければ良かったとも思う」と語り、イスラム教徒の複雑な心境をのぞかせた。

 今回の戦争で、イラクが宗教対立の構図に持ち込もうとしているのに対し、米側はこれを打ち消すことに躍起だ。

写真説明:「戦争は起こらなければよかった」と複雑な心境をのぞかせるイスラム教の導師イベン・ノエル大尉=25日、北中城村のキャンプ瑞慶覧




3月26日(水)

じゅごんの家日誌
篠原さんはジージャンに、手作り「NO WAR!」ワッペン♪ かばんにもつけました!

沖縄の新聞より

NYで平和訴え 与勝高生あす出発

 米国ニューヨークでダンスなどを通し、平和を訴える与勝高生の生徒8人が24日、県教育庁に津嘉山朝祥教育長を訪ね、「この時期だから平和の思いを伝えることができる」との意気込みを伝えた。

 津嘉山教育長は「高校生の姿に多くが感銘を受け、世を動かせるかもしれない」と激励した。

 リーダーの外間真理香さん=今期卒=は「沖縄戦体験者がいまもいやされずに涙で当時を語る。沖縄から戦争はやめて、と訴えたい」。

 野村洋校長は「保護者の同意を受け、派遣に踏み切る。現地の受け入れ側と連携して安全確保に万全を期したい」と説明した。指導に当たった宜野座映子教諭(55)は「2年前にアフガン空爆の中止を求めブッシュ大統領にEメールを送った子どもたちの決意は、急変したイラク情勢にも揺るがなかった」と話した。

 グループを「平和に満ちた愛の鳥たち」と命名した生徒8人(男子1人)は、26日に米国へ向けて出発。31日にコロンビア大学で琉球舞踊をアレンジした創作ダンスや紙芝居など10演目を披露、平和を訴える。




3月25日(火)

祐治さんと晋くんで領事館前座り込みに参加!
 晋くんの「命を守る会」日誌
3月18日(火) 僕は最近「戦争に行かなくてもいいんだ、行くな」という内容のビラを米兵に会うとわたします。フェンスの向こうでは僕と同世代の人達が戦争に人を殺しに行く訓練を毎日の様にしています。その人達に銃を握らしてはいけないと思うから。
 今日、午後、ブッシュの演説を聞いて怒っておばぁ達が事務所にやってきました。「戦争は悪い事よー何考えているかね、あのブス(ブッシュ)は!」と憤激していました。僕が「今日は首相官邸のホームページにサイバーデモをする日だから参加してみる?」とおばぁ達に説明して聞いてみると、しばらく考えていたけれど「やる!」とおばぁたち。

 辺野古のおばぁより 「小泉さん、戦争反対!平和が大事よー」

 辺野古のおじぃより 「今は戦争をやる時代では無い、平和のために進みましょう。」

 晋 「戦争参加を止めてほしくて書き込みます。今すぐ戦争参加をやめ、有事法を成立させないでください。僕達十代は戦争や基地を望んでいません。辺野古に基地は必要ありません。」

戦争をやるという世界のあり方が変わるまで絶対あきらめないぞ!
3月19日(水)
 ブッシュ声明、最低ーー!小泉のブッシュ支持、最低ーー!今すぐ攻撃を止めろー!
小泉さんの支持表明を聞いていてあまりに腹が立ったので104に番号を聞いて総理官邸に抗議電話をかけました。総理官邸の担当員が出て、

晋「沖縄の名護市から小泉純一郎首相に抗議電話です。小泉首相に直接話したいので出してもらえないでしょうか?」
担当員「それは無理てしょう?何かあれば伝えますが」
晋「僕はブッシュ大統領を支持する小泉首相の事が理解できません。何を考えているんだという気持ちでいっぱいです。納得のいく説明をしていただきたいけれど、イラクの人々を殺す事に賛成する事はやはり納得いかない事です。今すぐ支持撤回を申し入れます。」
担当員「あー、支持撤回を申し入れるという事ですね」
晋「はい、よろしくお願いします。」
担当員「・・・はいはい、・・ブツ!!プープー」

わじわじしながらテレビを見ていると今度は国会で小泉さん支持表明。
おばぁ達も怒り爆発!!「晋、電話かけれー!こんなの許せないよ!」

104に電話番号を聞いて国会に抗議の電話、

晋「もしもし、今、国会を中継を見ていたのですが、沖縄名護市から小泉首相に抗議の電話です」
国会の係員「はい、えーとそれでは秘書の方に回しますのでしばらくお待ち下さい。」
小泉秘書につながるぞ!「ぴろぴろぴーぴろぴろぴー・・・ガッチャ!はい小泉でこざいます。」
晋「こんにちは沖縄の名護市に住む18歳富田晋と申します。今、国会の中継を見ていてブッシュ大統領を支持する小泉首相にとても怒りを感じています。小泉純一郎首相を出していただけませんか?」
小泉秘書「はい?そんなの無理に決まっているでしょう!」女性でした、早く電話を切ろう切ろうとするので
晋「僕は小泉首相に国民の声を伝えたくて電話しているのです。声を届ける事もしてはいけませんか?」
小泉秘書「はい、それじゃどうぞ。」
晋「今、支持表明をされましたよね、僕はどうしても納得がいきません。イラクの人達を殺す理由は無いではないですか。今すぐ支持を撤回してほしいのです。」
小泉秘書「テレビをしっかり見てください。理解できますでしょう、戦争か平和といったらだれだって平和でしょう?」
晋「ではなぜ支持するのですか?僕に納得のいく説明をしてください。戦争の支持するとはイラクにいる人を殺す事につながるのです。その事を容認するとはどういう事なのですか?」
小泉秘書「あなたの言っている事は理解できません。」何度、繰り返しても同じ返事が返ってきます。
晋「どう理解できないのでしょうか?」
小泉秘書「極端すぎて理解できないと言っているのです。」
晋「極端すぎる?戦争をする事は極端じゃないのですか!なんのための戦争ですか説明して下さい」
小泉秘書「ですからイラクの人々の解放と・・」
晋「解放?ふざけないで下さい!人を殺して何が解放なんです!」
小泉秘書「ハァ・・理解できません、あなたの言っている事は、」
晋「まだ説明の途中でしたね、すみません。」
小泉秘書「テレビを見てお解かりでしょう?小泉は日米の関係を重んじてああいう結論をだしているのです。」
晋「つまり、日米関係を重んじるのでイラクの人々の命よりもそっちの方が大事という事ですか?かつて日本も独裁政権でしたよね、でも私達は広島、長崎、沖縄の様に多くの人々が死ぬ事を望んでいましたか?今、小泉首相がやろうとしている事は同じ事です。北朝鮮に住む人達も人間なんです。」
小泉秘書「・・・・・・・・」
晋「小泉首相に僕達の未来を託せません。」
小泉秘書「あ、そうですか。」
晋「僕が言った事を考慮していただけますか?よろしくお願いします!イラクの人達を殺す事に手を貸さないでください。」
小泉首相「はい、じゃぁ伝えます。」ブツ!プープープー・・・・これで終わり。

 ぼくは未来を任せられない政府とは知っていましたが、こんな政府、絶対にいやだと本当に怒りを感じました。一人一人の出来る事は少ないけれど、つながり広がればどんな事も可能にする力があります。それをおばぁ達は証明し続けています。全国でがんばっている人々に、どんな重圧にも負けず戦争反対を続けてください。僕はこの辺野古の海を守るため今日もがんばっています。
3月20日(木) 今日は20日、名護で戦争反対集会だー!

 朝からおばぁ達用の戦争反対うちわをつくりました。僕がなにかしているとおばぁ達が喜んでくれます。「何をやっているねぇー晋。」と初子さん。「今日の集会用おばぁ達の戦争反対うちわだよ」晋、「若い者は色々アイディアがあっていいね」とおじぃ。

 午後6:00、「とめようイラク戦争!北部住民集会」に命を守る会12名で参加。20名の予定でしたが、辺野古の行事が重なり、92歳のヨシおばぁは「今日、行きたいわけよ、どうしても。でもどうしても行事が入っていてねぇ」とくやしがっていました。「僕がおばぁのぶんもがんばってきます」と僕。 集会でのおばぁ達の「ぬちどぅ宝」のはちまき姿かっこいい!
晋より辺野古からの報告

 5月から辺野古の海で防衛施設局による(環境アセスメントとは関係が無いようですがはっきりとは分かりません)辺野古の海の海上調査が始まるようです。今回の海上調査はボーリング調査のようです。海上にやぐらを立てて、くいを打ち込み、地質を調べる調査です。40〜50箇所でこのボウリング調査をやるという事です。4月から海上規制が始まるとの情報も入っています。


3月23日(日)

 街のホームページに乗っていた「13歳の演説」をおばぁたちに読んであげました。13歳が語る言葉、80代のおばぁ達に響いたようでした。
 沖縄戦を知っているおばぁ達は戦場に居る兵士達が人間性をどれだけ失っているかを知っています。

 「日本軍は女性だろうが、子供だろうが殺し尽くした」と。

 人間が疑心暗鬼に捕らわれている時、戦場では動いて見える物が全て敵に見える、市街地戦が始まれば、女性や子供も容赦無く殺される、それが戦争なんだとおばぁ達は話していました。


 午後、世界中のデモの様子が乗っている街のホームページをおばぁ達が見ました。春子さんは東京の様子を見て驚いた様子、「あんたのお母はどれね!」とはりきって見ていました。おふくろの太鼓をたたいて戦争反対をしている様子を見ると「あぎーー!!これね!踊っているさ、元気ねぇがんばっているさ」とうれしそう。小禄さんも「良いね、良いね若者ががんばっているね、」とうれしそう!
沖縄の新聞より

非戦 沖縄からの思い イラク戦争を見つめる
平良夏芽さん(大里村)


 「イラクの友達を殺すな」。20日午後0時半すぎ、牧師の平良夏芽さん(40)=大里村=は流れる涙をぬぐうことなく、浦添市の米国総領事館に向かって叫んでいた。イラク攻撃をさせないように抗議している最中に開戦を知ったからだ。1月のイラク訪問で出会った1人ひとりの顔が目に浮かび、戦争を止められなかった無念さでいっぱいだった。

 イラク滞在中、湾岸戦争の米軍空爆で多くの市民が犠牲になった防空壕や、がんや白血病で死を待つばかりの子どもらを目の当たりにした。

 多くの出会いの中で、人を拒絶しない優しい国民であることを知った。マスメディアから流れる好戦的な人はどこにも見当たらず、出会った人々は「戦争は嫌だ」と口々に平和を求めていた。平良さんはイラクの人々に約束した。「米軍基地のある沖縄に帰るから、そこで戦争をさせないために全力を尽くす。必ず戻るから生きていて」

 帰国後、県内外で報告会を開き、イラクの現状を伝え続けた。平和への思いは広がった。三重県の報告会に参加した女性(18)は、平良さんからもらったイラクの子どもの写真に「イラクの私の友だちを殺さないで」と書き添え、首にかけて通勤するようになった。

 先日、米軍基地の外から米兵に「イラクを攻撃しないで」と呼び掛けた。米兵は辺りに誰もいないことを確認し「私も思う」と静かに答え、2人は金網越しに”握手”を交わした。平和を願う気持ちは基地内にもあった。しかし、戦争は始まった。「約束を守れなかった。本当に全力を尽くしたのか」と自分を責めた。

 開戦の20日からハンガーストライキを始め、10日間、総領事館前で座り込み行動を続ける。「断食することで片時も戦争を忘れないようにし、イラクの人々の死が迫りつつある恐怖を共有しようと思った」。抗議行動を知り、「何かできないかと思ってここに来た」と話す若者や「頑張って」と声を掛ける通行人は後を絶たない。

 「戦争はひとかけらも許されるものではない。1日1秒でも早く戦争を終わらせるまであきらめない」。平良さんの決意は固い。

【写真】
「イラクの友人が死にそうなんだ」と米国総領事館に入れてくれるよう警察官に許可を求める平良夏芽さん=20日午後、浦添市の同総領事館前
<2003年3月25日 朝刊 30面>  校庭に人文字「NO WAR」400人参加

「NO WAR」の人文字ですべての戦争をやめるように訴えた=沖縄市・球陽高校  「NO WAR」の人文字ですべての戦争をやめるように訴えた=沖縄市・球陽高校

 戦争反対の思いと、平和の大切さを多くの人に伝えようと二十四日、球陽高校の生徒ら約四百人がカラフルな傘でグラウンドに「NO WAR」の人文字をつくった。安里千歌さん(二年)ら三十人の実行委員の呼び掛けに卒業したばかりの卒業生も参加、反戦の願いを表現した。

 千歌さんと、安里美穂さん、喜屋武夏海さん、山城千弥さん(いずれも二年)の四人が集会を思いついたのは十五日。ぽかぽか陽気のなかでの昼食中に、「平和だねー」とつぶやいたことがきっかけ。

 緊迫するイラク情勢が四人の頭に浮かび、「受験勉強しても戦争になったら終わりになる」と、人文字づくりを思い立った。校内にポスターをはったり、携帯電話のメールなどで友達や卒業生に参加を呼び掛けた。

 「なんでいまさら、無駄だよ」と冷ややかな声もあったというが、在校生の六割近くが加わった。ジョン・レノンの「イマジン」やSMAPの「世界に一つだけの花」が流れるグラウンドに人文字が浮かんだ。

 喜屋武さんは「平和を願う気持ちがみんなに伝わった」と喜んだ。「みんなとおしゃべりしたり、普通に暮らせるのが平和」と千歌さん。「恥ずかしかったし、ちょっと勇気もいるけどやってよかった。これをきっかけに大人も考えてくれたら」と話した。


まよなかしんやウルマ通信より
来月までの予定(変更がありました)
3月
20日〜29日 イラク攻撃弾劾! ハンスト決行中
米国総領事館前 毎夕6時から抗議行動あり
25日(火) イラク報告会
PM6:30 浦添社会福祉センター
29日(土) イラク攻撃ただちにやめろ!街頭行動
14:00〜 ビラ街宣行動/県庁ひろば(予定)
16:00〜 反戦デモ(平和市民連絡会)
30日(日) 14:00〜17:00 ぎのわんセミナーハウス
「沖縄・パレスチナ・イラクを結ぶ土地の日」集会
(3/30 土地の日実行委)
3月31日(月)〜4月6日(日)まで、県庁前広場にて座り込み(平和市民連絡会)
4月
5日(土) 16:00〜18:00 駐労センター(宜野湾伊佐)
普天間基地・全面返還
あと7日カウントダウン・シンポジウム
6日(日) 16:00〜 県庁前から国際通りをデモ
反戦県民大会
嘉手納から第1ゲートへデモ(5千〜1万人目標)
8日(火) 18:30〜 国際通りデモ
12日(土) 18:00〜 普天間基地第1ゲート前
普天間基地全面返還・カウントダウン秒読み集会
13日(日) 11:00 「浜下り」(一坪反戦・浦添)
15:00 ビラまき・街宣(平和市民連絡会)
16:00 イラク攻撃阻止デモ
3.21全国高校生平和集会の様子


3月24日(月)
晋くんの「命を守る会」日誌
パソコンで各地の反戦デモの様子を見るおばぁ なんちゃんがきました 藤中さん
辺野古の米軍基地のフェンスに
「戦争へ行かないで!」
というビラを貼る
みなさま
こんにちは、ごぶさたです。加藤久美子です。

実は、わたし2月15日から10日間、イラクに行ってきました。
取材の仕事で行ったのですが、報告を
http://www.du-japan.com/iraq_1.html
に書いてます。ぜひ読んでください。
戦争が始まる前に書いたものです。

今イラクでの映像を編集中なのですが3月24日(月)11時半からのテレビ朝日「ワイド!スクランブル」で
今回撮った映像の一部が流れます。ぜひご覧になってください。


さらに、イラクでの映像で緊急に「NO WAR on IRAQ!ダイジェスト版(6分)」を作りました。ビデオ(VHS)で、500円で販売してます。こちらも興味があればご連絡ください。

よろしくお願いします。

イラク攻撃が早く終わり
近いうちにお会いできること
いのりつつ

Iraq report 

かとうくみこ

2003年3月14日


爆弾を落とされる人の気持ちに近づきたかった。
日本で、テレビや新聞のニュースではわからないこと、それはバグダッドに暮らす人々の気持ちだった。出発を決めてから出発までの一週間、普段よりも注意深くニュースを見聞きしていたけれど、現在の「イラク」の姿は見えてこなかった。本も読んだけれど、実感できない。(池澤夏樹さんの『イラクのちいさな橋を渡って』はすばらしかったけれど!)
正直、これまでのわたしが持つイラクのイメージといえば、湾岸戦争、劣化ウラン弾で苦しむ子どもたち、そしてサダム・フセインしかなかった。


イラク関係のニュースは日々報道されている。けれど、周りの友だちに、「バグダッドに行く」と言っても、「バグダッドってどこ?」という答えが帰ってくる。テレビや新聞のニュースは「生活」から遠い。だから知りたかった。イラクの人はどんな人なのか?イラクの生活ってどんなものなのか。


イラクには日本から直行便は飛んでいないので、アムステルダム経由でヨルダンのアンマンまで飛んだ。フライトだけでも17時間近くかかる。そこから陸路でバグダッドを目指す。アンマンから国境に着いたのはちょうど夜明けで、青と紫と赤の空が広がっていた。朝日が登ってきて道を照らし、車の影を作る。無事国境を越え、イラクに入ると道は広い。茶色い砂漠が広がる。車はバグダッドへと、イラク音楽の威勢の良いテープをかけながら猛スピードで走る。音楽と風景は、とても遠くへ来たこと感じさせてくれる。


日本を2月15日に出発し、16日にやっとバグダッドに着いた。バグダッドは、道も空も広い、のびのびした街だ。チグリスはゆったりと流れ、昼も夜も美しい。レストランもインターネットカフェも、しゃれたお茶屋さんも、いろんなお店もある。治安はとても良く、物捕りに遭う雰囲気もない。もっと荒廃し緊張した街かと思っていたが、それはまったく違った。アンマンよりもリラックスした雰囲気を感じた。わたしにとって初めてのバグダッドは平和に見えた。


今回参加したNASYO(非同盟学生青年機構)のプログラムは17-21日で、学校や病院などを訪問したり、会議をおこなったり、ファッションショーやCulture Nightのような催しも企画されていた。全世界から何百人もの参加者が来ている。世界中の人々がイラク攻撃に反対している。日本からも100人近い人々が、思想の違いを超えて右も左も関係なく、参加していた。日本の反戦・非戦運動は、2月15日の世界的盛り上がりから見ても、ちっぽけだ。世界の主要都市では何十万人という人が集まっているのにもかかわらず、東京は1万人にも満たないノ。けれどこの会議でのプレゼンスは大きかった。バグダッドでは、みんな協力できるのに、どうして日本では協力して一丸となって盛り上がれないのかと少し悲しくなる。
(★追記:3月8日のピースウォークは盛り上がり、東京だけで4万人、全国で5万2千人が参加した。それに参加すると「戦争はいやだ」「イラク攻撃は間違っている」と思って、個人的に参加してる人が多かった。この日も思想の違いを超えて、いろんな人が集まっており、やっと日本の「戦争反対」の声も盛り上がってきた、と希望をもった。)


会議の最中、抜け出して街を歩いてみた。外国人は珍しいのか、ものすごくじろじろ見られる。けれど、敵意は感じない。にこにこしながら「ミスター!ミスター!」と声をかけてくれる。なぜか、女の人にも、振り向くまで「ミスター!」攻撃である。わたしは心の中で、ミスターじゃないっ!とつっこんでいた。もちろん英語が話せる人は「マダーム」と声をかけてくれるのだが。


もっと直接的に「ヤパニ?ジャパン?」と聞いてくる人もいる。そうだと言うとそのおじさんは、「グーッド」と親指を立てて言ってくれた。わざわざそばにきて、「welcome!」といってくれる人も、何人もいた。「バグダッドはどうだ?」という質問もよく受けた。「よい街だ」というと、「バグダッドへようこそ!」とにっこり笑われる。その笑顔にやさしさをとても感じた。わたしはアラビア語ができないのでそれ以上の話にはならないけれど、外国人に対する「もてなし」の気持ちを強く感じた。人々は本当にフレンドリーだった。


途中、両替屋さんのおじさんに、チャイを飲んでけと誘われた。やんわりと断っているとペプシならどうだ!とおしきられ、ソファーに座って話を聞いた。(ちなみに『コーラ』のことはイラクでは『コカコーラ』や『コーク』ではなく『ペプシ』である。レストランでも「ペプシかセブンアップか」と聞かれることがほとんどだった。)
両替屋のおじさんは、わたしたちにペプシをおごってくれながら、昔は3ドル1イラクディナールだったのに今は2500だ、と札束をつかんで嘆いていた。するとそこのもう一人のおじさんが、「でもきっと状況は変わるから、見ていてごらん」と強い目をして言った。彼は「イラクの状況はきっとよくなると信じている」と言った。そして彼は「No one wants war, no one.(だれも戦争なんて望んでない)」と悲しそうな目で言った。そう、誰だって戦争はいやだ。


イラクの人は明るくてまじめで、12年にもわたる経済制裁下でも工夫して、暮らしてきた。たとえば車はぼろぼろだけれども、あちこちの会社のいろんなパーツをつなぎ合わせて、走れるように整備して乗っている。新しい機械はほとんど入ってこなかった。(最近、コンピューターはすり抜けて入ってきているようだ。インターネット文化は少しずつ成長中らしい)だから工夫するしかない。手持ちのものを使いまわして、とことん利用する。イラク人は経済制裁下で、器用に、そして強く賢くなった。

18日には有名な「サダム子ども病院」と「アメリヤシェルター」を見学した。サダム子ども病院には、難病の子どもばかり集められているらしい。大きなバスで病院に行き、ぞろぞろと病室に入っていくだけでも気が引けていたが、ベッドの上でぴくりとも動かない脳死状態の子どもがいて、鉛を飲み込んだような気持ちになる。ベッドのそばで家族がずっと泣いていた。静かに泣いていた。医療機器につながれた、ちいさなちいさな死にゆく子ども。これはこの病院の日常風景なのだろう。辛くて悲しくて、でも伝えなくちゃと思って、ビデオをまわした。国連の報告では、湾岸戦争後の8年間(91年〜98年)で60万人の子どもが栄養失調や、薬不足で死んでいった。毎日、何百人もの子どもが死んでいったことになる。病院を出て、子どもの明るい元気な笑顔に出会うと、ほっとした。

「アメリヤシェルター」は湾岸戦争のとき、アメリカ軍が『誤爆』し、そこに逃げ込んでいた400人以上が、亡くなった場所だ。2発の爆弾はシェルター内を地獄に変えた。一発は分厚い壁に穴を開け、もう一発はその穴から中に入り爆発した。イラクで一番大きくて安全だと言われていたそのシェルターには、爆撃を逃れようと多くの女性や子どもが集まってきていた。だれもシェルターに爆弾が打ち込まれるなんて思っていなかった。地面には人の影が残っている。広島の原爆で一瞬にして人が蒸発して消えて影だけ残ったように。
わたしたちがここを訪れたとき、たまたま停電になった。シェルターの中は真っ暗になった。その暗闇の中で、ここで暮らして亡くなった人々のことを思った。今は、整備され、きれいになっているが、どんなにひどいことがこの場所で起こったのか、停電のおかげのその暗さでじっと考えた。


たった2発の爆弾でもこんなにひどいことが起こる。もしイラク攻撃がまた起こったら、大変な事になる。誰か(何か)によって、一瞬で自分の生活が、幸せに生きる権利が奪われてしまうこと、そんなひどいことはないと思う。戦争はいやだし、爆撃もいやだ。戦争は何も生み出さない。殺し、奪うだけだ。

この日、通訳のボランティアで来ていた高校生の男の子にバスの中で、アメリカが攻撃をすると言っているけどどう思うかと聞いてみた。彼はわたしにこういった。「みんなもう、戦争や爆撃にうんざりしているんだよ。だから今さら怖いとかじゃなくてうんざりという感じ。今までも戦争はあったし、もうみんな慣れてしまったよ。」その子とは、映画や音楽の話、コンピューターや普段の生活のことをいろいろ話して仲良くなった。学校に通い、家族や友だちと過ごし、わたしたちと同じようにメールで世界に友達を作っている彼。ブライアン・アダムスとマトリックスが大好きな彼。そのわたしの友だちの上にも、爆弾が落ちるかもしれない。

平和に見えるバグダッド、のんびりしていて、こちらが拍子抜けするほどだ。人々も楽観的に見える。「アメリカの軍隊が1メートルでもイラクの国内に入ってきたら、勇敢なイラク人が首をちょん切ってやる!」というおじさんもいる。その気持ちも本当だ。別に『攻撃』したいわけじゃない。戦争になんてなってほしくないとみんな思ってる。けれど、やってこられたら、自分たちを守るしかない。イラクの人々はどう考えてもつりあわない兵力のアメリカ軍に対しても、自信満々で「イラク人は勇敢だから大丈夫」と言う。
けれど実際に自宅まで行ってゆっくり話を聞くと、人々がとても恐れているのが分かる。どこの家庭でも、水や小麦粉、油を貯蔵している。冷蔵庫や冷凍庫は食料でいっぱいにしてある。燃料や発電機、ランプが用意してある。そして銃がどこの家にもある。


「近い将来に戦争は起こると思うか?」「ニュースはどうだ」とよく聞かれた。わたしは戦争にはならないと胸を張って答えたいけれど、わたしがならないと言ったところで、現状は変わらない。「戦争はないと信じています」と答えていた。みんな怖がっている。安心したいのだ。去年からアメリカがイラク攻撃をすると言われてきて、状況は日々良くも悪くもなる。毎日のニュースに一喜一憂だ。そんな状態が続いて、人々は精神的に疲れている。

爆弾が落ちるかもしれないという恐怖の中で暮らすことは、近い未来の予定が立てられないということだ。今年就職予定の学生はどうなるのか。例えば戦争で学校が中断したら、どういう風に再開するのか。誰も想像つかない。だから考えられない。考えないようにして。毎日同じように暮らす。「もし」戦争がおきたらのことだからと、自分に言い聞かせる。

イラクから出て行ける人は出て行く。しかしそれも一握りの人たちだけだ。仕事や学校や家族や、離れられない理由は大きい。残る人たちはさらに、重たい気持ちになる。

イラクでは結婚ラッシュだと聞いたけれども、その気持ちも分かる。わたしたちが泊まっていたホテルでも、毎日のように結婚式をやっていた。確かなものがほしいのだ。明日攻撃が始まったら、死んでしまうかもしれない。好きな人と離れ離れになるかもしれない。そう思えば、早く結婚して絆を確かめたい。家族を持ちたい。わたしもそう考えると思う。

落ちてくるかもしれない爆弾に対して、そこで暮らす人々には何もできない。井戸を掘り、爆撃をたえるための穴を掘り、準備をしたらほかには何もできることはない。だから学校に行き、職場に行き、いつ始まるのかもわからない戦争の脅威の中で、暮らしていくほかない。そういう恐怖の中で、それでも毎日、食べ、祈り、働き、勉強し、人々は生きている。

わたしたちヒロシマの人間は、60年近く前にそういう気持ちを味わった。わたしはヒロシマ生まれヒロシマ育ち、わたしのばあちゃんは被爆者だ。1945年、市民の上に原子爆弾は落とされた。たくさんの子どもが死んだ。たくさんの大人が死んだ。広島は焼け野原になった。そしてヒトの生活はそこで途切れた。一瞬でたくさんの命が、人生が奪われた。東京大空襲だってそうだ。たくさんの市民が、アメリカの空爆によって殺された。犠牲者の数はヒロシマよりも多いのだ。そのような体験を持つ日本に住むわたしたちは、人々に落とされる爆弾を黙って見ていていいのだろうか。

人々の上に爆弾が落ちる。道で遊ぶ無邪気なこどもの、人なつこい笑顔のおばさんの、お茶をすする渋いおじいさんの上に爆弾が落ちる。わたしの知り合った優しい人たちの上に…。そんなことには絶対にさせてはいけない。アメリカという世界のいじめっ子をとめなくてはいけない。せめて、戦争はいやだと言おう。世界中の「戦争をいやだ」と言う声が、唯一イラクへの攻撃からイラクの人々を助けているのだから。

帰る前に、友人のお母さんに言われた一言が響いた。
「今度は平和なときに会いましょう」

今のバグダッドはもう平和じゃない。
http://www.du-japan.com/iraq_1.html 




3月23日(日)
県民大会へ行ったときの写真をアリちゃんにプリントアウトしてもらって
ユキさんご機嫌!

「こんどのデモはいつ?」とユキさん。
 3月23日(日) 「街」日誌より
 渋谷 ピースウォークのアピールをしています
 そこに会長を先頭に店をしめてきた後発隊が登場
 八王子集会でのライブを終えて渋谷に駆けつけた
ヨッシー隊と合流
午後4時、「イラク反戦・ストリート・ファイティング・バンド」のパフォーマンスのスタート
 アッという間に、ハチ公前には人垣ができました
 若者のピースダンス
 外国人も若者も、ピースボードを手に戦争を止めようをアピール
 5時20分、宮下公園に移動  ショーちゃん達もいました
反戦犬・リンタロー、再び登場。でも眠そうです  看護婦さんのアピール。ブッシュ・小泉を治療しよう(^o^)丿
先週より増え、3000人の人が集まりました  松尾さんからのアピール
「ヨッシーとジュゴンの家」は唄います
 ♪ さぁさぁ、デモに出発しましょう  先頭は「イラク反戦・ストリート・ファイティング・バンド」
 渋谷街に「イラク戦争とめよう」の大コールが響き、街が騒然と
 宮下公園に戻ってきたデモは、4000人に増大していました
 来週の土曜日もやりましょう! (^o^)丿
 例によって、お疲れさま&腹ペコで乾杯 !(^^)!
 中華をいただきました。高菜の炒めもの  定番のチャーハン
2種のキノコの炒め あんかけ固焼きそば



3月22日(土)

第85回 金曜集会
イラク攻撃が始まってから、10日間
の断食に入った夏芽さん。雨の中
ブルーシートを張って座り込みを続ける
ともちゃん、しんやさんも座り込む 今日は、じゅごんの家のお客さんの
篠原さんも、金曜集会に参加
タイムスの記者の取材に応える
しんやさん
しんやさんに合わせて、悦美さんも
歌う
「夢」を歌うようこちゃん
又吉さん「攻撃が始まる3時間前、私
は領事館にFAXを送りました。攻撃が
始まってからどうしたらいいのか考え
ていた。副領事には、こんな仕事やめなさいと言いたい。みんなも領事館にFAXを送りましょう。FAXがこわれるくらい!」
私は子どもがいて、なかなか行動で
きないけど、平和のためにできること
があるはずだと考えて、米兵に戦争に
行かなくてもいいんだというビラを
配っています。子どもがいても、
できることはあるはずです。
梅香里に行ってきたキムさん
「農作業を手伝いながら、常に爆撃
の練習が行われていました。100年
日本とアメリカに翻弄されてきた。
緑が生い茂った島は、はげて岩が
見えている。核爆弾を想定した模擬
弾も島には突き刺さっていた」
岡田さんは、人間の盾でイラクに残っている牧師さんのメッセージを伝えた。

「アメリカの攻撃が近づき、イラクを出て行った日本の若者が帰り際自分に
すまないと言った。私はその若者に帰ったらイラクの現状を伝え、戦争を
止めるためにできることをやってください、と言いました」

10日間の断食に入った平良夏芽牧師
昨日、副領事は車でここを3回通った。私は話そうと駆け
寄ったが、警察に止められてしまった。イラク空爆が始まって、私は消えて
なくなりたいと思ったし、死んで戦争が止まるならガソリンをかぶって死のうと
思ったが、そんな事をしてもブッシュは気にもしない。断食で死のうとは思って
いない。戦争が始まってしまったからとあきらめて、世界中で1000万人が
戦争を止めようとしたこのエネルギーがしぼんでしまったら、小泉・ブッシュに
負けてしまう。このくやしさを孫の代まで伝え、自分たちが何をしたのか、しな
かったのか、日本・沖縄・アメリカが何をしたのか、伝える責任を果たすまで
死なない。マスコミは「思ったより犠牲が少ない」と言っているが、自分の友達
1人が死んだら、どんなに悲しいか。たった一人死んでも、沖縄の、私たちの
責任だ。
与勝高校の生徒がたくさん来ていました。毎年やっている「平和の舞台」。コロンビア大学の先生の呼びかけで
3月26日にニューヨークで舞台をするそうです。「平和って何だろうか。三線で、歌で、ダンスで表現して、今の現状
をみんなに考えてもらえたらと思っています」「慰安婦のこと、イラクのこと、今日はたくさんの話を聞きました。みなさん
の思いを胸に行ってきます。
高校生がみんなで歌を歌いました 平良牧師としんやさん 最後はみんなで領事館に向かって
シュプレヒコール!

イラク攻撃反対 国際通りデモ 平和市民連絡会
那覇市議の島田正博さん
反戦帽子をかぶって、平良修牧師と
記念写真
当山さん 平良牧師「なぜブッシュが急いで開戦
に踏み切ったかと言うと、世界中に戦
争に反対する人々がどんどん増えて、
これ以上増えると戦争ができなくなると
思ったからです。これは間違いない」
県民大会でありちゃんを取材して新聞
に載せてくれた、琉球新報の松永さん
デモ・スタート コールの指揮を笛でとるのは、
小さな女の子
先頭はじゅごんの家 しんやさんは太鼓で盛り上げる イラクの子どもたちを歌うありちゃん

百万人署名運動 嘉手納基地第2ゲート前 米兵に訴える
ゲートから出てくる米兵や家族に
戦争に行かないように訴えかけました
桑江テル子さん 宮城盛光さん
ありちゃん、歌う 英語のメッセージのテープを流して、戦争に行かないように訴えました。
車の中からは、米兵や家族が手を振ったりして応えてくれました。

沖縄の新聞より
「地上戦」に危機感 米領事館前の集会参加者ら

 浦添市内の米国総領事館前で21日、平和を求める「金曜集会(有志主催)」が開かれ、参加者が米国によるイラク攻撃の即時中止を訴えた。

 北谷町内で発生した米兵の女性暴行事件をきっかけに、2年前から毎週続けられている集会。地上戦が始まり、危機感が漂った。

 イラク派遣団のメンバーで、20日から断食を続ける平良夏芽さん(40)は「イラクの子どもたちと再会を約束して、沖縄に帰ってきた。戦争が始まってしまったとはいえ、あきらめるわけにはいかない。犠牲者をこれ以上出してはいけない」と声を振り絞った。

 来月、米国で市民交流する与勝高校1年生の比屋根秀斗君と仲宗根有沙さんも駆けつけ、「平和を願うこの思いを、米国でも伝える」と連帯のあいさつ。

 県内で従軍慰安婦の足跡をたどっている、在日朝鮮人三世の朴亜紀子さん(29)=大阪=は「メディアを利用して、悪の枢軸をでっち上げ、正義を押し付けようとする米国に憤りを感じる。戦争は暴力しか生まない」と唇をかんだ。

広がる反戦の波、県内外で抗議の叫び

◇沖縄金曜集会/即時停戦求めて集会やデモ行進

 日米地位協定改定と米軍基地撤去を求めて県内の女性有志らが毎週金曜日に実施している「沖縄金曜集会」が21日正午、浦添市の米総領事館前で開かれた。85回目の集会はイラク戦争翌日となり、若者や子ども連れの家族ら約80人が駆け付け、雨の中でそれぞれが武力攻撃反対の思いを語っていた。

 参加した女性は「開戦を知り、思いきり泣いた。きょうからは戦争を止めるために頑張りたい」と語り、名護市から駆け付けた若者がギターを演奏しながら「アメリカ、アメリカ、これ以上、イラクの人たちを殺すな」との自作曲を熱唱した。

◇平和センター/「米国の野望」糾弾

 イラク戦争に抗議するため、沖縄平和運動センター(崎山嗣幸議長)は21日、北谷町の嘉手納基地第1ゲート前で緊急集会を開いた。約600人(主催者発表)の参加者は基地に向かって「イラク攻撃糾弾」「沖縄からの出撃許さんぞ」と連呼し、戦争中止を訴えた。

 同センターは同日午前10時からゲート前で座り込みを行い抗議。午後1時から始まった集会で崎山議長は「イラクへの戦争行為に正当性はない。石油利権確保と中東における親米政権の樹立という米国の野望は明らかだ」と強く批判した。参加者はゲートを通過する車両に向かって、「イラク攻撃反対」と英文で書いたプラカードを掲げ、戦争中止を訴えた。

 宜野湾市に住む前里伸幸さん(33)は「戦争は始まったが、あきらめない」ときっぱり。北谷町の保育士當山裕矢さん(24)も「子どもたちには平和な時代を残したい」と話した。2人の子どもがいるという豊見城市の野嵩樹(たつる)さん(33)は「なぜ戦争なのか、ブッシュ(大統領)にその理由を聞きたい。真っ先に傷つくのは子どもたち。声を上げないと戦争を認めることになる」と強調した。

◇平和市民連絡会

 平和市民連絡会は21日午後、那覇市内でイラク戦争開始に抗議する集会とデモ行進を行った。集会には家族連れや若者、労組員ら約130人が集まり「イラクの人々を殺すな」と書かれた横断幕を先頭に国際通りを行進、観光客や買い物客らにイラク戦争の即時中止を訴えた。1月にイラクを訪問した歌手のまよなかしんやさんは「米国が『自由』という名の戦争でイラクの人々を殺している。1時間でも1秒でも早く戦争を止めよう」と述べ、平和を訴える歌をギターを弾きながら歌った。

◇宮古郡民大会

 【宮古】「ストップイラク攻撃! 戦争を許さない緊急宮古郡民大会」(主催・同大会実行委)が21日夕、平良市役所中庭で開かれ、約100人の地域住民らが「イラク攻撃の即時中止」を強く訴えた。

◇反戦球技大会

 【八重山】イラク戦争に反対して24時間連続で野球など球技を続ける「STOPイラク攻撃・戦争反対!抗議する市民集会」(同実行委員会主催)が21日午後6時から始まった。参加者は「24時間やり通すことで島内外やブッシュ(米大統領)にもアピールしたい」と意欲を見せている。

 選手代表で石垣市職員労働組合青年部長の渡久地徳和さんが「平和の大切さを意識して声高らかに戦争終結を宣言しよう」と決意表明した。

写真説明:基地内に向かって「イラク攻撃糾弾」などと連呼する緊急集会の参加者ら=21日午後1時ごろ、北谷町の嘉手納基地第1ゲート前

攻撃反対、米兵にチラシで訴え/沖縄市・北谷町

 【中部】米軍などによるイラク戦争を止めようと、戦争前から攻撃反対や除隊を呼び掛ける英文のチラシを兵士らに直接配ったり、米軍家族の乗用車の窓に挟み続けている人たちがいる。観光関連業者の社長や従業員、育児仲間の母親らで、沖縄市の通りや北谷町の商業施設で戦争中止を訴えている。沖縄市の空港通りなどで基地から出てくる米兵らにチラシを手渡しているのは、観光土産品などを扱う会社「ゆいまーる沖縄」(浦添市)の玉城幹男社長と従業員で、19日夜から始めた。チラシには英語で「君はアメリカの石油企業が他人の石油を盗む手伝いで入隊したのか。ここで提案する。君は(戦場に)行かなくていい」などと記されている。

 米兵の反応はさまざまだ。9カ月前に海兵隊に入隊した若者(19)は読み終えた後「国連でもいずれ攻撃しないといけなくなる」と怒りの表情を浮かべた。チラシを丸めて投げ付ける米人もいた。その一方で、20代とみられる米兵2人は「私たちも戦争に反対だ。自分の国を信じていない」とチラシの裏に走り書きし、賛同の意思を示した。

 玉城社長は「米兵の中にもいろんな思いを抱えている人たちがいる。このチラシが、自身を見つめ直すきっかけになってほしい」と語った。

 乗用車の窓にチラシを挟んでいるのは育児仲間の窪田寿子さん(30)=那覇市=と知念ウシさん(36)=同。チラシでは「イラクの子どもの上に爆弾を落とすことは、あなたの良心が許さない。あなたが戦争に行くことはない。戦争を止めよう」と呼び掛けている。

 生後4カ月、2歳、3歳の子どもがいる2人は、互いに車内での子守とチラシ配りを分担したり、友人や知人と一緒に出掛けるなどして、1カ月前から北谷町美浜で駐車中の米軍人車両にチラシを挟んでいる。

 窪田さんは「戦争に行きたくないと思っている人もいるはずだ。行かなければイラクの人々も軍人の命も守られる。行かない選択があることを知らせたい」と話している。窪田さんのホームページ(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/3272/myboom.html)でも活動が紹介されている。

写真説明:チラシ配りで、米兵らに平和の尊さを直接訴える「ゆいまーる沖縄」の従業員ら=20日夜、沖縄市の空港通り



3月21日(金)
3・20 攻撃やめろ! 緊急 在沖米総領事館前座り込み
昨晩、「明日朝から領事館前で座り込みをする」という連絡が来たので、急きょ、ようこちゃんが参加。
午前10:30 領事館前の車道に座り込む。横にいるパトカーから何回も警告があるがものともせず座り込みを続ける。
総領事、出てきて話をしよう!
攻撃が開始された。
領事館から出てきた顔見知りの副総領事に必死に叫び、駆け寄る夏芽さん。「戦争をすぐに止めてください!」
3回このようなシーンがあった。夏芽さんが駆け寄るとほかの人達もかけより、一時車が動けない状態に。
車に近づけさせないよう、かけよる人を機動隊が抑える。(ようこちゃんも機動隊に跳ね返される)
 車を取り囲んだら、すぐに盾をもった機動隊がずらっと整列した。
悦美さん 修さん。 宮城盛光北中城村議
 攻撃が始まった知らせを受け取り、皆に涙をにじませながら知らせる。
イラク派遣団の人はみな涙を流していた。座り込んでいる人は皆涙をにじませアメリカが始めた攻撃に怒った。
どんな時も元気に歌うしんやさん。後ろで小学生が拍手。 領事館から出てくる車をガードする機動隊
豊見山さんが帰り際話してくれた。
 イラク派遣団がイラクへ行った時ガイドをしてくれた人と、ガイドの人と十数年の付き合いで「さよならと言えない・・・」といってその人と一緒にいる事を選んで日本からイラクへ行った人から攻撃開始の前に派遣団のもとに奇跡的にメールが届いた。
 「もうこのメールが最後になると思う」・・・・イラクのガイドの人から
 「君達からもらった寄せ書きの布を体に巻いてバグダッドにいていいかい?」
              ・・・イラクへ行った日本の人から
 夜7時過ぎ、数人を残してほとんどの人が領事館前を去る。私も7時半すぎ、小雨の中、座り込みを続ける悦美さんと今日から断食を始めた夏芽さんに「また明日!」と言って領事館前を後にした。悦美さんからの「今日のことをホームページで世界に発信してね!」という言葉を握りしめて急いで名護へ帰った。今も座り込んでいる夏芽さんは 「今日から僕は断食をします。ひもじいとイラクで出会った子どもたちを忘れないでいられるから」と言って断食を始めた。
 朝10:30から夜7:30まで領事館前で座り込みをしている間、横を通る車から声援があったり、子どもが「イラク戦争はんたーい!!」といいながら自転車で通ったり、車の中から写真を撮る青年、「ごくろうさま」という人、一緒に座って「戦争なんてとんでもないよ^!」というおばぁちゃんがいた。明日はジュゴンの家のお客さんも一緒に夏芽さんがいる金曜集会に行く!(ようこ)
とめようイラク戦争 北部住民集会 (名護市役所前広場)
命を守る会からは、金城祐治さん
はじめ、おばあ達が総決起!
夜のデモに備えて、みんな平和の
キャンドルを持って参加
じゅごんの家も歌う! 渡具知裕徳さん 宮城ヤスヒロさん。世界中の人々と
手をとり、イラクへの攻撃を一日でも
早く止めよう!辺野古への基地は
絶対に作らせない!私たちは絶対勝つ!
嘉陽のおじい 山内徳心さん。「私は戦争を体験して
いるから、戦争の恐ろしさをよく知って
いる。世界のルールを無視しイラクを
攻撃したブッシュは許せない!!」
大学生の女性。「私たちにとって大切な
ものは、命、人。戦争は何も生み出さない」
金城祐治さん「私は戦争の時、大阪で
飲まず食わずで家を探して街をはいず
った。戦争は絶対許せない!!」
怒りのシュプレヒコール!
名護市内をありちゃんが先頭で歌いながら、シュプレヒコールをあげて抗議の行進をしました!
百万人署名 名護キャラバン&ゲリラライブ!!
署名を集めるうららちゃん 交差点で歌うのは、うららちゃん!
今までやらなかった事にチャレンジ。
「ユージクン、不買運動の歌を
堂々と歌う!
今日のじゅごんの家
うららちゃんは歌の特訓! 三浦さんが作ってくれたじゅごん織り 県民大会で喜納昌吉さんの歌を聴いて
から、ウォークマンで「花」を
ずっと聞いているゆきさん
沖縄の新聞より


戦争中止訴え集会/県内

 「今、アメリカの攻撃が始まったとテレビが報じている」。平和市民連絡会は20日午前10時から、浦添市の在沖米総領事館前でイラク攻撃阻止を求め、座り込み行動を開始したが、メンバーの平良夏芽さんが泣きながら、イラク攻撃開始を告げると、次々激しい怒りの声を上げた。

 「イラクの子供たちが死んでしまう」「人殺しのアメリカを許すな」。参加者は唇をかみしめ、涙を浮かべながら、攻撃中止を訴えた。

 バグダッドを訪れた歌手のまよなかしんやさんは「爆弾の中を逃げ惑う子供たちの姿が目にちらつく。攻撃反対の世界の声と国連の平和努力を無視して、イラクを攻撃したアメリカを断じて許すことができない」と怒りに満ちた声で語った。

 沖縄戦を体験し、防衛隊に参加した父が戦死した当間孝太郎さん(68)は「私が体験した10・10空襲と同じ状況が起きている。イラクの人々は今、生きた心地がしないと思う。アメリカは今すぐ、攻撃をやめてほしい。日本政府は全く主体性がない。憲法を無視し、米政府に加担する日本政府はいらない」と訴えた。

 参加者は米総領事との面会を求め、警備の警察官と対峙(たいじ)した。参加者から「今、イラクの人々が殺されようとしている緊急事態を分かっているのか」「総領事に会わせろ」と怒りの声を上げた。

 沖縄医療生活協同組合などは同日午前8時半、豊見城市の沖縄協同病院で早朝抗議集会を行った。集会には同病院の職員を中心に約170人が参加し「STOP WAR(戦争中止)」「平和」などと書かれたプラカードを持ち、最後まで反戦平和行動に取り組むことを確認した。 

 医療生協労組の知念毅書記長は「命を大切にする医療機関の労働者として、イラクの人も県民も大事だ。沖縄が米軍のイラク出撃基地になることを許していいのか。みんなで立ち上がろう」と呼び掛けた。仲田精伸(きよのぶ)院長も「フセイン大統領はイラクの独裁者だが、ブッシュ大統領は世界を独裁しようとしている」と米国を非難した。



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