ジュゴンの家・日誌

1月@

5月16日(水) 5.15平和行進 総決起集会
今日は、晋君、ありちゃん組は、名護の平和行進総決起集会へ、ようこさん、ヨッシー、ゆっくん組は、那覇へと向かいました。
5.15平和行進 総決起集会

 きのうは、辺戸岬で、かがり火集会がありました。そして、今日は平和行進の総決起集会。明日から19日まで、名護市役所から県庁まで、3日間かけて行進します。北は北海道から、全国各地から労働組合などが来ていました。

 全国の労働組合の代表が決意表明し、その後地元から、ヘリ基地反対協の大西さん、そして、元読谷村長の山内徳信さんが最後に、本土からやってきた「兄弟」に向かって話しをしました。

 「かつて、かがり火集会とは、辺戸岬と与論島の人が27℃線を越えて交流をした。私たちが復帰したかったのは、日本国憲法のもとに復帰したかったのだ。この憲法の一番すごい所は、この憲法が法律によって守られるのではなく、「不断の努力」によって創っていくものであること。主権在民、戦争放棄。日本国政府は私たちの父親。国会は私たちの母親。最近ニュースで母親が子どもを摂関して殺してしまうというニュースがある。このニュースを見ながら私は、日本政府は私たちに同じことをしていると思う。だから、私は本土からやってきた兄弟に語りかけているのだ。日本には47の兄弟がいる。有明海にしてもそう。北海道の開発にしてもそう。27年間私たちの親はアメリカに子どもを売り渡した。復帰した時、日本政府は「いままで迷惑をかけてすまなかった。基地の整理縮小のため全力を尽くす」と言っていいはず。しかし、私たちから基地をなくすよう訴えても、日本政府は横を向いている。普天間基地を移設すると言って、同じ沖縄県内の名護市に移すという。那覇の軍港を、すぐ近くの浦添に移すという。こんな事が、民間や一般人の間の常識で通用すると思うだろうか。返すと言うのは、持ち主であるアメリカのもとに返すという事ではないか。日本政府には人類普遍の常識さえ通用しない。 だから私は、常識の通じない権力には「おかしいんじゃないですか」と、真正面から物を言う。その代わり、村民にはやさしく接してきたと自分では思っている。私は全国各地から若い人たちがこんなに集まってくれて、とってもうれしい。沖縄は銃剣とブルドーザーでアメリカから土地を強制的に奪われた。そして、私たちの世代や先輩たちは、そのブルドーザーの前にまさに立ちふさがって、土地を守ろうとした。5年で変わらないなら10年、10年で変わらないなら20年、そして、世代を超えて、戦争を知らない世代の若者が、私たちの思いを受け継いでくれたのが、まさにこの集り、今のこの場だと思います。」と、山内徳信さんは熱く語り、集会を締めくくった。
明日、17日の8:30に名護市役所を出発し、19日に
県庁に到着。19日のPM4:00から県庁前で集会を
する。
会場には、ほぼ、47都道府県、全国各地から
労働組合の人たちがやってきた。
ありちゃん。 最後は「沖縄を返せ」をみんなで唄った。

5月15日(火) 5.15行動

10:00 カデナ基地第5ゲート前

昨日、太田さんに聞いて、カデナ基地に第5ゲートに
みんなでやってきました。
「命どぅ宝ネットワーク」のみんなに会いました。
関さんにも会いました。
周りがみんな、シュプレヒコールをあげているので、
ジュゴンの家のみんなも周りにあわせて
シュプレヒコールをあげました。
でも、太田さんたちとは別の集りで、
彼らはデモに向かいました。
太田さんたちは、個人の集りで、
それぞれ三線を弾いたり、唄ったり踊ったりしました。
ヨッシーも「なぜ沖縄に」を歌いました。 ゲートの向こうには、機動隊も待機していた。
そのあと、デモとは別に、個人個人で、
歩道をそれぞれの思いで歩いて訴えた。

12:00 浦添市西洲(いりしま)

キャンプキンザー包囲デモに参加するため、浦添に移動。
デモ前に、浦添のきれいな海を見ながら、「この海を埋め立てて、日本政府は軍港を作ろうとしている」という説明の
フィールドワークに参加しました。

まるで「MABUI」のひとこまのような場面
左から、晋君、ゆっくん、ヨッシー、ようこさん
でも、蒼い海の向こうには、米軍基地
キャンプキンザーがある
きれいなペイントアートが、一面書いてあった。 まよなかしんやさんが、実際に海を目の前に、
この海を埋め立てて作られようとしている軍港について
地図をもとに説明しました。

「もしここに軍港ができれば、原子力潜水艦も入れる
ような軍港ができてしまう。」
「今まで、物資の輸送をするのに県道を通らなければ
ならなくて、戦争が起きたときには県民の目に見えたのが、
基地と直結するため目立たなくなってしまう。」
いろんな視点から説明
その説明の間にも、上空にはヘリが飛ぶ。
今日1日だけでも、数回米軍の戦闘機が
上空を飛んでいた。
県と市は、海を埋め立てて、道路を作り、
ラッシュを軽減することができると言っている。
しかし、自然を破壊して土地を埋め立てるよりも、
米軍にとられている土地を返してもらう事をするべきだ。

キャンプキンザーには、大きな道路がある。
ラッシュ軽減のためには、埋め立てより、米軍の道路を
解放すべきだ。
キャンプキンザーの解放を訴えて、
ジュゴンの家のみんなも、デモに出発!!
まよなかしんやさんを先頭に、ジュゴンの家もついていく
ヨッシーもギターを持って、しんやさんと一緒に
唄った。
炎天下で、シュプレヒコールをしながら、
キャンプキンザーのフェンス沿いを歩く。
広大な土地を米軍に奪われていることを
体で思い知る。
ゲートごとに止まって、基地に向かってみんなで
シュプレヒコールを上げる。
米軍兵士が睨みをきかせる。
米軍兵士の前に立ちはだかり、歌を歌うしんやさん。 「浦添市民に土地を返せー!!」
ゲート前で、米軍車両が人垣の中を通ろうとする。
通すまいと車の前に立ちはだかるしんやさん。
米軍基地の中には、日の丸の旗が。

18:00 那覇 平和市民連絡会の集会 国際通りデモ

「カマドゥー小の集い」から、4.28普天間ハンカチ包囲
の報告がありました。
しんやさんとヨッシーが唄う。
まよなかしんや作曲、島田まさひろ作詞の新曲
「沖縄はこれでいいのかい」を、最後、会場のみんなで
唄いました。
元気のいい「ジュゴンの家」のみんな
全国各地からきていました。 ゆっくんは、デモにノリノリ。
国際通りを、シュプレヒコールとまよなかしんやさんの歌に乗りながら歩きました。

5月14日(月) ヨッシー、ゆっくん、ありちゃん、ようこさん、沖縄到着!!/5.15浦添市民連続行動 1日目

ヨッシー、ゆっくん、ありちゃん、ようこさん、沖縄到着!!

5月15日は、沖縄にとって屈辱の「復帰」記念日。
4人は、「5.15浦添市民連続行動」に合流するために、沖縄にやってきました。

台風上陸のため、飛行機が大幅に遅れてしまいましたが、
なんとか集会が終わる前に着くことができました。
会場に着くと、「命どぅ宝ネットワーク」の島袋さんと
太田さんがいました。明日、カデナ基地の第5ゲート
前で、みんなで集まると聞いて、みんなで行くことに
しました。
交流会で「ヨッシー&ジュゴンの家」のライブ。
「なぜ沖縄に」「俺は売れないロックンローラー」
「ささやかな願い」「介護保険」を唄いました。
ヨッシーは、アンパンマンが妙によく似合う。
本人も気に入ったようだ。
「これからは、デモの時にはみんな風呂敷のマントをしよう」
「風呂敷ムーブメントを広めて行こう」と
熱く語るヨッシー。

5月14日(月)AM11:30

 ゆっくんと僕は武蔵関駅から電車に乗った。PM12:50羽田空港に到着。PM1:55発の予定だが、台風の影響で出発時間が過ぎても飛べるかどうかわからなかった。PM2:10に着陸できない場合は羽田に引き返すという条件つきで飛び立つことが決まった。機内は揺れが激しかったが、PM5:00に無事那覇空港に着いた。先に着いていたようこさんとありちゃんに、ニュージュゴンカーで迎えに来てもらった。ゆっ君がギターアンプを持ってくるのを忘れたので、仕方なく楽器屋へ買いに行った。

 PM6:30に浦添市社会福祉センターに着いた。既に約50名の人が来ていて、テーブルには料理が並べてあった。顔なじみの人がたくさんいた。豊見山さんの司会で集会が始まった。始めに高校の先生をしている人が基地反対の歌を歌った。次に僕達が歌った。「なぜ沖縄に」「俺は売れないRockn’Roller」「ささやかな願い」「介護保険」をようこさん、ありちゃん、しん君、ゆっ君、僕の5人で歌った。

 次に上里和美さんが1人芝居をした。セーラー服を着た上里さんは、高校生とおばあさんと子供の1人三役をこなした。おばあさんの時は、サングラスをかけて、子供の時は持っている人形を使って喋った。教科書問題、米軍基地のこと、戦争の準備を着々と進めている日本の状況を、ユーモアたっぷりに演じ、会場は大爆笑だった。次に沖縄が生んだ偉大なフォークシンガーまよなかしんやさんがライブをやって盛り上がった。途中でしんやさんが泡瀬干潟を守る運動をしている人を呼んで、アピールをしてもらった。次に宜野湾の島田牧師が普天間基地の名護移設について語った。真喜志好一さんが途中で割り込んで、普天間基地、那覇軍港の移設は1960年代にすでに米軍によって計画されていたことを語った。そして真喜志さんは名護の「わったー市長を選ぼう会」の市長公募に立候補すると宣言した。今日は浦添市長選挙の時にお世話になった人達と会えて嬉しかった。

 集会が終わって、駐車場で、ともちゃんと僕達5人でおにぎりを買ってきて食べて、名護へ帰った。新しいジュゴンハウスはとても広かった。ともちゃんも来て一緒に酒を飲んでわったー市長を選ぼう会の話しをしてくれた。AM1:00過ぎ、ともちゃんが帰って僕達は寝た。おわり


5月17日(木)

ゆっくん、東京に帰る。ヨッシー、ようこさん、5.16行動に参加−−−5月16日(水)
ゆっくんは、16日の朝、東京に帰りました。
最後にアンパンマンをかぶってガッツポーズのゆっくん。

沖縄に出発する前の日に、チャンプルーでカンパを
いただいたみなさん。みなさんのカンパで
私たちは今回、活動することができました。
本当にありがとうございました!!
上地さんにもアンパンマンヘルメットを
かぶってもらいました。
上地さんが「ヨッシーに食べさせたいステーキがある」と、とってもおいしいステーキ屋さんに連れてってくれました。
『改憲阻止!有事立法粉砕!の声をあげよう 5.16行動』

牧志公園での集会で、新曲「沖縄はこれでいいのか」
(作詞:島田正博 作曲:まよなかしや)を歌う
まよなかしんやさん。
ヨッシー、しん君、ありちゃん、名護市役所前で歌う−−−5月17日(木)
「市役所のみなさんこんにちわ。
ヨッシーとジュゴンの家です。」
「名護にヘリポート基地を作らないでください。」
「なぜ沖縄に」「総理へ」「ささやかな願い」を歌う。
岸本市長には届いただろうか。
『わったー市長を選ぼう会』ビラ配りに、ヨッシー、しん君参加。わったー市長の歌を歌う。
名護十字路で、ヨッシーが歌いました。
『市長を選ぼう♪選ぼう♪選ぼう♪』
ハネやん作詞の「わったー市長の歌」のほか
「なぜ沖縄に」を歌いました。
この後、歩きながら「わったー市長の歌」を歌って
みんなはビラを配って行進しました。
若い人達が興味を持って近づいてきました。
なんちゃんは、マイクを持って「わったー市長の会」の
アピールをしました。

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