ジュゴンの家・日誌
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沖縄タイムス http://www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報  http://www.ryukyushimpo.co.jp/

同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

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1月B

 イラク・ワシントン・東京から、イラク侵略戦争阻止! 
の声を上げよう(^o^)丿
1.18−19 ワシントンへ、
3人派遣決定!
      
カンパ振込先
●郵便局 17040−14225611
西 陽子
詳しくは、A.N.S.W.E.Rのホームページで

 沖 縄
こんにちわー!!まよなかしんやでーす!!」
私はイラクへ行ってきます。
イラクへ行って、「はい、では私はこれから空爆のないところへ
帰りますので、頑張ってください」と言って帰りたくはありません!!
イラクへの空爆をさせてはいけなーーーい!!
平良夏芽さん。イラクへのビザがとれたことを報告。
イラクが飛行制限されている地域をバスで通ります。
イラクが飛行制限されているということは、米軍が飛んでいるということです。
空爆されるかもしれない所を行きます。たのしいですね。
いろんな手続きなどをしていくうちに今まで知らなかった
イラクのことが少しづつわかってきました。

イラクの子どもたちには、沖縄の黒砂糖を持っていこうと思っています。
みなさん、カンパをよろしくお願いします。
ジュゴンの家より緊急のお願い!!
 
 イラク攻撃反対・バクダッド行動の派遣団に対するカンパをお願いします
1、特別カンパ振込先
    
振 込 先    郵便局 ※通信欄に「バクダッド・特別カンパ」と記入してください
振 込 口 座    01710−5−88511  
加 入 者 名    平和市民連絡会

2、ご協力いただいた方には、後日、報告書にて会計と行動結果のご報告をいたしますので、
  ご芳名・ご住所を明記下さい。



1月19日(日)


 うららちゃんの「じゅごんの家」日誌

1月19日 アルファさんが来ました。なんと、17日の金曜集会、そして座り込みの写真を持ってきてくれました!!
(16日アルファさんが来た時に、金曜集会と座り込みの話をしたら、行ってみようかな、と言っていた)

 アルファさんの話によると、領事館前のいつもの場所で、座り込みと一緒に、金曜集会が行われたそうです。人数は20人くらいだと言ってました。悦美さんと一緒に断食している人の発言では、「断食も5日目になると、立ってしゃべるのも苦しくなってきます」と話されたそうです。今も断食と座り込みは続けられている。

 この間初めて来店したSさんが来て、やっぱり現在の行動のことを話しました。そこから話は辺野古の基地問題にいき、Sさんは、「辺野古の海に基地を作ったら、ジュゴンは生きていられないよね。自然は壊したら、もう取り戻せないのに・・・基地なんかいらないよ!!」と言っていました。基地反対のやすひろさんを応援しているそうです。これからもお店に来てくれそうな感じです。

 イラク行動団、アメリカ行動、座り込み、お店でお客さんに話すと、みんな感動しています。実際に行動して参加する人もいます。自分ができることをする(伝える)ことで物事が発展していくってこういうことなのか、と思いました。働きかけるってすごい!! これからも頑張って戦争反対の想いをつなげていきたい。頑張るぞ!!
アルファさんが、金曜集会に行って
写真を撮ってきてくれました!
アルファさんが趣味で撮っている写真(嘉陽・辺野古の海、星など)
アルファさんが撮ってきてくれた金曜集会の様子
断食は5日目に入っています。 アメリカのイラク攻撃に抗議する
英語と日本語のメッセージ
子供たちも座っています

米のイラク攻撃に反対/総領事館前で座り込み

 米国などが計画しているイラク攻撃に反対の意思を示そうと、県内の女性ら有志が浦添市の米総領事館前で「非暴力直接行動」の横断幕を掲げ、24時間態勢で座り込みを続けている。13日夕から始めており、16日正午までに延べ125人が参加し、うち3人が3、4日間の断食を継続している

 座り込みはイラクに出発した平和市民連絡会の七人が帰国する21日まで続けられ、3人は最終日まで断食を継続するという。

 断食をしているのは平良悦美さん、桑江テル子さん、金城京美さん。1日1食の山口洋子さんを合わせた4人が総領事館前に寝泊まりして座り込みを続け、日中は行動を知った賛同者が駆け付けて座り込みに加わっている。

写真説明:断食など24時間態勢の座り込みでイラク攻撃反対を訴えている女性ら=17日午前、浦添市の米総領事館前

 晋くんの「命を守る会」日誌
1月18日 土曜日の当番は島袋妙子さんと具志堅絹江さん。今日は、たえさんが「辺野古、街作り 会報」を見せてくれました。会報には終戦直後の辺野古集落の様子が載っていました。

 その当時、辺野古の街づくりがどう発展してきたのかという内容で、その拠点が「基地」だというのです。「辺野古の上部落が出来たのは、キャンプシュワブ基地が来て発展していったからだ。だから新しい辺野古は基地≠ェ必要であり、そこででる利益で名護・辺野古は発展していくのだ。新しい辺野古は昔、上部落の建設を全面的にバックアップしてくれた米軍建設課課長のAPPLE中佐の名前をとってAPPLEタウンにしよう」と書いてあります。では「キャンプシュワブ」で今の辺野古は発展しているのかといったらそうではありません。

 会報は「名護、辺野古は昔とは違う、そのために振興策で国立高専を始めとする、海洋研究所、そして金融特区、情報特区の設立、持続可能な産業を作り出している」と言っています。はっきり言って幻想をふりまいているとしか思えません。基地がある場所、しかもすぐ裏側は危険な弾薬庫と演習地がある場所で、国立高専が持続可能なのでしょうか。ここで言う「持続可能な産業」には、人間が見えてこないのです。

 企業が名護に来て、企業のための企業による名護を建設するとしか言っていない。これでは企業が名護で甘い汁を吸って本土に帰るか、東京が名護に引っ越してくるのか(ありえない事ですが)という事でなければ「持続可能な産業」は成功しないのではないでしょうか。

 こんなつまらない話にのっかってはいけない、名護市民が市民投票の立場に立って、「自分達は人間としての未来のため」の名護を作るといわなければいけないと思います。それが宮城康博さんが言う「やんばる型産業(風土を生かし、自分達の手で産業をおこしていく)」、本来の「持続可能の産業」を作る事になるのではないでしょうか。だから基地は絶対にいらない。僕達の世代にまで基地依存を押し付けないでクレーーーーーー!!

 今日は満月♪ まよなか★しんやさんがイラクで歌っています!! 皆も一緒に吠えよう!「イラクに攻撃するなー!! わおーーーー!!」

1月18日(土)

 うららちゃんの「じゅごんの家」日誌
海洋博に勤めるYさん来店
ギターを寄付してくれました
 
1月17日 海洋博で働いているYさんが初来店。「ここって時々ライブとかやってますよねぇ」と、ギターを寄付してくれました。基地問題に関心があるみたいで、イラク派遣団の事、アメリカでの集会の事、領事館前で今行われている座り込みの事、金曜集会の事、それから「ヨッシーとジュゴンの家」のCDの事などを話しました。今おこっている事を誰かに伝えていくというのは、とても大事なことだなぁと再認識しました。
 新垣さんが昨日浦添を通った時に見た座り込みの様子を教えてくれました。道路際に座って、人数は7人くらいで続けられていた、ということです。20日の夜から、私もまた参加しようと思います。
 晋くんの「命を守る会」日誌
労働組合の人達が守る会を訪れました 話をする金城祐治さん 東恩納琢磨さん

1月17日
 今日は金曜日のおばぁたち。小禄さん、比嘉さん、ゆきさん。
 小禄さんは立ち上がる時に三回ぐらい勢いをつけて「1の2の3!!」で立ち上がります。歩く時もしばらく屈伸しないと痛くて歩けない。この頃、小禄さんはその屈伸運動を「おばぁ運動!!」と名づけて周りを笑わせています。痛みのつらさも工夫で乗り越えていく人です。どんなことでも、工夫と努力次第で乗り越えていけると小禄さんは言っています。
 
 春子おばぁの話「月や変わてぃねさみ(月は変わらないが)、変わてぃいちゃや、人の心(人の心は変わっていく)、というがよ、人はつぃしーじー、つぃしーじー(支えあって、助け合って)して生きてきたんだ。そう生きていきたいよ」。おばぁ達は時代と共に変わる人があっても自分達はかけがえのない命を守り通うすために闘っています。金にも暴力にも権力にもわったーは屈しない!!と。
 
 今日は、新聞社関係の労働組合の人達が来ました。「内地でもっと辺野古の現状を報道してください」と、お願いしました。「真実は事実だけでは見えてこないのです。戦争の責任を考える時、報道の責任は大きい」平良悦美さんが、米領事館前座り込みの時に話していました。
1月17日(金)


 晋くんの「命を守る会」日誌
瀬嵩のおばあたち アルファさんが来て一緒に夕食を食べました ジュゴン保護キャンペーンセンターの蜷川さんが来店。2月16日に那覇で「ジュゴンちゃんぷるウォーク」をするそうです

1月16日 命を守る会でも風邪がはやっているようです。お年寄りになると薬で体を支えている人が多いので、風邪になった時薬が体に効かなかったりするそうで、なかなか、治らないのです。僕は僕でおばぁ達が元気になるのを願って、事務所を守っていようと思います。
中学生感想

 おじぃが話してくださった、ジュゴンの話では本当に基地なんか作ってほしくないと思いました。基地はいつでも作れますが、生命は作ろうと思って作れる物ではないので大切にしてほしいと思いました。今回のお話では普段は余り感じられない命の大切さを感じる事が出来ました。

 僕は2日目にあったおじぃとおばぁの話を聞くのが楽しみでした。僕はけっこう昔の戦争には興味がありました。

 当日、話を聞くために車で目的地へいったのですが、おじぃ、おばぁがいらっしゃる前に近くの海へ行ってみました。そこは鎖が有り「立ち入り禁止」になっていました。先生が「前、来た時はあそこで米兵が練習をしていてうるさかった」と言っていました。僕はそれを聞いてびっくりはしました。そんなに近くで兵隊が練習をしているのか。住民の皆さんは毎日、我慢していらっしゃるのかとつくづく思いました。

 いよいよ、おばぁ達がいらしゃったと先生達に聞いて、「命を守る会」事務所へ戻りました。

 僕達は小さな家に入りました。その中には写真がたくさん張ってあったのでびっくりしました。そして、話が始まりました。

 一番、最初に聞いたのは戦争の事でした。幸喜さんは戦争中に親戚や兄弟の人が5人くらい亡くなったと聞きました。もしも僕の親戚が1人でもしんだら悲しいです。幸喜さんのつらさを思うと苦しくなりました。

 お話を聞いてちょっとたって小禄信子おばぁもきて下さり話が始まりました。

 色々話していただいた中で一番、印象に残っているのは、金城さんが話してくださった基地の事でした。新しい基地が作られると聞きました。なぜ、こんなに美しい海や自然があるのに基地等作らなければいけないのかと思い、腹が立ちました。

 ぼくは3人の話を聞かせていただいて、前よりもっと戦争の事に興味を持つ事が出来ました。
 本当にありがとうございました。

「ジュゴンちゃんぷるウォークin那覇」
2月16日(日)昼12時〜那覇・国際通り
集合時間・12時
集合場所・沖縄県庁前県民広場
出発時間・13時(予定)
解散・14時
解散場所・牧志公園
主催・ジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)


1月16日(木)


晋くんの「命を守る会」日誌
おばぁ達からの差し入れ     
もあいの皆で記念撮影 来訪者お見送り
昨日、AM10:00にFM放送で高江州あやのさんがイラク派遣団、イラク攻撃反対の座り込みのアピールをしました。その時にヨッシーとジュゴンの家の「イラクの子どもたちは今」を流してくれました!!

1月15日
今日はモアイの日。午後からぞくぞくとおじぃ、おばぁが集まってきました。
おばぁが勢ぞろいするので「かめかめ攻撃」がものすごかったです。まるでオードブルを三回ぐらい食べつくした気になりました。
げっぷっ、、、失礼。
ジュゴンの家、帰り際、大家さんがムーチーを持って来ました。「ありちゃん、よーこちゃんはアメ
リカに行くって言っていたけど、何をしにいくねー?」ときかれました。ワシントン行動の事を話すと「あんた達が行ってくれるから本当にうれしいさぁ、誰かがあのブッシュを止めないと!」と大家さん。多くの人が戦争は望んでいない、今回の行動はそういった人達に勇気を与えていると思います。本当にすごい事です。
中学生感想
おじぃとおばぁへ
 
 この前の修学旅行の時は私達が作ってきた質問に答えて下さってありがとうございました。あの後学校に届いたお手紙、拝見させていただきました。わざわざ私達の質問の全てに答えていただきありがとうございました。
 
 私が心に残ったのは方言についてでした。学校では方言を使わず票準語で話す事が強制されて、家
では方言じゃないとおじぃ、おばぁに伝わらない現じようがあったと知り、今では考えられない事を強制されていたんだなと思いました。
 後、心に残ったのは「ユタ」についてです。昔はユタが「この人と結婚したら不幸になる」といっ
たらユタを信じて結婚をしなかった人とかもいるんですよね、今でもユタのところに行っている人もいますが、ユタで判断する人ばかりではなくなったお聞きして、ちょっとうれしかったです。でも、気の弱い人はユタの所に行って自分の悩みを言って占ってもらったりするのですね。その事によって自信がついたりする人とかもいるから、きっと高いお金を払ってユタの所に行くのを辞められないのだろうか、という事を色々、考えました。
 
 最後に・・・おじぃへ
 おじぃには辺野古に出来る基地の事などを教えていただきました。私も沖縄からジュゴンが居なく
なるのは嫌です。こうしている今も基地が出来るのを反対して運動をしていらっしゃる事と思います。おじぃやおばぁはすごいなぁと思いました。

おばぁ☆おじぃへ
 
 この間はどうもありがとうございました。
今回、おじぃ、おばぁのお話を伺ってジュゴンという動物がとても貴重な物で、それが絶滅の寸前の
危機にさらされているという事が分かりました。
 米軍基地を作りさらに、絶滅に追い込もうとしてい
る事を知り、腹が立ちました。
 私も米軍基地を作るのは反対です。若い人達が居なくて大変だと伺いましたが、おじぃ、おばぁこ
れからもどうぞ元気で命を守る会の活動がんばって続けてください。
 私も私の地元でこのことを伝え
ていきたいと思います。
それから、色々なお話しを聞かせていただいたので、沖縄の歴史や文化の事
が色々と分かり、沖縄の事が好きになりました。
 本当にありがとうございました。

 幸喜おばぁへ
 おばぁには長寿や方言について教えていただきました。自然を食べ、マイペースな生活やせか
されないという事から長寿なんだという事を教えていただいた時はすごく沖縄の人達がうらやましく思えました。私は多くの添加物に囲まれた食生活をしており、自然食をあまり食べません。沖縄の人はとても健康なんだなぁと感じました。これからもずっと長生きしてください。
 
お禄おばぁへ
 小禄おばぁにはユタについて教えていただきました。実際、小禄おばぁも「ユタに占ってもらった
事があるが、もういかなくなった」と伺った時はうれしかったです。私も他の人に自分の人生をどうこう言われるのは嫌だなぁと思いました。でもちょっと一回だけ占ってもらいたいなぁと思いました。これからも長生きしてください。

 
 





1月15日(水)

ジュゴンの家日誌
羽やんの手術が無事成功しますように・・・と、うーとーとー(お祈り)するユキさん
ユキさんからケーキの差し入れ!
1月11日(土)
ジュゴンの家日誌
今日は山口洋子さん、はるちゃん、よく買い物していってくれるTさん、ちか子さんのお友達のIさん、ゆかりさんがきました。
洋子さんとは13日から米領事館前でやる座り込みの話をしました。洋子さんは13日から21日までずっと続けて座り込むそうです。平良修さんも参加するそうです。私も13日の日は一緒に座り込みたいと思います。
 
昨日は沖縄では「ムーチー」という行事があって、いろんな人からムーチー(月桃の葉っぱで包んだおもち)をもらいました。
「鬼に食べられないように魔除けのためにおもちを食べる」という行事なんだそうです。
沖縄はいろんな行事があるなぁ・・・おもちがいっぱいです。ありがたいです。
売上げは順調!寄付も来ています。この調子で元気に売上げをのばすぞー!!
 
今日の目標は「自分でパソコンを使って日誌を打ち込み、メールで送ること」でした。
練習したらできるようになりました。(まだ全然遅いけど)
やらなかっただけで、努力をすれば自分なりにできる事があるじゃないか、と思いました。
今これから自分に出来る事を増やしていきたいので、今までやった事のない事に挑戦していきたいです。
 
明日の目標・・・パソコンの練習を続ける
        今日来た寄付の品出し

1月14日(火)
今日は新垣さんが来ました。羽やんの事をとても心配していました。
ユキさんも新垣さんも、今日の羽やんの手術がうまくいきますように・・・と、手を合わせて「うーとーとー」していました。

羽やんの手術、夏芽さんたちのイラク行動、悦美さんたちの断食座り込み、ありちゃんたちはアメリカへ・・・、
私はもっと身を削る努力をして自分を変え、この人たちに近づきたいと思う。


晋くんの「命を守る会」日誌
斉藤さんこれから辺野古の海にもぐって写真撮ります おじぃと三線教室





1月14日(火)
イラク攻撃反対! バクダッド行動派遣団出発!!
島田正博団長! 豊見山さん まよなか☆しんやさん「黒ざとうだよ!」
島田正博さん「我々はイラクの人達の現実を目にすることになる。米軍がアジアの民衆を人間として見ているとは思えない。 アジアの民衆も沖縄の民衆も同じ人間なんだという事を米軍にたたきつけたい!! 今回の闘いは1つの入り口。これからも心を揺さぶる闘いをやっていきたい 精悍な表情の夏芽さん
金城さん「沖縄民衆を代表する心ある者たちがイラクへ行って来ます。代表は現地で、我々は我々で闘う。 沖縄の心を持って、世界の1人1人とつながっている事を認識し、1人も殺させない、傷つけさせないよう闘っていく」 ともちゃん「沖縄からのメッセージを届けてほしい。派遣団の皆さんがイラクに行く間、私達は座り込みをします」 宜保さん「我々沖縄にいる者も心をひとつにしてブッシュの非人道的なイラク攻撃をとめるため「命どぅ宝」をしっかり心に握りしめて闘っていこう!肝に命じたいのは、沖縄が戦場になった時、小さな子供達が殺されていった、イラクが攻撃されれば生身の子供達が殺され、犠牲になるという事。国益を守るために、民衆、庶民を殺していく、こんな事を許してはならない!世界世論でそういう事をさせないようにしていこう!18日の世界同時行動でみなさんと行動を1つにしたい。
見送りの人達 いざ、出発!!
しんや「戦争を止めるぞー!」
みんな「おー!!」

空港に着くと、早速、今回、派遣団団長の島田正博さん(那覇市議)にあいました。とっても大きな登山
用のバッグを二個も担いでいました。
 「何でこんなに大きなバッグを持っていくのですか?」と聞くと、一つは自分の荷物、もう一
つはイラクに"置いてくる物"だそうです。「医薬品を持っていきたいが、空港の荷物検査で止められる(厚生省の許可がいる)ため持っていけず、保存食がほとんどだ」と正博さん。
 
派遣団は皆こういった物を現地に持っていきます。出発式が始まって派遣団の人達から決意表明がありました。印象に残った島田正博さんの話。
 「私達はイラクに人間がいるんだ、あそこには生命があるんだという事を証明しに行くのです。また
、沖縄にも人間がいて、戦争を止めようとしている人間がいるという事をイラクの人達に知らせに行くのです」

 平良夏芽さんが嘉手納基地座り込み(平和市民連絡会主催12.23)の時に話していたことも思い出しま
した
 「私達はイラクへ行きます。侵略を行う側に住んでいる人間がいくのです。とても矛盾した事ですね、政治的にだとか理論的に考えれば確かに矛盾した行動なのかも知れないと僕も思っています。しかし、私は感じたいのです。そこに人間がいること、生活している事を。生命がそこに有るという事を誰かが証明しなければならない、そう思っています。傲慢な沖縄人として、打ちのめされてきます。私達がイラクから帰るまでに沖縄の状況を変えて下さい!イラクの人々に『あなたたちの石油を奪って安全に暮らせる沖縄に私達は帰ります』と言わせないで下さい。基地を抱える私達はもっと必死に戦争をさせないという事を考えなければいけません。イラクの攻撃を絶対に止めましょう!」

 「理屈ではなく、人として行動する」ことの大切さを派遣団の人達から学びました。
<>

 
 イラク派遣団の見送りと、21日まで続けられる米総領事館前座り込みにさん参加するため名護を出発。
空港には40人くらいの人が見送りと声援に!派遣団の夏芽さんの本気、気迫が伝わってきます。派遣団の荷物は経済制裁の対象になっている鉛筆、カゼ薬などでいっぱい。鉛筆は鉛の部分が「火薬」とみなされ、輸入が制限されているそうです。沖縄名物「黒糖」は少量で栄養が取れるので、しんやさんの荷物は「黒糖」でいっぱいでした。
 激励が続き、出発までそれぞれ顔を寄せ合って話をしたりしていました。
 出発ゲートでしんやさんが「We shall overcome〜♪」と歌うと、見送る人も口々に歌を口ずさみました。しんやさんはゲートの向こうからいつまでも、いつまでもずっと、手を振り続けていました。 <うらら>
 


 イラク派遣団と連帯して米領事館前座り込み
 
 イラク派遣団出発後、座り込みスタート。平良悦美さんは21日まで「イラク攻撃を止めたい」一心で断食の座り込みを続けます。
皆さんとて
も元気に座り込んでいました。
 金曜集会をやっている場所で座り込みをしようとすると浦添警察署から「道路交通法違反で強制退去
をさせざるをえない」との通告があったので、多少、移動したものの、領事館正面のすぐ隣の元米軍工兵隊宿舎前で座り込み続行!金曜集会の場所より領事館に近くなりました。
 17:30〜24:00の間で座り込みに来た人は29名。

 今後、24時間、21日まで座り込みは続けます。
イラク攻撃に胸を痛める方はぜひ一緒に座り込んでくだ
さい、1人の小さな声「戦争嫌だ」が世の中を大きく変えます。<>
 
 
私たちが領事館前にいくと、フェンスの前にはもう人が集まっていました。 悦美さん、平良修さん、島田善次さん、ハルさん、国政さん、真喜志さん、夏芽さんの奥さんも来ていました。洋子さんも。真喜志さんは通行する人にアピールするたて看板を作成。メッセージを書き込む横断幕のあります。
 続々と応援する人がかけつけ、毛布や座布団、寝袋、風よけのシートやカイロの差し入れが集まりました。桑江てるこさんや上里和美さん、兼城順子さんも来ました。
 夜の12時ごろに私たちは名護へ帰りました。

 
悦美さんは断食して、13日から21日までの間、水分と塩分をとるだけで、ずっと座り込みを続けます。衣類で寒さを耐えるだけで、カイロも使わないようにしているそうです(私がいたのは12時頃までですが、寒いです。深夜、明け方になったら相当冷え込むとおもいます)。
 私はこのことを、お店でできるだけ多くの人に伝えようと思います。<うらら>
 
    
  
座り込み呼びかけ文
 
  私達はアメリカによるイラクの人々を殺す戦争に反対です。 

 アメリカのイラクへの攻撃は秒読み段階になったと報じられています。いまや世界で唯一の超大国アメリカが、比べる事も出来ないような弱小国イラクになぜ戦争を仕掛けるのでしょう。
 
 9.11のテロ事件以来、アメリカはテロ報復、テロ撲滅を理由にアフガンを爆撃し、何の罪も無いアフガンの人々の命と暮らしを奪いました。それに対して私達は何も出来ませんでした。
 
 今また、今度はイラクの人々の頭上に恐ろしい砲弾が落とされようとしています。イラクは1991年の湾岸戦争以来ずっと今日に至るまで、日常的に経済封鎖やアメリカによる爆撃を受けています。大量に使われた劣化ウラン弾で多くの子供が親を失い、傷つき、白血病で死んでいます。イラクが持っているといわれる核兵器(査察団が調べてもまだ確固たる証拠は出ていません)の何倍も何十倍も最新鋭の兵器を持っているアメリカが、イラクがもし、万が一持っていたとしても捨てろという資格があるのでしょうか。また、イラクには世界有数の埋蔵量の原油や天然ガスがあり、アメリカの石油は後、6、7年で枯渇するから石油の利権が必要だ、だからアメリカの都合の悪いフセイン政権を倒し、アメリカの意のままになる親米政権を作りたい、これが本当の理由だとしたらアメリカによる侵略戦争そのものです。
 
 今、世界中の国々の平和を求める人々がイラク攻撃に反対の声を挙げ始め、あちらこちらで反戦デモが行われています。私達も沢山の米軍基地を持つ沖縄から爆撃を飛び立たせたくない、理不尽なアメリカの戦争を止めたいと切に願っています。居ても立ってもいられない七名の仲間がイラク現地に飛びました。その仲間達と共に心を同じにしてここに座っています。
 

 どうぞあなたも一緒に抗議の声を上げて下さい。座り込みに参加しませんか。
 あなたの小さな声や手がテロや戦争の暴力を止めます。






 
 

1月13日(月)

晋くんの「命を守る会」日誌
1月12日

 お客さんが来た時にたえさんと春子おばぁが辺野古での戦争体験を語ってくれました。

 たえさん「この時期になるとねぇ思い出すんだよ。米軍が(辺野古に)来たのはちょうど二月の初めだったから」
 春子さん「この空を(事務所前を指差して)米軍が伊江島めがけて飛んでいたよ、あそこには日本軍の基地があったから。」
 
辺野古の現在キャンプシュワブ(海兵隊基地)があった所も昔、日本帝国海軍特攻基地でした。
  
 祐治さん「重要な基地ではなかったため、辺野古への空襲は避けられたのではないかな」
 たえさん「日本軍だと思って米軍機に一生懸命手を振った事があるけど撃たれなかったよ。でも怖かったぁ、海人(漁師)がたこを取りにしょっちゅう海に出ていたもんだからいつも心配して空を見ていたんだ。」
 春子さん「私はねぇ、浜辺で米軍の上陸に備えて塀を作っていたよ、銃の穴を空けてさぁ、米軍機が来た時はいつも死ぬ覚悟をしていたさ。」
 祐治さん「米軍は読谷村にまず上陸してその後、部隊の一部は名護湾と本部港に来たって言う話だよ」
 たえさん「結局、米軍に辺野古も制圧されて日本兵は敗残兵となって逃げたりだとか捕虜になったりだとかしていたよ。辺野古の山では日本兵が三人死んださね」
 春子さん「そうだよ、三人死んだよ、山に立てこもって抵抗していた日本兵三人がね。周りは米軍に囲まれていて、米軍はパララって機関銃撃ちながら山にはいっていった。わったーや説得したんだよ、捕虜になったら死なないで済むってさ!所が「お国のため」が抜けなかったんだよ、最後は持っていた手榴弾で自殺した。見に行ったけど、草を握り潰してうつぶせで死んでいたさ。わったーはただこの豊かな海と生きて行きたいだけ戦争はもうこりごりさ!!」
 
辺野古、特攻基地はその後、捕虜収容所、難民収容所(4〜5万人といわれる人がいた)として使われ、後に現在のキャンプシュワブとなりました。その頃、名護市街地にも難民があふれていました。日本兵の中には村民になりすまし、苗字を沖縄の苗字に変えて暮らしていた人もいたそうです。辺野古ではお菓子屋をやる沖縄人になりすました敗残兵がいたそうです。
 

守る会午後、島田善次さん(普天間爆音訴訟、団長)が来ました。
「今年の沖縄はさらに、厳しくなる、普天間代替施設協議会にかわるもっと具体的な取り組み、協議を県、市レベルで行う新機関が今年、発足する、これに対して私達も普天間爆音訴訟等もっと具体的な取り組みを次々起こしていかなければならない。
 「命を守る会」は名護でもっとも具体的に取り組みを行っている、これ以上の負担を年寄りに背負わせるわけにはいかない。私達のような若い連中がやっていく必要がある。一緒にがんばろう!」と善次さん。
 いつもこの善次さんの声が勇気づけてくれる、でもいつまでもこの善次さんの声があるわけではない。善次さんにも無理をさせるわけにはいかないのではないかと思います。僕に出来る事を必死にやろうと気持ちが高まりました。
中学生感想

おじぃ、おばぁへ

 この前は色々と話を聞かせてくださり、ありがとうございました。まず初めに謝りたい事があります。大変失礼な事だとは思いますが、実は私は寝不足のせいか、話を聞いている途中で眠くなってしまったのでちゃんと話を聞いていなくて、話の内容も特に後半の方は良く覚えていません。ほんとうにごめんなさい。せっかく私たちのためにしてくださった話をあまり覚えていないという事は本当に申し訳ないと思うし、とても後悔しています。
 それと、わざわざ私達のために、答えられなかった質問の答え等の手紙を送ってくださって本当にありがとうございました。

 私が特に心に残った話は、「平和は水や空気と同じで流れてくるものだと思う若者がいるけれど、そうではなくて、その時代、時代に生きた人が作っていくものだ」という話です。その話を聞いて私は平和というのは、どんな事なのかと言う事や、平和になるために私に出来る事はなんだろうという風に平和について少し考えたりしました。私もその話を聞くまでは、平和は当たり前のようにあるものだと思っていましたが、その話を聞いたら、特に「平和はその時代時代に生きた人が作っていくものだ」という言葉に納得しました。

 色々と話を聞かせてくださって、ありがとうございました。

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