ジュゴンの家・日誌
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沖縄タイムス http://www.okinawatimes.co.jp/
琉球新報  http://www.ryukyushimpo.co.jp/

同基金への協力は  琉球銀行 普通口座
 名護支店
口 座 番 号   23−130
口 座 名  西 陽子 まで

7月A

7月13日(土)


名護産
ヘリ基地はいらない・ジュゴンマンゴーです。ぜひ買って下さい。

売上は「ジュゴンの家」の運営資金になります
                                                   注文受付中!! TEL・FAX (0980)54−2948
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沖縄 950 1,160 1,470
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中国・四国
関西・中部
関東
1,470 2,000 2,620
北陸・信越 1,580 2,100 2,730
東北 1,790 2,310 2,940
北海道 2,100 2,630 3,250

 
 じゅごんの家日誌
さぎりちゃんもパクッ! ありちゃんが待ち望んでいたかき氷マシーン入手!! うららちゃんもパクッ!!
かき氷をつくるありちゃん 夕食の麻婆ナスをつくるうららちゃん
人参サラダを作るさぎりちゃん 先輩のうららちゃんが、さぎりちゃんに台所の使い方を教える 夜、ハウスでワインをたしなむ
さぎりちゃん
海の家
瀬嵩のおばあたち 今はゴーヤーの季節です
ジュゴンの里のカヌー タエさん 映画「ナビィの恋」の監督が今度は「ホテル・ハイビスカス」を辺野古で撮影する。沖縄では話題の映画。でもヘリ基地のことは触れられない。
晋くん海の家日誌
7/12(金) 辺戸でおきた最終ゴミ処分場建設にともなう、木の伐採について、地元のおじぃ、おばぁは木にしがみついて切られるのを防ごうとしたけど、その何倍もの人数でおじぃたちを木から引きづり下ろした行政。切られた木は1万本。この木はいまもそのまま放置されているそうです。
 そして、廃棄物処理場が沖縄に4つも作られようとしていること、そこへ持ち込まれるのは本土からのゴミもあるという事を聞き、びっくりしました。佐喜眞さんは「私達がしっかり見ていないといけない。少しでも目を離したらこういう問題も次々とこの沖縄におしつけられる。基地とおなじように」という話が印象的でした。基地と同時にいろんなことを見る視野が必要なんだと思いました。

 7/13(土) 台風の前の静けさなのか、浜辺は無風のカンカン照り。海の家を日陰に移して朝市に出かけました。すみおばぁはアダンの葉でカゴを作る・・・と前の日誌に書きましたが竹で作るのまちがいでした。以前海人がたくさんいた頃は竹でカゴをつくって渡していたそうです。今は失われつつある竹籠の使い方など教えてもらいました。
 命を守る会では映画「ホテルハイビスカス」のことで持ち切り!みんなでジュゴンの格好をして、撮影現場に行こうか!と話しました。
 本当なら辺野古の現実を背景にしてとってほしい。せっかく辺野古で撮っているのだから!
明日はトミさんに金曜集会の話をしに行こうと思います。
うららちゃん日誌
7/11(木) やすひろさんの事務所開きで宮城清子さんと話す事が出来た。清子さんは「若い人達は戦争というものがどんなものか知らないよ。戦争があるときは若い人がみんな動員されるんだよ。あなたたち、若い人達もこれからも一緒にがんばりましょうね!!」と言い、握手をしました。私もこれからがんばるぞ!やすひろさんが市議に戻って、そして市長になって、沖縄から基地なんか一つ残らず撤去できるように!
さぎりちゃん日誌
7/11(木) やすひろさんの次女のモモちゃんはとてもかわいかった。私の顔をじーっと見てこわがらないので人見知りしないのかな、と思って奥さんに聞いたら「これでも人見知りするんですよ」と言った。その言葉通り奥さんが少し離れると泣きはじめてしまった。基地がない環境でモモちゃんやほかの子供達もすくすく育ってほしいと思った。やすひろさんはそのために闘っている。夜遅て少し疲れたけど、やすひろさんを応援できる、それを手伝えるのは楽しい事だ。
「じゅごんの家」お勧め図書  
      
やんばるに暮らす 浦島悦子
   ふきのとう書房 1600円+税

戦中・戦後を生き抜いた沖縄のオバァ・オジィの生活史
地域にあるかけがえのない宝物=自然や暮らしが基地開
発によって 今、壊されようとしている。子や孫の世代に引
き継ぐべきものは何か―――時代を懸命に生き、たたかう
人々を描く渾身のルポルタージュ。
沖縄ソウル 石川真生  
太田出版 2,000円+税

痛いほど率直で、笑ってしまうほど過激で、
だからこそ愛しい―――。
恋をエネルギーに、
2度のガン手術も人工肛門も乗り越え、
「沖縄の魂(ソウル)」のおもむくまま、
カメラという楽器で自由と生命の賛歌を唄う。

原告参加呼び掛け/普天間騒音訴訟住民へ初の説明会<2002年7月13日 朝刊 27面>

 米軍普天間飛行場のヘリコプターや航空機の騒音被害を訴え、周辺の住民らが宜野湾市街地上空の訓練中止や損害賠償などを求める民事訴訟の準備を進めている件で、一般から原告団への参加を呼び掛ける初めての住民説明会が12日夜、普天間三区、新城、喜友名の三区域を対象に新城公民館で開かれた。

 参加を呼び掛けているのは、原告と趣旨に賛同する支援者らで2日に発足した「普天間米軍基地から騒音をなくす訴訟団」(島田善次団長)。

 説明会には島田団長ら役員が出席し「(訴訟は)普通の生活を取り戻そうという取り組み。思想や信条にかかわらず、趣旨に賛同する人たちですそ野を広げたい」と呼び掛け。手続きや裁判にかかる費用の説明などがあった。

 参加した住民からは「石を投げれば当たりそうな所を(ヘリが)飛んでいる」「(騒音で)電話を中断せざるを得ない時がある」「特に戦闘機の音がうるさい」などと声が上がった。

 原告団は、国が「防音工事設置区域」に指定しているうるささ指数(WECPNL値)75以上の地域住民で組織する。今後も順次、各地域で説明会を開き、9月末をめどに100〜200人規模の原告団結成を目指す。提訴の目標は10月初め。

心病んでも「ありのままの生活を」
追悼文集完成山里八重子さんの遺志継ぐ
<2002年7月12日 朝刊 27面>

 障害者が地域で自立できる環境をつくろうと奔走し「ソーシャルワークの母」と呼ばれた山里八重子さん=当時(76)=が亡くなってから13日で一年になる。その遺志を継ごうと、県精神障害者福祉会連合会の高橋年男事務局長が中心となって、追悼文集「なんくるないさ」を編集、12日完成する。亡くなる直前に山里さんがかかわり発足した県精神保健・医療・福祉連絡協議会(会長・小椋力琉大教授)も、悲しみを乗り越えながら、精力的に活動してきた。一周忌の節目に関係者は「地域の中で、ありのままに障害者が生活できる社会を」と思いを新たにしている。

 山里さんの死は関係者をやり場のない悲しみに突き落とした。その約二週間後には佐敷町で精神障害者による連続殺傷事件が起こり、家族会は二重の衝撃を受けた。

 だが、悲しみの中でも関係者は、山里さんの足跡を残そうと、追悼文集の作成に取り掛かった。

 沖福連の高橋事務局長は文集をまとめながら「精神障害者は、私たちとどう違うのかとの山里さんの問い掛けを思い出した」と話す。「考えれば考えるほど線引きできない」という高橋さん。「誰もが地域でありのままに生きられることが大切」と語る。

 県精神保健・医療・福祉連絡協議会は、二つの事件を受け、精神保健、医療、福祉の充実強化が不可欠と、地域に密着した相談窓口の増設などを提言。当事者、家族を支える環境整備に力を注いだ。小椋会長は「彼女の死を無駄にしないと、みんな力を合わせた」と振り返る。9月からはカウンセラーの養成講座も予定している。

 悲劇から一年。生涯を精神障害者の社会復帰へささげた山里さんの情熱は周りの人たちに着実に引き継がれている。


7月12日(金)

第49回 金曜集会 
犬くんたちも参加。犬が来たのであわてて棒をもつ警備の人。
命を守る会に平和学習に来た小学生’(晋君はジュゴンノ話をしました)から届いた感想文を紹介する晋君。 祐治さんのマンゴー園に手伝いに行って、マンゴーを手にしたときの感動を話すうららちゃん。 医療観察法案を与党が断念しました。私も国会前に座り込んだり、「街」の前でアピールしたりしたので、嬉しいです。でも、秋の臨時国会ではまた出してくるので、通させないようがんばります。
7月20日のキャンプキンザー包囲行動への参加を呼びかけ。 10区の会は秋まで充電すること、
やすひろさんの事務所開きのこと、新しく出した本のことを話す浦島さん。
朝おきて、「月桃」と「さとうきび畑」と「ユージ君」をきいているが、ユージ君は元気があって大変いい!!と、宜保さん。
爆音訴訟のことを話す善次さんと知花さん(初参加) 「喜瀬武原(きせんばる)」を歌うてる子さん。
基地全面撤去しかありません。見学に
来た本土に説明をしていたら「沖縄の
経済に基地が必要だから縮小といって
いるんだろう」と言われ、整理縮小といっ
ていてはだめと痛感しました。
台風の影響で風が強く、飛んだ横断幕を
とりつけるハルさんを手伝うさぎりちゃん。
パレットくもじに真生さんの写真展を見にいきました。
愛孫のサナちゃんと真生さん。

7月11日(木)そのA

武龍くん やすひろさんのお兄さんの音頭でカンパーイ!!


やすひろファミリーの挨拶
琢磨&武清 手作りの中身汁はだしがよくでていておいしかったです!!
受付けをがんばったうららちゃんとさぎりちゃん 左から、やすひろさんの長男のてつお
くん、晋君、吉田さん、ありちゃん
やすひろさんの次女のモモちゃん。
すくすく育って大きな赤ちゃん。
ひめゆり学徒で生き残った宮城さん
「小泉首相に有事法制を通すなら沖縄
にはこないでください、と言って来まし
た。二度と戦争はさせてはいけません」
議会の一般質問でのやすひろさんと市長
のやりとりはへたなテレビ番組よりおもし
ろいです。やすひろさんを議会に戻しましょ
う!!
お母さんの挨拶
じゅごんの家は「なぜ沖縄に」と「ゆーじくん」を少々緊張しながら熱唱!! 金城繁師匠の三線で・・・
最後はみんなでカーチャーシー

7月11日(木)

 じゅごんの家の来訪者!ドラゴンフルーツを食べながらハイ、チーズ!
左から、さぎりちゃん、ようこちゃん、夏芽さん、林さんのお姉さん、林さん、
おなじみ大西さん、大西さんの息子さんの琴丸くん。
林さんはジュゴンストラップ、大西さんはしんやさんのCD、ヨッシーとジュゴンの家のCDをお買い上げ!!


ジュゴンの家の隣に大城義人(よしたみ)さんが選挙事務所をかまえます!!今日、契約したて!

おとなりに行って記念撮影をしました。

義人さん、ありちゃん、さぎりちゃん
ジュゴンの海の家 命を守る会
沖縄マンダラ写真展シンポ<下>「見る側が試される」東松作品に共感、挑発

  パネルディスカッション

 東松照明写真展『沖縄マンダラ』記念シンポジウム『写真の記憶 写真の創造−東松照明と沖縄』のパネルディスカッションは2部構成で行なわれた。第1部はパネリストに写真家の島尾伸三、石川真生、石内都、比嘉豊光の各氏。コーディネーターは雑誌『EDGE』編集長の仲里効氏。2部はパネリストに東松、荒木経惟、森山大道、中平卓馬の各氏、コーディネーターに港千尋氏と、日本写真界を代表する写真家が顔をそろえた。

 奄美大島で育った島尾氏は、東松作品について「東松さんと似たような精神を形成するチャンスを得た人には、多くの啓示を持っていると思う。私自身は奄美大島がこれから遭遇するであろう不幸をたくさん発見するのみで、ヒントはない」と、見る側の個々の経験や原風景によって、作品の受け取り方が左右されることの必然性を説いた。

 また、外部の人間が地域に入り込む事で生じる『文化衝突』についても触れ、「よそ者がその土地の空気や人の情けを取り込むのは非常に難しい。東松作品からは拒絶を克服しようとした形跡が読み取れる」とした。

 石川氏は1973年に開かれたワークショップの東松教室に参加したいわば”教え子”。しかし「途中で沖縄に帰ったし、写真は自分でやらないといけないものだから、東松さんの影響は受けていない」とし、今回の写真展についても「東松さんの添え物になる気はさらさらない。私がナンバーワンと思っているし、大和の人が撮った沖縄より、沖縄人が撮った沖縄がナンバーワンだと思っている。私は沖縄人としてのプライドがある。『メイドイン沖縄を見て』とやりたい」と本土からの写真家を”迎え撃つ”姿勢を示した。

 『傷シリーズ』を撮る石内氏は、今回の『烈像』展で、初めて戦争(沖縄戦)による傷の作品を出品した。「沖縄での展覧会に出すとしたら、私はそれしか撮りようがないだろうと・・・。傷シリーズを撮る中で、今回の作品で沖縄と関係を持ったのではないかと思う」と話した。

 『沖縄マンダラ』を痛烈に批判したのは比嘉氏。「『沖縄マンダラ』と『沖縄の人たちが撮った沖縄』を連動させ楽しみながらやろうと企画したが、『沖縄マンダラ』は、パーフェクトな光と影の色図の構成ができていて『においがない沖縄』になっている。『長崎マンダラ』はよかったが『沖縄マンダラ』はだめ」と挑発した。

 これらを受け仲里氏は「これまで東松さんはきっちりとテーマを持って被写体に向かっていたが、今回はそういう時間軸や空間軸を解体し『沖縄マンダラ』として提示した。その意味を2002年の沖縄で考えるのか。『沖縄マンダラ』という迷宮の中からわれわれは何を見つけ出すのかということを、見るほうが試されているのではないか」と総括した。

 第2部で東松氏は、第1部での比嘉氏の批判に対し「沖縄に来て私のできることは、写真仲間を挑発する事。その挑発に豊光は乗った。彼は伸びると直感的に判断した」と切り返した。

 『烈像』展については「こんなに疲れる展覧会はない。疲れさせるほどのパワーを感じた」と評した。

 荒木氏は「何度も沖縄に来ているが、『沖縄を』ではなく『沖縄で』撮ってきた。沖縄をどうとらえるか、私の場合は熱というか、人間として生きていく熱情とかそういうものを感じたいし、撮りたい」と話した。

 森山氏は、74年にワークショップと展覧会で来県して以来の沖縄。「以前の沖縄は僕の写真の中にあって記憶の中にはない。東松さんの写真を見て沖縄を知ることが結構ある。写真とはそういうコードを持っている」とした。

 シンポジウムタイトル『写真の記憶 写真の創造』に中平氏は最後までこだわり、「これで沖縄をどれくらい把握できるか。記憶とはメモリー、創造はクリエーションのこと。写真はドキュメントだとぼくは思っている」と問題提起した。

 港氏は「東松さんは『時間の影を殺す』としたが、大切なのは殺した時間を生き返らせること。『烈像』展も含め、参加した写真家はみんなそれぞれの理由で沖縄を撮り、沖縄に撮らされた。作品は生命を持ち、成長するが、一人では生きられない。多くの人の目を通して時間がもう一度生き返ると思う」とシンポジウムを締めくくった。

7月10日(水)

  名護市役所前ライブ!

←ライブ前に練習するさぎりちゃん

名護市役所前で「ユージ君」、「なぜ沖縄に」
を歌いました →

←祐治さんからもらったかぼちゃとナーベラー

今日の夕食はナーベラーチャンプルーとかぼちゃのサラダ、アーサー汁→
晋くん日誌
7/9(火) 朝、祐治さんから「今日、かぼちゃ、ナーベラー、ゴーヤがあるけどいるか?」と電話がかかってきた。「はい!」と返事をした。とてもうれしかった。
 瀬嵩の浜ではオッパ牛乳の息子さんでサーファーのこうきさんが久しぶりにきた。これからまたちょくちょくきてくれるそうです。
 命を守る会には本土での講演から帰ってきた悦美さんが来ていた。「こういう場所(命を守る会)に来ないキリスト者は形式にとらわれている。私や修は形式的なことを求められてもやらない。キリストの本質として場に関わるのです」と話してくれた。
 明日は命を守る会に平和学習にきた小学生たちに手紙の返事を書く。
うららちゃん日誌
7/9(火) さぎりちゃんと一緒に食器の棚をふいて並べ替えました。誰かと何かをするときに意思の疎通をはかるというのは、スムーズに作業をするためにも大切だと思いました。まだ動きはかみ合っていない所もあるけど、協力してきれいにできました。
 うっとおしかったのでようこさんに髪をきってもらってすっきり!元気がでました!(うららちゃん前髪を短く切って顔をだすと、表情も明るくなりました!・・・ありちゃんの感想)
さぎりちゃん日誌
7/9(火) 夜ハウスに戻ってうららちゃんと一緒にゴーヤジュースを作った。ゴーヤをすりおろしながら話をした。話をしながら何かをするのは楽しいということに気付いた。ゴーヤジュースを作るのは簡単だけど、シロップやレモン汁などでの調整がむずかしい。うららちゃんと一緒につくったジュースはおいしかった。暑い夏はゴーヤパワーで乗りきろう!

7/10(水) 今日は待望の名護市役所前ライブをやった。私はユージ君をうたった。歌を歌うのは楽しかった。聞いている人もいた

沖縄相「軽率」と批判/普天間代替辺野古移設
麻生政調会長が否定的見解
 <2002年7月10日 朝刊 2面>

 尾身幸次沖縄・北方担当相は9日午前の記者会見で、自民党の麻生太郎政調会長が沖縄県の地元紙のインタビューで米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移転に否定的見解を示したことについて「与党第一党の政調会長が状況をよく理解しないまま発言するのは、やや軽率のそしりを免れない」と批判した。

 尾身沖縄相は「至急状況を説明してご理解をいただきたい。代替施設協議会で詳細を関係者が相談している。この路線に沿った形で進めていく」と述べた。

 麻生氏は六日付の地元紙インタビューで、普天間飛行場の代替施設について「十五年に限定なんかして一兆円も使う話なんか、ほかの国民から言わせたら『冗談言うな』となる」と発言した。

 一方、尾身氏は財務省が沖縄新大学院大学構想を巨額経費がかかるとけん制していることについて「(財務省が)財政の節度をきちっとすることは大事。その点の調整、相談は十分していく」と述べ、財務省の理解を求める考えを示した。

 麻生氏は同日、尾身沖縄相と会談、普天間飛行場の移転について「(代替施設の使用期限が)15年で(建設費)一兆円も使えるのか」と指摘、米国が期限設定を拒否していることを念頭に「今秋の知事選で(期限条件付きの容認という)ごまかしがまた通用するのか」と否定的な見解を表明した。

外務省、「協定上問題なし」/ベースタクシー「入域料」
なぜ沖縄だけ徴収/米軍の裁量で契約
<2002年7月10日 朝刊 27面>

 米軍関連機関が基地内に出入りする「ベースタクシー」から「入域料」を徴収している法的根拠について、外務省日米地位協定室は九日、「米軍による施設・区域の管理権の行使として認められているものと考えられ協定上問題はない」とする回答を県基地対策室に伝えた。在日米軍基地でこうした「入域料」の徴収は沖縄のみで、金額も基地によって異なっている。駿河台大学の本間浩教授は「違反でなければ何をやってもいいというものではなく明らかに不適切だ。民間地域では徴収していない入域料の合理性や使途を説明する責任が米軍と外務省の双方にある」と指摘している。

 外務省は、地位協定の第三条の管理権のほか、入域料を徴収できる根拠として「一五条にもとづく諸機関は米軍関係者の福利厚生を図る独立採算での運用が前提で、契約者から料金の徴収などの形で運営されることは当然認められている」とし、問題はないと回答。

 地位協定そのものには明文化された規定はなく県の照会から、二週間後の回答。本紙の取材に9日現在、入域料徴収の根拠や使途について米軍側の回答はない。同問題は県議会六月定例会でも取り上げられている。

 県基地対策室によると、「入域料」を支払い米軍基地に出入りしている「ベースタクシー」は、法人294台、個人94台の計388台。法人が月額2,800円、個人は同3,000円を米側に支払っている。一方、中部のタクシー会社は、別途に月額7,000円で独自に米側と契約を結び、嘉手納基地内を自由に運行できる権利を得るケースもあり、「入域料」が米側の一方的な裁量に任されている状況がうかがえる。

 また、全国タクシー協会などによると、在日米軍基地でこうした「入域料」を徴収しているのは沖縄のみで、在日米軍基地の75%を抱える沖縄が差別的な処遇を押し付けられているといえる。

 タクシー関係者によると、「入域料」の徴収は1990年ごろから始まったとされる。それ以前は、米軍側が発行する身分証明書(パス)を所持していれば、自由に基地内に出入りできた、という。

 「入域料」を徴収することに至った経緯について、タクシー協会の当時の関係者は「米側から(入域料徴収の)打診があり、最初は7千〜8千円が提示された。その後の交渉によって現在の額近くに落ち着いた。徴収の根拠については詳しい説明はなかった」としている。

 「入域料」を支払って約10台を契約しているタクシー会社の代表は「不景気が続き、売り上げが激減している折、年間約36万円の出費はきつい。ただ、基地外の利用客もほとんどいない中で、長距離が期待できる米軍関係者を乗車するためには仕方ない面もある」と業界の苦しい実情を説明した。

米軍犯罪また増加/防止策も効果薄く
著しい家族の検挙数/外務省沖縄事務所報告
 <2002年7月10日 朝刊 2面>

 在沖米軍の軍人や家族の犯罪検挙数が増加傾向にあり、米兵による暴行事件のあった1995年当時を上回っている。特に昨年一年は、家族が占める割合が高いのが特徴で、国や県、米軍が取り組む再発防止策が効果を挙げていない実態が浮き彫りになっている。

 外務省沖縄事務所の橋本宏大使が九日の定例記者会見で明らかにした。橋本大使は県警がまとめた資料をもとに、米軍関係者による検挙人員が米兵による暴行事件直後の96年こそ減ったものの97年以後、また増加傾向にあることを説明した。昨年は72件と95年当時を上回った。米兵の家族による検挙人員が、31件を占め増加傾向が著しい。また、検挙件数も95年と同数の70件となった。

 県内では政府や県、米軍などで組織する三者連絡協議会やワーキングチームで未然防止策確立の協議が重ねられているが、結果として実効性が上がっていない。

 橋本大使は「このまま放置してはいけない。とにかく凶悪犯罪はゼロにし、事件・事故の発生を最小限にする必要がある」と対策を強化する考えを示した。

 また、橋本大使は、機密文書を伝達する「急使」と呼ばれる米軍要員が、飲酒中の窃盗容疑で逮捕後、身分上の特権から即日釈放された問題で、在沖米軍基地所属ではなかったことを挙げ「任務従事に必要な時間は公務中と見なされる」として特に問題はないとの認識を示した。


7月9日(火)

うららちゃん「うっとおしいので髪をきってください」。(撮影はさぎりちゃん) BEFORE ようこちゃん「シュートカットにしよう!
でもやったことないなぁ・・・」。
浦島さん来店「あらー、床屋もやってるの?」。ゆきさんも来店。 浦島さん「私は髪が長いからこうやって手で持って先を切るのよ」。 浦島さんからゴーヤをいただきました。
できあがり!すっきりしました! 今日の夕食チキナーチャンプルー、ゴーヤチャンプルー、ジーマミ豆腐、アーサー汁。
繁師匠の甥っ子の子どもとユキさん(瀬嵩にて) 命を守る会に悦美さんがきました。

7月8日(月)

 金城祐治さんのマンゴー園のお手伝い
手伝いするぞー!! ビニールハウスの上にのぼり、壊れた個所のビニールを直す。ジュゴンノ家は晋君があがりました。
祐治さんか飼っている犬のポーキー 祐治さんの奥さんが、お昼にマンゴーを剥いてくれた マンゴー園の近くの海
ドーベルマンの「てつ」と散歩する晋くん さぎりちゃん、記念撮影 うららちゃん
夕方、収穫 こんなにたくさん!! 真っ赤なマンゴー
晋くん日誌

 命を守る会の金城祐治さんのマンゴー園を手伝いに行って来ました.。前回の台風でビニールハウスがとれてしまい、それを直しに行って来ました。サンサンと照りつける太陽の中、ハウスのてっぺんでの作業、必死だったけど楽しかったー。昼休みにはマンゴーをいただきました。うますぎる!!

 夕方からマンゴー園の中に入り(夕方からしか暑くて作業が出来ない)マンゴーの収穫。袋をかけたマンゴーが、熟すと木から落ちて、拾うのです。福袋を開ける感覚でワクワクしながら袋を開けると、ウァー!真っ赤なマンゴーが!!もう、楽しくって、おいしくって、みんなではじけました。うららちゃん、さぎりちゃんは、手に赤い手袋をつけたみたいに日に焼けました。

 帰りには祐治さんが「持ってけ」と、お土産にマンゴーを持たせてくれました。色々と勉強させてもらった上に、本当にありがとうございました。また手伝わせてください!

7月7日(日)

晋君、うららちゃん、さぎりちゃんは瀬嵩のじゅごんの海の家へ。ありちゃん、ようこちゃんがお店番。朝市でおばぁたちと踊る晋君、さぎりちゃん。
朝市で買ったゴーヤ1本100円!
マリさん、元気ですよ!
さぎりちゃんが持っているニガナは
150円。
武清さんのお父さんからもらったドラゴンフルーツ
くちべにの木。中の粒をつぶすと赤い色がつく。 うららちゃんのお母さんからそうめんが届きました! しんやさんがヤンバルに来た帰りにゴーヤとモーイをもってきてくれました。
吉田さんからはガーリックトーストの差し入れ!
さぎりちゃん日誌
 今日はジュゴンの海の家へ行った。朝市のおばあ達に初めて会った。色々な野菜や天ぷらなどが、びっくりするほど安く売っていた。朝食を朝市で買って食べた。贅沢だなぁと思う。おなかの空いてる時においしいものが食べられる。野菜や果物はおばあが自分の畑で作った手作り。農薬は使っていない。だからおいしいんだなぁと思った。

 昔は、海が鏡のように顔が写るほど今よりきれいだったこと、もずくの調理の仕方などを教えてくれた。何でも教えてくれてやさしいなと思ったけど、強さも感じられた。こういうおばあ達が沖縄にはいるんだなと思った。私がおばあ達くらいの年になったら、こういう風になりたいと思った。
うららちゃん日誌

 渡具知武清さんのお父さんが朝市に来て、ドラゴンフルーツを育てている農園がすぐ近くだと言うので、連れていってもらった。ドラゴンフルーツの木(?)は、アロエのような姿をしていた。真っ赤になったものや、まだ青くて小さいもの、ドラゴンフルーツがいっぱいなっていた。「月下美人」のように、一晩だけ花を咲かせて、すぐに花はしおれてしまい、その後に実がなるんだそうです。花の咲き方や実の形、個性的なドラゴンフルーツがいっぱいで、とても楽しかったです。おみやげにと、武清さんのお父さんに真っ赤なドラゴンフルーツを4つもいただきました。どうもありがとうございます!!マンゴー園も見せてもらいました。台風が来たけど、あまり実は落ちずにすんで、マンゴーの木にはたくさん実がなっていた。よかった。でも、台風が来るたびにハラハラしてしますね、と話した。
晋くん日誌
 7/6(土) 命を守る会の祐治さんのマンゴーは無事だったそうです。よかったー!今日の当番はきぬえさん。「足とか手とかいたくなってねー」と、病院通いが続いている事を話してくれました。辺野古がある東海岸には病院がありません(キャンプシュワブにはあるのに)。だから西海岸にある病院までこないといけません。バスも少ないし大変です。名護市街にくるときはジュゴンの家によってくれると言っていました。

 7/7(日) はつねおばぁは琉球相撲の元コザチャンピオンなんだそうです。すみおばぁはアダンの葉でカゴを作れる数少ない名人なんだそうです。ぜひならいたいなぁ。
 命を守る会ではこの前来た小学生から平和学習の報告集が送られてきて読みました。みんなで読んで面白くて元気が出ました。明日は祐治さんのマンゴー園のビニールはりを手伝いに行くぞー!!

7月6日(土)

ヤクルトレディの前田さんがレモリア(レモンとハーブの飲料水)を差し入れてくれました。 夕食は、うららちゃんの肉じゃが、味噌汁、ごはん、さぎりちゃんの豆腐の中華風サラダです!
台所で奮闘中のさぎりちゃん 瀬嵩の朝市 台風の後で浜にはゴミがいっぱい
海で遊ぶ琢偉くんとりのちゃん 辺野古「命を守る会」で来訪者に説明する吉田さん
昨日名護で西山監督のノーマライゼーションをテーマにとったドキュメンタリー「しがらきから吹く風」の上映会があったのでみんなで行きました。
さぎりちゃん日誌
 金曜集会に初めて参加した。自己紹介して歌までうたった。みんな拍手であたたかく迎えてくれた。夕方から見た映画は見て良かった、知的障害を持つ人達が施設で一緒に暮らすより、もっといろんな人と暮らしていくほうがいいな、と思った。
晋くん日誌

金曜集会の感想

 まよなかしんやさんが「バラと地球」という歌を歌いました。「バラのトゲを米軍基地へ 基地をバラで包み 地球にやさしさを」怒りを込めた力強い歌。しんやさんの歌を聞いて、いつも元気づけられます!!

 集会の後、善次さんに誘われて、爆音訴訟団の事務所に行きました。善次さんは「25年間思いつづけ、実現しようとし、時が満ちて今やっと形となって訴訟を起こすことができた」とその思いを話してくれました。物事には時があり、それまであきらめないで続ける辛抱強さも大切なんだ・・・と思いました。

 その後、善次さんが海の話をしてくれました。食べられるなまこやウニの区別の仕方、「そんな事も知らないのかー」と言いながら教えてくれました。明日から少しずつ海を理解する努力をしよう。最近瀬嵩の海にウニの死がいが多いのでそのことを調べてみよう!

社説 ■「普天間爆音訴訟」 国の怠慢さが問われる 沖縄タイムス(7月4日)

 米軍普天間飛行場の周辺住民が、市街地上空での訓練や夜間飛行の差し止めを求める初の「爆音訴訟」を10月に起こす。基地の騒音に苦しんできた住民が、静かな生活を取り戻そうと立ち上がるのである。ましてや普天間飛行場は、周りを市街地が取り囲んで小中学校や大学も隣接している。日常的に繰り返されるヘリコプターや輸送機の騒音被害にとどまらない。市街地上空での軍事訓練によって、市民は事故の不安におびえる生活を常に強いられてきた。

 1996年に「普天間返還」が日米特別行動委員会(SACO)で合意されたのは、日米両政府が基地の危険性を認識していたからだ。しかし、6年を経た今でも「普天間」のはっきりした移設時期や道筋は見えていない。そのことへの市民のいら立ちも背景にあるのではないか。

 2日の訴訟団結成大会では、復帰から30年が経過しても何ら変わらない基地の「異常な状況」に、1人でも多くの人が声を上げようとの決意が語られた。訴訟団は今後住民説明会を持ち、200人の原告団を目標に支援者も含め運動の輪を広げる。

 2000年3月に、5500余人というかつてない規模の原告団による「新嘉手納基地爆音訴訟」が起こされ、いまも公判が続いている。それに先立ち、提訴から16年の長期にわたった嘉手納基地爆音訴訟が、98年5月の控訴審で確定した。判決は、騒音の違法性を認めて被害救済の範囲を広げたものの、住民が最も強く訴えた夜間飛行の差し止めは、国に第3者(米軍)の活動を規制する権限はないと退けている。

 その後の基地騒音をめぐる小松、新横田基地訴訟の判決でも、被害への損害賠償は認められたが、住民の望んだ早朝・夜間の飛行禁止は受け入れられなかった。米政府を相手取って起こした訴訟も「日本の民事裁判権が及ばない」と最高裁で棄却されている。とはいえ過去の損害賠償が認められたのは、言い換えれば、騒音の限度を超えた状況に何ら有効な手だてを講じてこなかった国の怠慢を意味する。

 一連の判決は、基地騒音訴訟の司法判断に一つの流れができつつある。いったいこのような裁判をいつまで続けなければならないのか。

 普天間飛行場周辺の住民が司法に訴えるのは、騒音対策にとどまらぬ、基地政策の大胆な転換を国に突きつけていると受け止めたい。


7月学集会のお知らせ
沖縄「日本復帰」30年を考える  沖縄平和ネットワーク学習部会

 7月の学習会を下記の通り開催します。高文研と沖縄平和ネットワーク共催の「沖縄<戦跡・基地>ツアー」の中で企画した講演・公演会に、みんなで参加しちゃおう!というものです。沖縄県からのツアー参加者と、平和ネットの会員がこの夜、一緒に学び、そのまま交流会へなだれ込む!きっと、楽しい時間になるはず・・・。会場は立ち見も含めて100人は入れます。ぜひ、お友達やご家族を誘ってご参加ください。ただし、周辺に駐車場がほとんどありませんので、ご注意下さい。この内容でこの参加費!オイシイ学習会です。参加しなきゃ、絶対ソンするよ。

日時 2002年7月26日(金)
19時開場 19時30分スタート
21時30分 終了(予定)
場所 エルパピリオン
那覇市前島3−16−2 前島アートギャラリー4階
電話 098−861−0407
第1部 「復帰30年、何が変わり何が変わらなかったのか」新崎もりてる(沖縄大学学長)
第2部 「歌でつづる30年、沖縄のあゆみ」 海勢頭豊(シンガーソングライター)
参加費 1000円
問合せ 沖縄平和ネットワーク(瑞慶覧) 電話098−886−1215

※学習会後の交流会は3000円程度の予算を考えています
※会場周辺には駐車場が少ないので、ご注意下さい

<次回予告>
「与座岳から見る沖縄戦」 講師:平良宗潤

日時 2002年8月18日(日) 14時〜16時
座学とフィールドの2時間
場所 与座コミュニティーセンター

東松照明写真展が開幕/浦添市美術館

 写真家・東松照明氏の写真展「沖縄マンダラ」(主催・県、共催・浦添市、琉球烈像展実行委員会など)が6日から28日までの日程で、浦添市美術館で開催される。入場無料。5日午後、開会式と内覧会が行われ、東松氏が県、浦添市、報道関係者らに写真を直接説明した。

 展示された作品は東松氏が1969年から2001年まで沖縄で撮影した白黒とカラーの300点。沖縄の風景や人々を独特なまなざしで写し取り、降り注ぐ光や漂う影を見事なまでにとらえた作品が並んだ。

 展示作品を含めた450点が今回、県に寄贈された。

 東松氏は19160年代後半から沖縄の撮影を始め、72年から約2年間、沖縄で暮らして写真を撮り、その後も定期的に沖縄本島だけでなく宮古、八重山など島々を訪ねている。

 「那覇1977」と題する写真では周囲の植物に覆われた亀甲墓を収め「宮古島1978」では背丈と同じ長さの黒髪を前に垂らして立つ初老の女性を写している。「波照間島1971」ではゆったりとうねる海と海面のすぐ上に浮かぶ雲をとらえ「嘉手納1969」ではごみが散乱した荒れ地を米軍のB52戦略爆撃機が飛んで来る様子を撮った。

 東松氏は「日本でありながら日本ではない沖縄と出合い、日本人を意識させられた。沖縄には県立美術館がない。生活の中に文化がない民は厚みがなくなる。私が写真を寄贈することで、県立美術館をつくるきっかけになってほしい」と話していた。

 6日午後6時、浦添市ハーモニーセンターで東松氏ら十人の写真家が参加する「写真の記憶 写真の創造―東松照明と沖縄」と題するシンポジウムも開催される。

写真説明:6日に開幕する写真展「沖縄マンダラ」の会場で作品を説明する東松照明氏(右)=5日午後、浦添市美術館



2002年の頁 7.1

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