ジュゴンの家・日誌
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西 陽子
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12月@

10月からイラク現地の人々に医薬品を届ける活動をしてきた白井さんを沖縄に迎えて、イラクの        現状をつたえる報告会が行われます。
 イラク派兵反対! 基地反対! イラク−沖縄−韓国を結ぶ市民集会


日時:12月14日(日)午後2時から午後5時
場所:沖縄大学3号館101号室(資料代500円)

◆最新のイラク現地報告: 白井耕祐さん

沖縄平和市民連絡会は1月と5月の二度、イラク訪問を実施しました。イラクの人々と手を繋ぐことを目的とした出会いの旅(1月)であると同時に、医薬品等を届ける謝罪の旅(5月)でもありました。現在も医薬品を届けるたに白井さんが派遣されています。12月6日までイラクに滞在し、イラク現地の人々に医薬品を届ける活動をしてきた白井さんが、民衆の視点から見たイラクの現状を報告します。

◆韓国「一坪地主」の基地移設反対、イラク派兵反対運動
 報告@: 米軍基地拡張反対平澤(ピョンテク)対策委員会の代表
 報告A: 10.31「米軍基地の平澤総集結反対」集会の沖縄参加者一同

 進行中の在外米軍再編の一環として在韓米軍においては、鳥山(オサン)米軍基地の拡張が大きな焦点になっている。U2偵察機の飛来でも明らかになったように、沖縄の嘉手納と韓国のオサン基地は直結しており、「普天間の名護移設」も連動している。

 10月31日にオサン基地の地元・ピョンテク市で、大規模な反対集会がもたれ、沖縄から4名が参加した。

 ピョンテク市の米軍基地拡張・移設反対運動では、沖縄の一坪反戦地主会にヒントを得た「土地一坪買い取り運動」により、運動が広範な住民に支えられている。10.31集会では、「イラク派兵反対!基地移設反対!」のスローガンが二本柱として掲げられた。韓国の現在を報告してもらう。

共催:沖縄平和市民連絡会/沖・韓民衆連帯
問い合わせ連絡先:沖縄平和市民連絡会代表世話人:平良夏芽 (電話:098−945−3999)




12月6日(土)

今日のジュゴンの家
左奥:トマさんが来店!!比嘉さんという方と一緒に来ました。

「この状況を変えるには、小泉を降ろさなきゃだめなんだ!!」と熱弁するトマさん。
今の政治家はみんなやめてもらって、俺が大統領になるぞ!!」



右の写真は玉城さん。「友達へのクリスマスプレゼントに」と、田中哲朗さんのCDを買って行きました!!
うららちゃん日誌
トマさんが来ました。私はトマさんとは2001年12月(自動車修理工場でのホタテパーティーにお邪魔させてもらった時)と、アオサを取りに連れて行ってもらった時(あれは何月だったかな?)以来の再会でした。
自衛隊イラク派遣のこと、などの話をしました。
濃ゆい・・・!!「(日本を変えるため)俺はハリケーンになる!!」と言っていました。
おもしろかった。ありがとうございました!!また来てください。
沖縄の新聞より
<2003年12月2日 朝刊 23面>

イラク派遣判断「先送りは当然」
方針堅持に反発も

 「先送りは当然」。一日、政府が日本人の外交官殺害事件を受けてイラクへの自衛隊派遣の判断時期を遅らせたことに、県内の市民団体やNGO関係者らは冷静な反応。ただ、派遣方針を堅持する方針には「派遣を中止すべきだ」と反発も。一方、県内の自衛隊関係者は「正直いって、ほっとしている。時宜を得た判断」と打ち明けた。

 今年イラクを二度訪れ、医薬品などの救援物資を届けた平良夏芽さん(41)=牧師=は派遣反対が前提としながらも「先送りは歓迎」と受け止め、「イラクの人々の立場に立って、対話の糸口を見つけよう」と訴えた。

 その上で「日本人外交官など外国人の殺害が相次いでいるが、イラク全土が危険という認識ではない。米軍に加担する人々が、襲われるべくして襲われている。日本人というよりも『日本政府の役人』が狙われた」と指摘した。

 沖縄戦で肉親らを失った県遺族連合会の座喜味和則会長は「時期を見直すのは当然だ。現在のイラクには安全地帯はなく、非常に危険な状況。自衛隊を派遣すれば、さらに日本人の被害者を出すだけだ」と力を込めた。

 沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長(那覇市議)は「事件が起こっても、基本的態度を変えない政府の対応には背筋が凍る思いだ」と憤った。「今回の事件は、明らかに自衛隊派遣の動きが引き起こした。派遣の先送りではなく、派遣しないことを世界にアピールすることが重要だ」と語気を強めた。

 県労連の仲里孝之議長(41)も「先送りは、日本人犠牲者が出たことによる政府の動揺が大きいことを示している」との見方。「テロ活動は依然続いており、戦闘状態は明らか。現在の段階で派遣することは、派遣に賛成する国民でさえ納得しないはずだ」と訴えた。

 県隊友会の石嶺邦夫会長(70)は「外交官が亡くなった事件の直後だけに、時宜を得た判断。最高司令官(首相)の判断であり、正直、ほっとしている」と本音を語った。ただ、派遣の是非については「自衛官は、危険があるからといって任務を放棄できない。個人の意思を超えて任務を遂行し、国民の負託に応えなければならない」と話した。

与勝高校卒業生たちが、与勝高校を離れても活動を続けています
<2003年12月6日 夕刊 5面>

ハンセン病回復者と入浴「偏見はね返す」/学生ら計画

 熊本県の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」がハンセン病元患者の宿泊を拒否した問題で、県内の女子学生らがハンセン病回復者と湯につかり、ホテル側の対応に抗議の意思を表す。署名活動にも取り組む予定で、旅館・ホテル業関係者に受け入れを呼び掛ける。回復者と交流を続ける学生らは「日常生活の中で偏見をはね返すことが大事だ」と訴えている。

 沖縄国際大一年の川満美幸さん(19)、祖堅加奈枝さん(19)、専門学校生の安里綾乃さん(18)らで、「喜んで一緒に温泉に入ろうじゃない会!」を結成。七日夜、回復者の金城幸子さん(62)宅で金城さんと一緒に入浴する。

 会共同代表の祖堅さんは、高校時代から名護市の愛楽園に通い、入所者と交流を続けている。十一月末に宿泊拒否が話題になり、署名集めと回復者との入浴でアピールすることを決めた。

 「九十年続いた隔離政策で、元患者は日常生活から引き離された。ハンセン病訴訟の勝利で問題は解決したという印象があるが、日常の中には差別が残っている」と祖堅さん。一緒に入浴することについて、「隔たりをなくそう、そう自分たちが発言するには一番の方法だと考えた」という。

 回復者の金城さんは今回の宿泊拒否問題が「起こるべくして起きた」と指摘する。訴訟で勝っても、社会に残る偏見を仲間とともに感じているからだ。「例えば食堂に入った時、五分、十分と見つめられるという苦しみがある」

 金城さんは親から引き離された自身の体験を講演で話すが、回復者の多くは表に出ることをためらうという。

 だからこそ金城さんは、女子学生の申し出を快く引き受けた。「一緒に入浴しようなんて、変わったことをするけど、前向きなことをする子たちだ。感動しています」。七日に、金城さん宅のふろで一緒に入浴することを楽しみにしている。





12月5日(金)そのA

第122回金曜集会
うららちゃんと篠原さんが参加。
平良夏芽さん

「名護が緊迫している中、イラクの事が過去のようにされてしまっているのが悔しい。白井さんがイラクに行っているのは私達の責任なんです。無事に帰ってきてもらって、報告会をしてもらいたい。」


「外交官の2人が殺されました。心を痛めているが、日本の報道に関しては疑問を感じます。「ついに犠牲者が出てしまった」というような事を言っている。イラクの人が一体何人死んだか。日本の人に、人一人が死ぬ事でこんなに心が痛むのだ、という事を考えてほしい。自分の国の人が死んだ事ではこんなに大騒ぎするのに、外国の人ならいいのか。きちんと考えなければならない問題だと思います。」
平良悦美さん
「扶桑社の新しい歴史教科書採用が進められている中、東アジアの国々が協力して、正しい歴史教科書を作っています。草の根運動で、正しい教科書を支援していきましょう。」
島田善次さん
小学校教諭が、「君が代」伴奏を拒否した裁判に対する判決のこと。
「警察、司法は、行政に追随している。」
山田さん
「外交官が殺されたが、日本の外務省がどうして平和のための活動ができるか。小泉がアメリカの戦争を支持しているのに、外交活動などできるはずがない。」
玉那覇さん。
憲法は心の引き締め、過去を反省する鏡だと思います。「あとの祭り」とならないよう、行動したいと思います
篠原さんから「市民アセスなご」の行動予定と、普天間で行われたシンポの感想。市民アセスでは、@ボーリング調査計画に助言した専門家の名前を公表する事、A環境アセス前の現地技術調査の中止、B参加者を特定しない情報の公開、この三つを防衛施設局に対して要請します。 又吉さんから
「韓国教会の人達との交流がありました。」発言が始まると・・・・
金曜集会をしている道の前を通る車から女性がビデオを撮ってます。

女性は笑って手を振って去っていきました。
(金曜集会を知っていたのかどうかはわかりません)
真喜志さんからの発言
「護岸はアセスの対象外」と言っているが護岸と基地は不離一体のものであり、アセスの対象になる。
沖縄県環境アセス条例では、15ha以上の埋立がアセスの対象となる。
「埋め立て」である事を認めさせれば、護岸だけで42ヘクタールになる事からも、アセスの対象になるのです
マイクを使わず集まって、警備の人に聞かれたくない話!!内容は秘密です!!
(基地をなくすためのこれからのやりかたについて。)
野口さん。
「札幌の市長がイラクへの派兵反対を表明しています。地方、市町村の単位から反対することは大切な事だと思います。私も住んでいる南風原で反対の声を上げて行きたいと思っています」
集会が終わっても帰らない!!
防衛施設局の、名護での説明会について、など話す
帰りに、夏芽さん・野口さんと、沖縄ソバを食べに行きました。金曜集会の場所とはけっこう離れていたので、帰れるか心配でしたが(方向音痴なため・・・・)、夏芽さんが帰る道を丁寧に教えてくれたので無事に帰りつくことができました。夏芽さん、ありがとうございました!!
平和市民連絡会・今後の行動予定
12月11日(木)名護市長への要請行動
14日(日)白井さんを迎えてのイラク報告会 「イラク派兵反対!基地反対!イラク−沖縄−韓国を結ぶ市民集会」 16日(火)ボーリング調査の中止を求める県民大会           

があります。詳しい時間や場所は後ほど載せます。




12月5日(金)

うららちゃんのお母さんから、荷物が届きました! りんごに、いわしの角煮、らくがん、葛湯、焼き海苔、ごま各種、お菓子、お米、などなど、お母さんの想いがいっぱい!!
晋日記
12月4日(木)

 昨日、キャンプ・シュワブに沖縄担当相が来ていたと報道がありました。閣僚達は米軍の説明を聞いて帰っていきます。米軍が説明をしたのを聞いて一体何が分かるというんだ!!(怒)沖縄に担当相がいる事自体がおかしい。

 今日は県議会に対して防衛施設局がボーリング調査の説明に来るという事でした。まだどんなだったかの報告は聞いてませんが、この前と同じ説明をただ繰り返しただけだと思います。それよりも、県議会がどのようにその事を受け止めたのかを聞きたいです。

 辺野古では、米軍ヘリが飛んでいるのを何度もみかけました。演習自体は静かですが、一体何を後ろでやっているのか、不安で腹が立ちます。

 黒服背広の防衛施設局だと思われる男達が辺野古の高台から海を見ていたという話も聞きました。あんた達の好きにはさせない!

 命を守る会には、平良悦美さんが手伝いにきてくれていました。この間、悦美さん達の案内で来ていた、韓国と在日のパワフルおばちゃん達がその後、どんなだったか教えてくれました。韓国からも国際的な働きかけで基地建設をやめさせるために手伝ってくれるのだそうです。

 お礼の手紙を書くのに、悦美さんに韓国語を教わりました。「ありがとう」と「富田晋」という字。少し、韓国の人達に近づいた気がしました。悦美さんありがとうございました。

 帰り際に半年間沖縄で色々な事を勉強してこれから東京に帰る熊本さんがあいさつに来ました。さよならじゃなくてこれからもよろしくね!
イラク現地速報
平良夏芽さんのホームページに、沖縄平和市民連絡会に集められた募金の30,829ドルを携え、10月22日からイラクへ行っている白井さんからの報告が載っています。
アドレスはこちら  http://www.asahi-net.or.jp/~qg2n-tir/iraq.html

No.32 12月3日(水)午後3時25分着

サマワ

色々考えて判断してサマワにきました。
こちらでは多くの人が自衛隊に期待しています。
それは現実以上の過剰な期待のように思えて仕様がありません。これまでも沖縄の話をしているのですが、Okinawan(ウチナンチュ)ではない自分の経験に基づかない話しの限界を感じます。沖縄のみなさんの誰かが来れると良いと思うのですが・・・

未だにこんなとこに居るので、つまり帰国は13日になりそうです。

No.33 12月3日(水)午後11時55分着

サマワにいます。
この街は、イラクでは例外的に平和な街のようで、街の人たちが口々に言っています。
昨夜は、イラクに来て初めて銃声の聞こえない夜でした。
自衛隊の来ることに対しての話は簡単なことではなく、あらためて報告します。
街の郊外で、劣化ウラン弾で破壊された対空砲火を見つけました。ガイガーカウンターで周囲の100倍以上の数値が出ました。市街地まで1キロも離れていない所です。アメリカはどこでどれだけ劣化ウラン弾を使ったか分かりません。その意味でも危険なところです。

明日のバスでバクダッドに戻ります。

白井

No.34 12月5日(金)午前0時42分着

昼過ぎにバグダッドに戻ってきました。
子供たちのシェルターに行って様子を見てきました。
最後の予算で買い付けに薬局に行きましたがうかつなことに木曜で午後から店が閉まっていました。

ストリートチルドレンについて各国のNGO、個人が関心を寄せていて夕方から彼らと今後の支援のミーティングを行いました。

サマワの件、まとめたレポートを送るつもりでラップトップを持ってきたのですがネットカフェのトラブルでイーサネットに繋がりません。

明日また送ってみます。

帰国の件ですが、あさってバグダッドを出ないと11日の帰国便に乗れません。あさってここを離れるとはとても出来ません。

白井

「イラクを侵略しないで!!! バグダッドから」   ワールドアクションより転載
2003年11月29日(土) PM6:36:26

 こんにちは、礼。

 あなたがたのeメールアドレスをヤフージャパンで見つけました。私はM.H.といいます。バグダッドで生活する高校の教師です。私は空手と日本語を習ってきました。私はいつも日本と日本の人々に敬意をもっていました。

 米軍の侵略を手助けするために日本軍が来るというのは、私たちにとって恐ろしい知らせでした。私は、サダム・フセインを手助けしたことはありませんが、アメリカは武装した盗賊以外の何者でもありません。彼らは連日、イラクの人々を殺しており、一般の人たちは誰も、彼らを支持していません。

 いま、ますます多くの人々がレジスタンス活動に参加しています。彼らは旧政権の残存勢力やテロリストではなく、ただの普通の人々です。他の国が日本を侵略することを想像してみてください。まったく同じことが起きるのではないでしょうか。イラクは侵略者ではなく、イラク人によって再建されるべきです。

 アメリカと同盟する侵略軍として、イラクに来ないでください! イラク人は、日本に敬意を表しますが、もし日本軍が来たならば、日本はイラク人とすべてのムスリムの敵となるでしょう。

 すべてのイラク人は、日本−過去にムスリムに対して敵視したことのない偉大な国−に深い失望を感じています。アメリカを支援することに、日本の人々の生活を含めたこれらすべてのものを失うほどの価値はありません。私たちは、侵略軍が去った後に日本が来ることを歓迎しますが、今ではないことは確実です。

 私たちが本当に感じていることを日本の人々に伝えてください。日本軍は、私たちの国を侵略すべきではありません。私は、日本を愛していますから、決して敵にはならないでください。私たちは、日本に一つの独立国として、正義の決定をしてもらうことを望んでいます。

礼。

M.H. バグダッド、イラク
 イラク派兵反対! 基地反対! イラク−沖縄−韓国を結ぶ市民集会
イラク派兵反対! 基地反対!
イラク−沖縄−韓国を結ぶ市民集会

日時:12月14日(日)午後2時から午後5時
場所:沖縄大学3号館101号室(資料代500円)

◆最新のイラク現地報告: 白井耕祐さん

沖縄平和市民連絡会は1月と5月の二度、イラク訪問を実施しました。イラクの人々と手を繋ぐことを目的とした出会いの旅(1月)であると同時に、医薬品等を届ける謝罪の旅(5月)でもありました。現在も医薬品を届けるたに白井さんが派遣されています。12月6日までイラクに滞在し、イラク現地の人々に医薬品を届ける活動をしてきた白井さんが、民衆の視点から見たイラクの現状を報告します。

◆韓国「一坪地主」の基地移設反対、イラク派兵反対運動
 報告@: 米軍基地拡張反対平澤(ピョンテク)対策委員会の代表
 報告A: 10.31「米軍基地の平澤総集結反対」集会の沖縄参加者一同

 進行中の在外米軍再編の一環として在韓米軍においては、鳥山(オサン)米軍基地の拡張が大きな焦点になっている。U2偵察機の飛来でも明らかになったように、沖縄の嘉手納と韓国のオサン基地は直結しており、「普天間の名護移設」も連動している。

 10月31日にオサン基地の地元・ピョンテク市で、大規模な反対集会がもたれ、沖縄から4名が参加した。

 ピョンテク市の米軍基地拡張・移設反対運動では、沖縄の一坪反戦地主会にヒントを得た「土地一坪買い取り運動」により、運動が広範な住民に支えられている。10.31集会では、「イラク派兵反対!基地移設反対!」のスローガンが二本柱として掲げられた。韓国の現在を報告してもらう。

共催:沖縄平和市民連絡会/沖・韓民衆連帯
問い合わせ連絡先:沖縄平和市民連絡会代表世話人:平良夏芽 (電話:098−945−3999)
1フィート運動の会 20周年記念平和集会
1フィート運動の会 20周年記念平和集会

ご案内

 緊迫したイラク情勢の不安が現実のものとなりました
 戦争のない世界をと訴え続けてきましたのに、ついに駐日大使館員が2人も犠牲になりました。今こそ憲法9条をしっかり守るために頑張るときではないでしょうか。このような中1フィート運動の会は20周年を迎えました。この間における皆様方の物心両面のご支援に深く感謝申し上げつつ、お互いの平和への思いを語り合いたいと思います。

 つきましては下記の通り20周年記念平和集会を開催いたします。ご多忙の折ではございますが、ご参加くださいますようご案内申し上げます。

日時 2003年12月8日(月)午後6:00〜9:00
場所 八汐荘(電話 867−1191)
一部
6:00 ビデオ「草の根叫びつづける」RBC提供
6:40 開会挨拶
7:00 20年の歩み報告
7:25 事務局報告
7:30 感謝状贈呈
二部
懇親会 会費(参加者のみ)2000円
海勢頭豊 まよなかしんや コンサートあり
<2003年12月5日 朝刊 27面>

ボーリング12地点に藻場/普天間代替調査

 日本自然保護協会(本部・東京)は四日、普天間飛行場移設先の名護市辺野古沖で那覇防衛施設局がボーリング調査を予定している六十三カ所のうち十二カ所で、ジュゴンが主食とする藻や海草が繁殖している可能性が高い―という調査結果を明らかにした。

 同協会は二〇〇二年九月と〇三年九月、辺野古、豊原、久志地区沖合で、海岸から約一キロ、幅三キロの範囲内の七十数ポイントで、ジュゴンが主食とする藻の繁殖状況などを調べてきた。

 協会の調査結果と、那覇防衛施設局が県に公有財産使用許可を申請したボーリング調査地点を照合したところ、陸上に近い地点を中心に十二カ所でリュウキュウスガモやリュウキュウアマモなどが繁殖している可能性が高い、と指摘した。

 自然保護協会の吉田正人常務理事は「ボーリング調査が環境破壊につながる危険性がある。沖合の藻場への影響も必至で、施設局は計画を見直すべきだ」と指摘。申請を許可する県に対しても「独自の潜水調査をするなど、慎重に判断してもらいたい」と訴えた。

 協会は近く施設局と県に調査結果を報告する。同協会のホームページなどでも公開する予定だ。

 防衛施設局は、海底の藻場やサンゴの状況について、潜水調査や専門家らの助言を踏まえ、ボーリング調査の作業計画を作成した。

<2003年12月5日 朝刊 27面>

「建設中止まで頑張る」/都市型施設

 米軍キャンプ・ハンセン「レンジ4」に都市型戦闘訓練施設が計画されている問題で、沖縄平和運動センターと北部地区労などは四日夕、金武町の同基地第一ゲート前で抗議集会を開いた。

 労働組合員ら約百五十人(主催者発表)が参集。都市型施設の建設は「基地の強化、固定化にほかならない。民間地域に近く安全性が確保できない」として、シュプレヒコールで計画撤回、建設反対を訴えた。

 沖縄平和運動センターの喜納昌春副議長は「県、金武町、地元が反対する中、米軍は建設強行の姿勢だ。県民が力を合わせて、人を殺すための訓練施設を造らせないようにしよう」と訴えた。

 レンジ4に接する伊芸区住民で、町職労の安富祖昇委員長は「突然の基地建設に、地元は驚きと怒りがある。これは住民の命の問題であり、建設を中止させるまで頑張る」と力を込めた。





12月4日(木)

熊本さん、6日の飛行機で東京に帰ります。

名護にいる間使っていた電化製品や食器など、ジュゴンの家に寄付して行ってくれました。

熊本さんには、運転免許を取るまでの間、金曜集会や土曜集会に連れて行ってもらいました。

いろいろお世話になりました、元気でね!
<2003年12月4日 朝刊 23面>

地元13区に説明/普天間代替施設ボーリング調査

 米軍普天間飛行場の辺野古沖への移設で、那覇防衛施設局によるボーリング調査などについての説明会が三日、名護市久志支所で開かれた。施設局から田上敏夫施設調整官と中田明建設部長が調査内容について同市東海岸の十三区の区長や行政委員に説明した。参加者は「内容がよく分からない」「計画に助言した専門家の名前を公表するべきだ」などの意見が出た。

 説明会は市主催。先月開催済みの久辺三区を含め、対象者は百人以上だが、出席は約三十人にとどまった。

 質疑では「基地使用協定を結ばないと騒音問題などが出る。集落にも教えてほしい」との強い要望や「名護市の犠牲の上にできる施設。それなりの振興策を」との意見も出た。

 出席者の男性(66)は「代替施設ができれば地域に影響がある。不安だ」と述べた。嘉陽区の男性(54)は「環境への配慮は合格点だと思う。環境破壊や騒音問題が起これば、そのたびに施設局に訴えていく。アセスの結果を踏まえ、建設の是非を判断してほしい」と話した。

<普天間代替>国主体で最終調整

 【東京】軍民共用となる米軍普天間飛行場代替施設の民間部分の事業主体問題で、茂木敏充沖縄担当相が稲嶺恵一知事から直接、国が事業主体となるよう要望を受けたことで、政府は4日から決着に向けた作業を加速させる。政府は、軍用と民間部分を一体とみなして防衛施設庁を事業主体とする方向で最終調整を進めており、内閣府や防衛庁、環境省など関係各省庁首脳の了解を早急にとりまとめ、早ければ7―13日の週にも茂木沖縄相が正式発表する構えだ。

 政府は既に、防衛施設庁が事業主体となる方針を名護市にも説明している。ただ、関係省庁間で細部の詰めの作業を残しており、最終的な了解の取り付けを急ぐ。正式発表後、19日にも東京で第2回普天間代替施設建設協議会を開き、環境影響評価(アセスメント)の方法書を示す方針だ。


「街」日誌より転載
12月1日(月)
 リサイクルショップ・すぎなみ
契約完了 (^o^)丿
 電気・テーブル・イスなどを運び入れました。
まだ、ほとんど、何にもありませんが、
来月の家賃が発生しているので、
明日から静かにプレ・オープンします。
いつものように、
金がない所から立ち上げたので、
カンパ・支える会などにご協力を
お願いいたします。 
 リサイクルショップ・すぎなみのホームページもスタート。
何にもないですが、見に来てください
 「街」から「ジュゴンの家」、
そして、
リサイクルショップ「街」すぎなみへ/ハネやん
1、「街」、「関町ケアネットワーク」、沖縄料理店「チャンプルー」
 1993年、共同作業所の職員時代に自主運営のリサイクルショップ「オープンスペース街(まち)」(以下、「街」)の設立に関わって以来、いろいろな場を作っては、壊してきた。
 
 地域で暮らしていた病院のデイケアのメンバーの自殺をキッカケに、94年に立ち上げた憩いと相談の場「関町ケアネットワーク」は、携帯電話の広がりと共にその役目を終えた。
 
 95年に作った、食と楽しみの場・沖縄料理店「チャンプルー街」も、2001年6月に惜しまれつつ閉店した。
 
 ワープロにモデムを繋ぎながら始めたワープロ通信の時代、そしてインターネットの勃興期、「街」のホームページの中にある掲示板「心の広場」には、全国の若者たちの悩みが書き込まれ、それに応えるため24時間、携帯電話による相談を始めた。
 
 そして地方で孤立している若者たちが宿泊しながら学びあえる場・「ステイ街」が出来た。一時は、リサイクルショップ「街」の前にあるマンションを3戸借り、「関町ケアネットワーク」を含め多い時で10人以上の若者たちが宿泊していた。そして若者たちの内の何人かが自立していった。

 ある日、インターネットを通じて「街」のことを知り、引きこもり・通院・入院を繰り返していた息子を連れた母親がやってきた。Kさん(26才)を初めて見た時、思わず「高校生みたいだ」と思ったほど幼い顔をしていた。
 
 「今まで息子のためにいくらお金を使ったか知れない」 母親は定年を間近にひかえ、「もうこれ以上息子の面倒は見れない」「これが最後のチャンス」という悲壮な覚悟で「街」にやって来た。Kさんにも「もう、これまでの生活を続けたくない」というギリギリの覚悟があった。 Kさんは「街」で二週間の研修を終えた後、近くにアパートを借りて自立生活を始めた。御飯の炊き方も知らなかった彼だったが、まもなく「街」を卒業し、地域商店でアルバイトをはじめた。高校中退のKさんは近くにある定時制高校に通い、その後専門学校に進学した。そして今年初め、植木屋に就職が決まって、この街から巣立って行った。
 
 Kさんとは、何度も衝突して出て行ったり、否を詫びて戻ってきたり、本当に沢山のエピソードがあった。彼が自立できた理由は、Kさんの意地と素直さ、「生れ変わりたい」 という強い意志、それと「これが最後のチャンス」という母親の覚悟にあったのではないかと思う。
 
 その「ステイ街」も今は、混在型グループホーム「ハウス街」という一戸建ての家(*現在は、女性用ホーム、男性用ホーム)へと形を変えた。そこではかつての「ステイ街」の機能の他に、知的なハンディキャップを持った人たちの自立体験の場などになっている。
 
 リサイクルショップ「街」、憩いと相談の場「関町ケアネットワーク」、沖縄料理店「チャンプルー街」、宿泊研修の場「ステイ街」という4つの場は、今、「街」と「ハウス街」の二つに整理・縮小した。それでも衣・食・住+憩い・相談を、保障しえているのではないかと思っている。
 
2、「ジュゴンの家」へ
 「街」が出来た後、「街」のリサイクルショップ方式は、小平「カジャ」、三ノ輪「ゆいまある」、沖縄・名護「ジュゴンの家」、そして那覇「はんたぴあ」へと引き継がれた。
 
 「久良木さんの『日本全国・出会いの旅』沖縄編で紹介されていた女性で、「てるしのワークセンター」とか家族会の仕事をされている山里さんを交え、久良木さんの思い出、沖縄の精神保健の現状、『街』の目指している方向性など、日が暮れるのも忘れ語り合いました。話している中で、リサイクルショップ『街』名護店構想が僕の中でムクムクと頭をもたげてきた。

 沖縄に来て半月。第1期・ジュゴンの家から第2期・ジュゴンの家へ。この半月の過程は、『僕たちが沖縄で出来ること、沖縄の人たちと連帯する道、その内容を本土に持ちかえり、再びそれをふくらませて沖縄にフィードバックすること』を模索し、思考錯誤する半月でした。

 僕たちができること。徹底的に『地域』にこだわること。『連帯・共闘』を声高に叫ぶことではなく、地域の人たちの生活に根ざした現実から出発すること。これが『街』の精神・スタイルだ。たとえどんなに小さくても、一歩一歩堅実な前進を積み重ねて行きたいという想いで一杯になった」(2000.8.31「ジュゴンの家」日誌) 
 
 2000年秋、4つの場の整理・縮小に伴って生れた力を、沖縄・名護のリサイクルショップ「ジュゴンの家」へ注ぎ込んだ。当初は、僕たち年寄組と、アリちゃん・ようこちゃんの若者組が、半月交代で「ジュゴンの家」を運営するという計画を立てていた。アリちゃんは、インターネットを通じて「街」と知り合った北海道出身の引きこもり・入院を体験した青年。その後、僕と共に沖縄料理店「チャンプルー街」のシェフとなり、生きづらさから自らを解放した。
 
 2000年10月15日の「ジュゴンの家」のオープンの手伝いに来ていた埼玉県の不登校の高校一年生・晋君は一年間、「ジュゴンの家」の店長をつとめた後、昨秋から「ジュゴンの海の家」という移動式コミュニケーションの場を一人でスタートさせた(現在は名護・辺野古「命を守る会」事務員)。
 
 「失敗は成功の素」
 若者たちの可能性を信じ、責任ある仕事につかせることが成長につながる、というやり方を僕たちは取ってきた。失敗したら一緒に考えて、そこから教訓を学びとればいい。
 
 昨年6月、不登校・通院・入院を経験している群馬県出身のUさん(23才)が、名護に移り住み、11月から「ジュゴンの家」の店長となった。昨年末には東京出身のSさん(24才)が沖縄に来た。彼は小学校の時から不登校を続け、通院体験者でもあるが、今では立派に「ジュゴンの家」の店長代理をこなしている。「ジュゴンの家」の若者は元気で信頼できる若者として、沖縄の人々に認められ、愛されている。生きづらかった過去を乗り越えて、沖縄のおじい・おばあたちの希望の星となっている。 
 
3、「病」・癒し、から、解放へ
 押し付けられた生きづらさ、それを癒すだけでいいだろうか? 僕たちは、「病」・癒しではなく、人が人として生きることのできる社会づくりをする中で、自らを解放したい!
 
 2月3日の名護市長選挙。宮城康博さんの勇気ある立候補に対して、「街」と「ジュゴンの家」は12名で応援に行った。何しろ彼は、僕たちのバンド「ヨッシー&ジュゴンの家」のベースマンなのだから。その間「街」を守ったのは、メンバー、ボランティアさん、・お客さんたちだった。
 
 選挙戦など一度もやったことのない僕らだったが、ギターを弾き、歌を唄いながら朝から晩まで市街地を練り歩いて沢山の市民に訴えた。現市長の権力と金を使った無法選挙に一歩もひるまず、心の病やハンディキャップを乗り越えて最後までやり抜いた。当選を勝ち取れなかったとはいえ、僕たちに敗北感などない。やり抜いた勝利感で一杯である。
 
 「街」「ジュゴンの家」は本当に名護市長選を闘えて良かった。そして、やり抜くことの中で一人一人の足りない部分も知ることができた。更なる飛躍のための宿題として、選挙後、点検し、ただちに新しい挑戦を始めている。
 
 「病気が精神病院で超克されるとは思わない。私たちは外部社会で病気にうち勝たなければならないし、それは社会が変わることでそうなるのだと思う」(イタリア・トリエステの教訓)  2002.2.22
 それからいろいろなことが起った。連れ合いは2000年1月に「余命2年」と宣告された。僕自身も昨年の脳出血と、今年1月の大腸がん手術を経験した。しかし、そのことで心が萎えることはなかった。むしろ、日々をシッカリと生き抜いていこうという確信に変わった。
4、そして「リサイクルショップ・すぎなみ」へ
 今年に入って、新しい3つの場が生まれた。中野「スタジオ・ジロー」、目黒「とみしょーや」、そして何よりも衝撃を覚えたのは、11月、沖縄に行った時に寄った鹿児島・与論島にできた「つどいセンター・海」の見学だった。

 那覇の民宿「コパルト荘」で出会った与論島・田中豊次郎さんとは、久良木幹雄さん(故)を通して知り合った。そして何度も「与論島にリサイクルショップを作ろう!」と話し合ってきた。

 2日、「コパルト荘」に泊まった時に、田中さんの消息を聞いてみた。するとオーナーの照屋さんが「大島新聞」のコピーを見せてくれた。そこには「与論島の共同作業所『つどいセンター〜海〜』開所から3ヵ月」という文字が躍っていた。僕は矢も立てもたまらず与論島へ旅立った。 

 「当事者同士が安心して心を打ち解け合える『仲間づくり』の場から一歩踏み出し、共同作業所は立ち上げられた。田中会長は、センターに集う当事者を代弁して話す。「センターに通うことで自分たちが楽しむだけでなく、将来自分たちと同じように苦しむ人が出て来るだろう。そういう人たちのためにも、自分たちの手で、これまで島になかったものを作っていくんだという目的意識がある」。「自分が明るくなったと感じる」「家に一人でいるより(毎日が)充実している―そう話す利用者の横顔に、規則的に作業所に通い、仲間と心を通いあわせながら働くことが、彼らの内面に生んだ変化の大きさを感じられた。また一方で、地域社会に積極的に関わっていこうという意識が彼らの内に芽生えていることに、頼もしさを覚えた取材だった」(大島新聞10月13日号」
 人口6000人ほどの小さな島で、「精神障害者」であることをカミングアウトして、人の集まる場を作った彼らの気概に僕は大いに触発され、11月7日、東京に戻ってきた。細胞分裂が大好きな「街」グループ。来年春までに3つに分裂していこうと密かに想っている。健全な細胞分裂は、人を飛躍させる!  2003.12.1

 ジュゴンの家ニュース   発行:ジュゴンの家
  沖縄県名護市城2-13-2
  Tel&Fax (0980)54−2948 
第65号 2003年12月4日発行
第21回 土曜 辺野古浜集会                                          11月29日(土)
ジュゴンの家からはうららちゃんが参加。篠原さんと一緒に行きました
東恩納琢磨さん
「海草藻場がある場所からの、ボーリングポイントの変更の事で
自然保護協会から『ずらした場所を確認させなさい』ということを話しています」

「説明会の資料にあった専門家からの助言は、専門家が書いたものではありません。ジュゴンのことが『夜行性である』と書かれているが本来は昼間活動するんです。(軍の訓練や騒音のせいで)動きづらい中で夜活動している。
自らジュゴンを追い詰めているのを暴露しているようなものだ。
同時にボーリング調査するのは最大8箇所と言っているが、海のどこかしらでは調査が行われているという事。ジュゴンが餌場に近づけなくなる。」
大西照雄さん。
「きょうは台風のせいでリーフのところで大きな波が立っています。私たちはあれを『ヤマ』と呼んでいます。
漠然と反対するのでなく想像する事が大事。基地が作られる海をよく見て想像し、そこにある生態系を考えましょう。」
大城ヨシタミさん
「心臓のほうは無事治療がすみました。これからも皆さんと一緒に頑張って行きたいと思っています。」

「調査は6ヵ月で終わると言っている。どれだけずさんに行われるか。海草もサンゴも無き物として扱われると思う。間髪を入れない抗議をしないと負けてしまう。県が調査を許可するかどうか、という事に焦点をあて、やりたいと思う」
与那覇さん
「地域の市民をもっと盛り上げられないか。作られようとしているのは人殺しの基地です。上の人たちや、地元三区の人々だけの問題ではない。何かあったら事前に知らせる事、連絡が必要です。」
きょうの参加者は20名。

施設局から県にボーリング調査のための海域使用申請が出され、地元行政委員への説明会があり、事態が緊迫してきた。話が次々出てきて、きょうはみんななかなか解散しませんでした。
「命を守る会」にて・・・・
晋くんは今、辺野古の浜で拾った貝殻やサンゴでアクセサリーを作るのに奮闘しています。色んな部品を買ってきて組み合わせを考えたり、試行錯誤中。

    ジュゴンの家ホームページ・アドレスhttp://www47.tok2.com/home/dugong/index.html
「市民アセスなご」人形劇 「(仮)環境アセスってなんだばぁー?」  11月30日(日)
夜7時から、「ジュゴンの家」で、「市民アセスなご」の人形劇が上演されました。出演は市民アセスのメンバー5人 舞台は辺野古の海。豊かなサンゴや海草がいっぱいの、ジュゴンの住む海です ナレーションはジュゴン役の篠原さん。
主人公は海人をしているお父さん(吉川さん)、娘のなみこちゃん(浦島さん) もしも辺野古の海に基地が作られてしまったら・・・海が壊されてしまいます お父さんがアセス博士に変身!!
アセスのことをなみこちゃんにわかりやすく説明します
森山さんがナレーションにあわせ、環境アセスのしくみを説明する 防衛施設局員 海草を食むジュゴン
渡具知智佳子さん 辺野古から、小禄さんも来てくれた スープを飲みながら歓談。
「名護シアター」の名画上映のお知らせをするともちゃん。名護シアターでは会員を募集しています。
上演後、みんなから意見を聞く。地元の人たちに対しての上演は、今日がはじめて。第1回目です。
来場した人達から様々な意見が出されました。
人形劇は出来たばかり、まだまだ発展途中。みなさんから意見を聞いて、さらにわかりやすく、完成されていくと思います


12月3日(水)

今日のじゅごんの家
楠本さんが作ってくれた金城師匠ライブビデオCD。肩をくんで仲良く見る師匠とありちゃん。
晋くんの辺野古日誌
12月3日(水)
沖縄は涼しくなってきたなぁと思っていると、今日はまるで夏みたいです。暑い・・。
この頃は本当に米軍の演習が少ないです。ヘリは何回か飛んできましたが、その他の実弾演習、水陸両用車による海上の演習はまるっきりありません。
軍隊は静かな時ほどなにかをしているように感じます。
沖縄の海兵隊がイラクへ行くという報道がありました。そのための準備を進めているのかも知れません。そういう意味で不安に感じています。自衛隊も米軍もイラクに行かせてはいけません。
「かけがえの前進」 上映会
東京で上映会決定しました!!

東京で、トモダチが、映画の上映を企画してくれはりました。
ありがたいことです。
以下、上映会の紹介です。
よかったら、是非とも、見てみてください
宣伝もして頂けるとありがたいです
よろしくお願いいたします

「かけがえの前進」
場所 あかね  03-5292-1877
地下鉄東西線 早稲田駅徒歩五分程度

12月11日 木曜日 20時から 参加費 500円+チャージ200円+希望者飲食代
12月13日 土曜日 13時から 参加費 500円
 「シナリオ採録集」「天上天下病者反撃」「バクチク本第二弾」等々も販売予定です

たらちね (狭山冤罪事件の映画です)
場所 WHITEROSE (予定)東武伊勢崎線谷塚駅
12月14日 日曜日 15時から 参加費 500円+飲食代
 両日とも上映会後、意見交換
沖縄の新聞より

「戦争終わってない」/沖縄・平和市民連絡会派遣の白井さん 平良さんにメール<2003年12月3日 夕刊 4面>

 日本の外交官二人が殺害され、外国人を取り巻く治安の悪化が懸念されるイラク。多くの日本の非政府組織(NGO)も撤退する中、「沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会」が派遣した白井耕祐さん(39)は現在も、病院へ薬を届けるなど地道な援助活動を続けている。

 「残念なことですが、今のイラクでは何が起こってもおかしくありません。いつか起こると思っていました」。外交官二人の殺害後に連絡会の平良夏芽さん(41)に届いたメールによると、白井さんは事件を冷静に受け止めていた。

 「今イラクで起こっているのはテロではなく戦争。イラク戦争が終わったと思っているのは世界中で日本だけだ。米軍に協力している国が、順番に攻撃されている」

 募金で集まった三万ドル余りを託され、十月下旬にイラクに入った。買い付けた抗生物質や抗がん剤などをバグダッドや南部バスラの病院に配って回る毎日だ。

 バグダッド市内ではイラク人警察官が増え、夜間も商店が開いているなど「住民生活の治安は良くなった」。米軍や国際機関への襲撃が相次ぐ中で「治安は二つのレベルに分かれた」といい、平良さんには「わたしもイラク人の中にいる限り、心配することはない」と伝えた。

事業主体、国で決着/茂木沖縄相  知事要請受け入れ <2003年12月3日 夕刊 1面>

 軍民共用となる米軍普天間飛行場代替施設の事業主体問題で、茂木敏充沖縄担当相と稲嶺恵一知事が県庁で三日、初めて意見交換した。稲嶺知事は「(県内移設は)苦渋の決断であり、民間部分を含めて、国が事業主体になってほしい」と要請。一方、民間部分に関連する環境影響評価(アセスメント)には協力する考えを示した。会談後、茂木沖縄相は記者団に対し、「(県の要望に)方向性として沿うことができればと思っている」と述べ、民間部分も国が事業主体になる考えを初めて示した。また、環境影響評価の方法書を早期に作成する考えを表明。代替施設建設協議会を「できれば年内に開きたい」と、今月中に決着させる見通しを表明した。

 稲嶺知事は県内移設について「できるだけ早く移設を実現してほしい」と要望。民間空港施設の管理・運営については「県民にとって最も望ましい方向になるよう、国、地方公共団体と相談したい。このような立場から、国が行う環境影響評価に協力していきたい」と述べた。

 茂木沖縄相は「事業主体への要請をはじめ、重く受け止めたい。できるだけ早く調整したい。環境影響評価に全面的に協力していただけるのは大変ありがたい」と、県と連携して移設を進める考えを示した。

 政府は既に、民間部分も含めて防衛施設庁を事業主体とする方針を固めている。稲嶺知事が茂木沖縄相に県の最終的な意思を伝えたことで、同問題は近く決着する。

 また、稲嶺知事は米国が進める兵力再編に際し、沖縄の基地負担軽減やキャンプ・ハンセンへの都市型戦闘訓練施設に国も反対するよう要請。米海軍の低周波ソナー使用禁止も求めた。

 茂木沖縄相はこれに先立ち、就任後初めて普天間飛行場の移設先の辺野古沖を視察。在沖米軍のブラックマン四軍調整官と、意見交換した。







12月2日(火)

今日のジュゴンの家
先日具志川の赤嶺さんからジュゴンの家に連れて行ってもらったものです。
 役に立てるか分かりませんが、送らせていただきます。この前は時間もなくお店をのぞくこともできなかったので、今度ゆっくりと遊びに行きたいと思います。
 その時は、あのイイ香りのコーヒーを飲ませてくださいね。
 それではその時までさようなら。
新潟の小林さん(赤嶺さんのお友達)から冬服の寄付が届きました!!

きれいにたたまれ、丁寧に袋に包まれていました。


Kさん、遠い新潟から、どうもありがとうございます!!
今度沖縄に来た時には寄っていってくださいね。
お待ちしています!!
新潟の小林さんからの寄付とお手紙
昨日の夜

カンパーイ!!
「ジュゴンハウス」にて、
本土へ帰る熊本さんのお別れ会。

お酒を飲みながら色々と話しました。
アオサとシイタケのお吸い物 三枚肉のサッパリ煮 アボガドのサラダ
イラク現地速報
平良夏芽さんのホームページに、沖縄平和市民連絡会に集められた募金の30,829ドルを携え、10月22日からイラクへ行っている白井さんからの報告が載っています。
アドレスはこちら  http://www.asahi-net.or.jp/~qg2n-tir/iraq.html分は平良の解説や書き込みです。

No.29 12月1日(月)午後11時22分着

Subject: 報告

11月25日

バグダッドで買い付けした医薬品・医療器具・車椅子をバスラ総合病院に届けました。
バスラまではチャーターしたバスで運んだのですが、ホテルからタクシーで運べる量ではないので病院に連絡して車を廻して
もらいました。
ワンボックスカーに乗ってきたのは以前に会ったことのあるドクターと自動小銃を持った三人の警官でした。ものものしさに
驚きました。
強盗がしょっちゅう出ることと朝方、町なかで爆弾騒ぎがあったので用心のためだということです。
きょうからラマダンが終わったので町の様子は静かでした。病院の救急外来もさほど混雑していませんでした。
病院の見学を勧められたのですが午後からバスラ教育病院のアル・アリ医師との食事の約束があって時間が取れませんでした。

ラマダンはこちらに来て初めてわかったのですが、始まりも終わりも直前になるまでわからないものだそうです。月のカタチを見て判断するそうで、宗派によって判断が違いイラク北部中心のスンニ派はすでに終わっていてもこちら南部のシーア派はまだラマダンが終わっていませんでした。しかしそのスンニ派も二つに分かれてレストランに現れたドクターも、ひとりはもう食べていい、別のドクターはまだ食べられない、という理解しがたい複雑さでした。

夜は銃声の激しさがひときわで、あまりにもホテルの近くで聞こえるため不安に思いましたがフロントに聞いたところほとんどがラマダン開けを祝うために撃ち鳴らしているとのことでした。あまり楽しいものではありません。

11月26日

昨日見られなかったバスラ総合病院の様子を見てきました。
三交代24時間制の救急外来をふくむ総合病院です。一日の患者が約600人あるそうです。
ラマダン明けの祝日は日本でいう新年のようなもので通院患者はいませんでしたが、救急外来にはひっきりなしに患者が来ていました。病棟には昨夜、市内で強盗に襲われ銃弾を二発足に受けた男性が入院していました。
入院患者にラマダン明けを祝うために家族のもとに帰っていて重症患者しか病棟にいませんでした。医師から神経性の麻痺が進行しいずれ死に至るという病気の患者2名を紹介されました。イラク国内ではクスリが手に入らず家族はツテをたよってエジプトからクスリを取り寄せているのですが一週間で100ドルの薬代がかかるそうです。

病院への保健省からの支援はバグダッドより遅れているように見えました。バグダッドで必要だった保健省からの許可証もこちらでは要求されません。治安も悪く警備のための警察の人員も相当目立ちました。

バスラでは総合病院以外に小規模なクリニックなど廻ってみたかったのですがラマダン明けのためにまだ数日は見られないため明日バグダッドに戻ることにしました。治安も外国人には悪すぎて、外出もままなりません。ガイド役をしてくれたバスラ大学の学生も外国人と一緒にいると危ないという忠告を町で会った知人から受けたらしく彼にリスクを負わせることもできません。

No.30 12月1日(月)午後11時03分着

※29号より30号の方が先に届いたのですが、時系列的に並べ替えました。

Subject: 事故のこと

きょう日本からのメールで政府関係者の事故のことを知りました。
残念なことですが今のイラクでは何がおこってもおかしくありません。いつかおこると思っていました。

以前いただいたメールでサマワを見てくるようにとのこと、これからのイラク情勢において自衛隊の絡みも重要な要素だと自分でも思っていました。ただし寄付活動を優先すべきとの判断でこれまでは具体的な予定を立てられませんでした。

帰国まであとわずかです。残り約4000ドルを使う活動をするか、数日を使ってサマワに行くか、いかが思われますか?

南部に行くとしたら2日に出発したいです。帰国を13日にすれば薬の配布もその後にできそうです。
11月30日
白井


No.31 12月1日(月)午後11時38分着

※この通信は、募金を出して下さった方々をがっかりさせたくないとの白井さんの配慮から「非公開」の通信なのですが、現実をしっかり受けとめる必要があるとの判断と、結果として無駄になっていないとの判断から平良の責任で公開します

ストリートチルドレンの件、バスラから戻ってすぐにシェルターに行ったのですが、その日の朝にどこか、イタリアかスペインのNGOが来て別の施設かホテルに子供たちを移したあとでした。残っていたのは4人でした。毛布は食器などはそのままになっていました。

驚きました。バスラに行っていて留守だったとはいえイラク人の担当者から何も聞いていませんでした。実はバスラに行く前に会う約束をしていたのに彼がホテルに現れず不信に思ってもいました。

彼(アラー)は別の協力者を見つけて乗り換えたのか?たしかに350ドル分の寄付であんなひとの住むところとはいえない廃墟に放置しているのでは何も言えないのかもしれませんが一言あってもいいのではと嘆かわしく思いました。これではみなさんに報告できません!

このときはたまたま時間のあったワリードに来てもらって子供たちとの通訳をしてもらったのですが正しく状況を掴めずとにかくアラーと会わなければと思ってホテルに戻りました。

昨日、ホテルで会ったもうひとりの担当者(サマラッド)にこの件を聞いたところ彼も状況を知らず、とにかくアラーを探してくれと頼みました。

今日、サマラッドがシェルターに行って残っていた子供たちに聞いたところ、NGOが来たのではなくイタリアとスペインの個人のグループが来て、15分ほど離れた安宿に宿泊を確保しているということ、治安の悪いエリアであること、ホテルの対応が悪く居心地が悪いこと、実際にもう何人もシェルターに戻り始めていることがわかりました。しかしアラーとの連絡はまだ取れていませんでした。

サマラッドが帰ったあと、シェルターに行ってみることにしました。残っている子供たちに食事を渡せるかもしれないし、アラーが来ているかもしれませんでした。

アラーに会えるとは期待していなかったのですが、シェルターの近くの路上でばったり出くわしました。彼は英語がそれほどできず、込み入った話はできなかったのですが、彼にしても寝耳に水の事態だったことがわかりました。いつも冷静な彼がいきりたっていました。
今、子供たちがいるところの環境が悪く、そこに子供を移しただけで誰もフォローをしていないようです。
そのイタリア人、スペイン人も善意があってやっているとは思うのですが、やはりこれまで長く子供たちの面倒を見てきたイラク人のアラーを尊重してやる方法があると思います。

子供たちは10人に数が戻っていました。

明日、サルマッドとアラーとでミーティングをすることになりました。
わたしもスポットでしかこの件に関われず、資金的な援助も限られています。
ストリートチルドレンへの活動をしたいというボランティアの日本人女性が来ていてまだしばらくこちらにいるのですが、子供たちとはいえ思春期で、女性がひとりで行ってはいけないところです。これから難しいところです。

*この件、ひみつ日記にしなくてもいいかもしれませんが、おとといの段階では支援が無駄になった、イラク人を不信に思わなければいけないかと悩みました。
実際には少なくともこの間のしばらくは子供たちが寒い思いをしなくてすんだんだのは事実で無駄にはならなかったはずでした。
とにかくいろんなことが起こります。

白井  11/29

平良夏芽さんからのメールより
平良です。白井さんからのメールで、まだ残りたいようなことを書いていましたがどうしても帰国するように強く要望いたしました。以下の通り、白井さんの報告会を予定しています。万難を排して、お集まり下さい。

期日:12月14日(日)午後2時〜5時
場所:沖縄大学101号教室
内容:1.韓国の反旗地運動の報告
   2.沖・韓民衆連帯の韓国派遣団報告
   3.白井さんによるイラク報告

以下、平良の独断ですが、白井さんの来沖費用と滞在費のカンパを募りたいと思います。ご協力をお願いします。白井さんには沖縄でしばらくゆっくりして頂く予定です。


12月1日(月)

うららちゃん日誌
12月1日(月)
きょうもたくさんお客さんがきました!!
売れ行きも順調です。

写真は、熊本さんにインタビューを受ける篠原さん。

(熊本さんは近々本土に帰ります。)
きのうの晩ご飯。白身魚のフライは瀬嵩の朝市の卵に徳島のすだちでつくったタルタルソースをたっぷりかけて! モーイの煮物、ゴーヤのぬかづけ タルタルソースをたっぷりかけていただきます!!
真喜志さんからのメールより
真喜志好一です。
県議会への陳情書(案)を書いていて、調査の作業計画がアップされている事を知りました。

 http://www.naha.dfab.dfaa.go.jp/info/index.html
防衛施設局のホームページ「お知らせ」というページに、辺野古での現地調査の結果・ボーリング調査と海象調査の計画書が載っています。(27日の説明会で配られたのと同様の物です)

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