2000年
「ジュゴンの家」日誌
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2000年11月9日(木) 
ジュゴンの家へ/金城師匠三線教室/また那覇に

 コバルト荘に一泊して、ひさびさのジュゴンの家へ。快調な新生ジュゴンカーで、一路名護まで。ジュゴンの家では、しん君がお店番をして待っていました。三線もすっかり上手になっていました。そこへ、金城師匠から電話。そのすぐ後、ジュゴンの家にYさんとやってきました。師匠、ひさしぶりー。しばらく話をしていると、いつのまにか三線教室に。ようこさんは、師匠から「阿波節」の歌を、ありちゃんは三線を習いました。でも、民謡というのは、歌がとっても難しい。師匠は「この曲は一番最初にならう曲で、小学生でもできるよ。」と軽く言い飛ばす。その後、「岸本市長への愛のプレゼント」 行動のしん君がとったビデオを見ながら、みんなで具志堅千鶴子さんが持ってきてくれた「スヌイ」を食べました。とってもおいしかったです。師匠とは、また東京で会おうねと言って、ありちゃんようこさんは、用事でまた那覇へ。しん君、お店番またよろしくお願いします・・・。

 ようこさんは、車の中で、師匠から教えてもらった「阿波節」を口ずさむ。途中、スコールのようなどしゃぶり。かみなりが次々と落ちる。火災が起きたのか、消防車が走る。雨宿りのため、食堂に逃げ込む。なんとか雨がやんでくれて、また一路那覇へ。今日はコバルト荘にまたお世話になる。

 コバルト荘にやっと着いた。照屋さんはとってもおいしい玉子酒を用意してくれていた。風邪をひいてるようこさんは、さっそく玉子酒を飲んで、あったかくして寝ました。

11月8日(水)
 
ありちゃん、ようこさん、沖縄到着。

 今日から、ありちゃん、ようこさんは、ハネやん・のりこさんとバトンタッチ。沖縄にやってきました。空港からまっすぐひさしぶりのコバルト荘に。荷物を置いて、国際通りに出ました。

 いつも那覇にいるときに行く「あかさたな」という居酒屋を目指して、歩き始めた。同じビルにある、いつも寄る洋服&雑貨屋さんに行く。「Plus!」という雑貨屋さんのおねえさんには、すっかり顔を覚えられた。彼女は、1年半前、大学を卒業してから、この雑貨屋をはじめた。ようこさんは、ここの洋服がお気に入り。「最近ケーブルテレビでお店の紹介をしたので、ちょっと有名人です。」と彼女がいうと、「私たちも琉球新報にリサイクルショップの事が載ったんですよー。」と話した。彼女は沖縄に来て5年近く経つのに、ほとんど那覇から離れた事がないという。「雑誌を見てせっかく来たのにお店が開いていなかった、なんて事を想像すると、遅刻もできないし休めないんです。」私たちも地域の中でお店をやっていくには、そういう気持ちを持たないとなー。

 ふとガラス越しに「あかさたな」を見ると、なんと今日は定休日。がっかり。でも、雑貨屋の彼女が別の店を教えてくれた。彼女の手作りアクセサリー「もしょもしょ君(150円)」を買って、ありちゃんとようこさんは、そのお店へ向かった。

 なんとなくいい雰囲気の、沖縄家庭料理の居酒屋。ポンポンとメニューも見ずに料理を注文すると、マスターに「あんた達ウチナーンチュ?」と聞かれてしまった。マスターはとってもおもしろい人だ。必ずお客さん全員と会話を交わす。料理の説明もていねい。最後お勘定の時に、いろいろ話ができた。「この店は、1970年、本土復帰の2年前からやってるんだよー。」「昔は、外でお酒を飲むときはスコッチ、という時代があったんだ。泡盛は金のない人が茶碗で飲むようなお酒、沖縄料理なんて、家で食べるものだから、わざわざ外で食べる人はいない。そんな時代に沖縄料理の店を始めるなんてやめとけと、いろんな人から言われた。」「まだ沖縄料理のお店は5件くらいしかなくて、本土から来る人の溜まり場だった。」「それが、今のように誰でも沖縄料理のお店に来て、たくさんの店が並ぶようになったのは、10年ほど前から。ここはそのはしりだよ。」おじさんはそう教えてくれた。たまたま入ったお店だったけど、おもしろい所だったなー。

8日のしん君

 8日のしん君は、二見以北十区の会のメンバーと一緒に、岸本市長の自宅のとなりの空き地にいました。まずは、空き地の芝刈り。そして、ユタの大婆が来て、岸本市長の自宅に向かってお祈り(?)をしました。岸本市長は、お祭りなどの行事にはのうのうと現れているのに、ヘリ基地を作る事に関して、地元には一切説明には来ないし、わざわざ毎日市長室まで行って説明を求めても、一切顔を出さない。どーなってんだ。


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